2009年09月24日

唐突ですが、このブログを閉鎖します。

 開設以来、ほぼ丸3年が過ぎました。

 開設当時の、安倍晋三による、狂気の懐古主義軍国思想が排除され、政権交代も実現しました。

 現時点では、新政権の施策の行方も見えず、政治ブログとしては、書くことに窮する日々です。

 今後私用も増えるので、ここで思い切って閉鎖します。ログは残します。

 またいずれ、ネット上で活動をする予定ですが、このブログとは別物になります。

 では、これまで、ご愛読いただき、ありがとうございました。
posted by 眠り猫 at 02:36| 東京 晴れ| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

民主党の公約をすべて信用はしない

 数日、忙しかったので、更新できませんでした。

 さて、民主党政権が発足して、本格的に、外交・内政について、議論が始まりました。
 まずは、各大臣とも、民主党のマニフェストに書いてあることを実行に移すと言うことで、率直に発言しては、話題になっています。

 マニフェストは、「国民との契約」と言う民主党が、まず、その実行に動くと言うのは、ある意味正しいことだと思います。
 しかし、まず、理想と現実は違う、っということ。次に、民主党のマニフェストに書いてあることが、そのまま正しいと、私が思っているかどうかは別のことです。

 たとえば、私は、高速道路の一律無料化には、賛成しません。この件については、別途述べるとしても、マニフェストに書いてあるから、絶対に実行する、と言うのでは困ると思っています。

 民主党が政権を取り、過去の自民党の悪政の数々(私は池田隼人までの自民党の所得倍増政策などは否定しません。自民党の劣化が進んだのは、バブル期の竹下・金丸による金権政治に端を発し、自民党の政治屋が利権をあさる体質になりさがった、25年ほど前からだと思います。)を是正するのは大いに結構。
 しかし、個々の政策の、時期や金額については、必ずしもマニフェストを全面支持するわけではありません。(自民党は全く支持できませんが。)

 私としては、大枠として、国民への直接給付や負担軽減による、国民生活にゆとりを取り戻すこと、そしてそのゆとりが、消費につながり、結果的に内需主導の景気回復につながる、っと言う方向性を私は支持します。
 しかし、マニフェストに書かれた個々の金額や政策について、そのまま、確実に実行を望んでいるわけではなく、国家財政、予算などの面次第で、柔軟な対処は必要だと思っています。

 私の個人的希望としては、財源のめどが立ち次第、子供手当、高校無料化などの政策は、できる限り早く行ってほしいと思います。しかし、金額については、子供手当26,000円を2年後から、っということにこだわらず、できるところから、月、10,000円からでも良いので、スピード感を持って始めるのが重要だと思っています。

 設計図通りでなくとも、今、一番重要なのは、痛んだ中間層を支え、その消費を呼び起こし景気回復につなげることだと思うからです。
 あと、労働問題も重要で、製造業派遣の全面的禁止には賛成ですが、明日の仕事に困っている人がいる以上、その実現には段階的な、現実を見ながらの施策が必要だと思っています。
 まずは、就労支援、派遣についても、即時廃止ではなく、最低賃金の引き上げと、調整を取りながら、派遣社員が、正社員に近い立場と賃金を得られるように持っていく、調整が必要だと思っています。

 このように、民主党のマニフェストを、全面的に実現することが良いこととは、私は考えていません。

 また、外交では、対米関係、対中関係、自民党の時よりもバランスの取れたことをしようとしているのはわかりますが、一挙にそれが実現はできないことを知っておくべきだと思います。沖縄の辺野古問題は、早急に対処すべきでしょうが。

 このように、「コイズミ以前」が善で、それを元に戻す、という単純な思考ではなく、さらに新たな時代、国家を形成するのは、もっと時間が必要だと思うのです。
 最初は試行錯誤でしょう。ですが、あまり気負わずに、また無理をせずに、現実の経済と徐々に調整を取りながら、進めてほしいと思っています。

 また、民主党を支持する労組の言い分に押されて、原発重視、軍事軽視せず、と言ったドグマにとらわれず、何が日本国民にとって良いのか、アジアにとって、ひいては世界にとって良いかを考えながら進めてほしいと思っています。

 単独の項目では、私はインド洋給油派遣には反対で、その見返りになにかせよと言う、アメリカの言い分ははねつけるべきだと思っています。
 9.11の復讐のためにアフガニスタンに攻め込んだ、アメリカの内政面の問題を、希釈化するために、他の国に出兵を求めているだけのアメリカに、はっきりと、「日本は関係ない」と言える外交を望んでいます。代替措置は必要ないと思っています。

 まぁ、まだ始まったばかりですから、もう少し様子を見たいと思います。
posted by 眠り猫 at 12:14| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

迷走する自民党、狂乱の産経新聞

 民主党中心の政権が発足した。
 当面は、お手並み拝見ということになりそうだ。

 一方で、政権を失った自民党は、敗戦後、迷走を続けていた。執行部非難をするだけの山本一太とかが騒ぎまくり、しかし自分が火中の栗を拾おうとはしない。責任を麻生一人に押し付けて、泣きごとをいう連中ばかりだった。
 昨日16日の首相指名投票で、誰に投票するかでも揉めていた。結局、この日までに、新総裁を選ぶことができなかった。

 これは、自民党全体が、無責任体質であることの証だが、ようやく谷垣氏が、総裁候補として立候補することを決断し、河野太郎氏がこれに続き、立候補に必要な20人の国会議員の推薦を集めようとしている。
 他にも小野寺とか西村とか名前が挙がっているが、何がしたいのか、信条はどうなのか見えてこない。推薦人の配分も結局は派閥だより。
 もはや与党ではないことがまだ実感として無いのではないか?

 谷垣、または河野になるとすれば、保守本流穏健派となり、今までの安倍、麻生のような国家主義的右翼とは対立する構造になる。せめてそうなってほしいが、右派が何を企んでいるかである。
 シンキローも、狂人安倍も、まだまだ権力に執念を見せている。安倍は、今ここでの火中の栗は拾わないが、もし自民党が再生するなら、またトップに座りたいと思っているのだろう。

 さて、この状況で、みじめな姿をさらしているのは、産経新聞である。
 まぁ、私が見ているのは、MSNのニュースだけだが、以前、ここにも掲載した鳩山論文について、虚偽の報道をし、また、内容は中学生以下だなどと酷評している。私はそうは思わない。安倍の「美しい国」や、麻生の「途方もない日本」よりは論旨明確な文章だと思うが、産経記者のゆがんだ眼にはそうは見えないらしい。

 産経新聞のオタ記者については、衆院選開票当時、最近はやりのネットツール、ツイッターで、他の人と話をしている中で、「産経新聞下野」とか、「民主党さんこのまま好きにはさせないぜ」などという、ヤクザめいた言葉をもらし、会社としては、自分たちは不偏不党であり、この発言は間違っていた、としたが、もともと産経新聞が不偏不党だとはだれも思っていない。

 自民党が敗北したのは、靖国神社に参拝しなかったからだ、などとオタ記事を書いたのも産経。彼らの頭の構造は80年ほど古いらしい。
 特に面白いのは、「産経新聞下野」と言ったという点である。これは裏返せば、産経新聞は自民党と一体で、権力の座にあったと思い込んでいた証左である。
 自我が弱く、頭も悪い人間は、しばしば時の権力や、古い権威に、自分自身を仮託して、あたかも自分が偉くなったように勝手に思い込む、「自我同一化」という行為をするが、この発言はまさに、産経新聞の知性の劣化をあらわしている。

 その後も管直人大臣などへの、個人攻撃を続けているが、はたして発行部数が減る一方の産経新聞に明日はあるのか?この程度のバカどもや、キチガイ花岡、耄碌阿比留あたりが記事を書いている限りは、部数は減り続け、多分民主党政権の時代の間に、この極右新聞社は経営が行き詰るだろう。

 自民党も情けないが、その陣傘新聞社はもっと情けないのがわかった。

 もし、穏健保守の谷垣、河野が自民党の総裁になったら、産経新聞はどこへ行くのだろう?地獄へでも落ちるがいい。
posted by 眠り猫 at 05:48| 東京 曇り| Comment(1) | TrackBack(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

民主党、鳩山政権始動。まず課題は?

 あぁぁ、申し訳ありません。鳩山論文を掲載後、かなり長らくブログを休んでいました。要はずぼらなだけですが。

 そんなことをしているうちに、今日、9月16日、鳩山政権が発足します。
 当初、さみだれ的に閣僚人事を行うかに見えましたが、結局正式な決定は、首相指名後になるそうですが、閣僚候補はすでに明らかになっており、後は役職だけとなりました。

 ざっとみて、まず、知らない人が多い。民主党の中では主力級とのことですが、実際の政治の場面で報道されることが無かったので、半分くらいは知らない人か、赤松のように、悪い印象しかない人物ばかりです。

 それでも、まぁ、目玉の国家戦略局担当大臣兼副総理の管直人氏は、他に適任がいないと思うくらい、重要な仕事ですし、本人も能力があります。
 ネクスト防衛大臣だった前原は、国交省に回され、軍事利権や財界と結び付くことができなくなりました。ざまぁみろ。でも、国交省は天下りの巣窟。前原の本当の力が試されます。

 今回の人事で感じたのは2点。
 まず、いくつかの省を除いて、省庁名の大臣よりも、〇〇担当大臣、の方が多いこと。これは、国家戦略局がすべてを仕切り、担当大臣が、部門・省庁横断で仕事をさせると言うことを念頭に置いているのでしょう。
 確かに、保育園は厚労省、幼稚園は文部科学省、少子化担当はまた別に、という、縦割り行政では解決できない問題にも取り組もうと言う姿勢は評価できます。ただ、問題はやはり、「できるかどうか」です。

 もうひとつは、最初うわさされ、その後否定されるも結局財務大臣になった藤井氏。財政均衡路線のような発言をしていましたが、途中で発言を翻し、あらゆる手を尽くした後で、必要とあれば国債の発行も、と言いだしたため、次の参院選のため地方へ公共事業を回すことを容認する立場になり、財務省に決まりました。これと併せて重要なのは、国民新党の亀井代表が、金融・郵政担当大臣になったこと。郵政見直しは、彼らの悲願であったにしても、金融大臣に、超積極財政派の亀井氏を据えたのもまた、来年の参院選を見越してのことと、コイズミ以降、政界と蜜月関係にあった金融界を震え上がらせるに十分な人事です。

 まぁ、これが私の第一印象ですが、やはり、課題は、実現できるかと言うことと、官僚が動くかと言うこと。
 当初、官僚の中には、「4年後にはまた自民党政権」とほざくやつもいたそうですが、敗戦後の自民党の混乱を見ると、人材のいなさと、意思決定機能の脆弱さを露呈し、このままいけば、来年の参院選で惨敗すれば、自民党は弱小政党転落、または分裂が避けられない状況になりそうで、しかも、今総裁候補に名乗りを上げているのは、谷垣、河野という、保守本流穏健派であって、安倍のキチガイや、麻生のバカのような右翼国家主義者ではないと言う点で、自民党は戦前から引きずってきた、国家主義と訣別を余儀なくされると思います。

 まぁ、キチガイ仲間で、平沼グループと、安倍、麻生らがくっついて、弱小の極右新党を作れば、それはそれで、構図がわかりやすくて良いと思いますが。

 さて、今日始動の民主党、鳩山政権。意気込みは感じられるが、その具体化に果たして国民が忍耐できるうちに実現できるかどうか?
 能力だけでなく、スピードも問われていると思います。
posted by 眠り猫 at 09:54| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(3) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

鳩山論文について

 ここ3日ほど、鳩山論文を著作権無視して全文掲載していた。注意が来たら削除しようと思っている。
 また、アクセス数は多めだったが、この長文を全部読んでいただけたかどうか。
 まだ未読の方は、ひとつ前のエントリーなので、ぜひ、お時間を取って全文をお読みいただきたい。
 このどこが反米なのか?理解しがたいものである。

 せいぜい、「イラク戦争は失敗だった」と、ブッシュ自身が認めていることを言ったのと、アジア共同体と言うプランで、中国重視を掲げ、アメリカと同程度に緊密な関係を(やがてはEUのような通貨統合を)と述べているだけだ。

 多分、アメリカの保守強硬派で、日本は属国、と思っている連中に、意図的に反米的に見えるような英訳を見せて、煽った共和党系勢力がいるのだろう。
 国民の支持を受けていないブッシュ前大統領の閣僚だった連中に見せれば、確かに「反米的だ」と言うだろうが、そんなことは鳩山論文には書かれていない。

 よろしければ、ぜひ、お読みいただきたい。

 私は民主党権力とは距離を置くと言ったが、極右の産経新聞らの世迷いごとに付き合うつもりは無いので、この論文の掲載で反論としたい。
posted by 眠り猫 at 04:59| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

物議を醸した、鳩山論文の原文

 日本の保守系マスコミが、「反米的」とたたき、アメリカでも元ブッシュ政権系の政治屋から懐疑的目で見られている、鳩山民主党代表の論文を全文掲載します。
 実際には、極めて優れた論文だと私は思います。アメリカの保守に批判されているのは、イラク戦争が失敗と書かれたためでしょう。
 ぜひ、ご一読を。

祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印 鳩山由紀夫(民主党代表) 党人派・鳩山一郎の政治信条 現代の日本人に好まれている言葉の一つが「愛」だが、これは普通〈love〉のことだ。そのため、私が「友愛」を語るのを聞いてなんとなく柔弱な印象を受ける人が多いようだ。しかし私の言う「友愛」はこれとは異なる概念である。それはフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の「博愛=フラタナティ(fraterni)」のことを指す。 祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。 クーデンホフ・カレルギーは、いまから86年前の大正12年(1923年)『汎ヨーロッパ』という著書を刊行し、今日のEUにつながる汎ヨーロッパ運動の提唱者となった。彼は日本公使をしていたオーストリア貴族と麻布の骨董商の娘青山光子の次男として生まれ、栄次郎という日本名ももっていた。 カレルギーは昭和10年(1935年)『Totalitarian State Against Man(全体主義国家対人間)』と題する著書を出版した。それはソ連共産主義とナチス国家社会主義に対する激しい批判と、彼らの侵出を許した資本主義の放恣に対する深刻な反省に満ちている。 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。 「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」 ひたすら平等を追う全体主義も、放縦に堕した資本主義も、結果として人間の尊厳を冒し、本来目的であるはずの人間を手段と化してしまう。人間にとって重要でありながら自由も平等もそれが原理主義に陥るとき、それがもたらす惨禍は計り知れない。それらが人間の尊厳を冒すことがないよう均衡を図る理念が必要であり、カレルギーはそれを「友愛」に求めたのである。 「人間は目的であって手段ではない。国家は手段であって目的ではない」彼の『全体主義国家対人間』は、こういう書き出しで始まる。 カレルギーがこの書物を構想しているころ、二つの全体主義がヨーロッパを席巻し、祖国オーストリアはヒットラーによる併合の危機に晒されていた。彼はヨーロッパ中を駆け巡って、汎ヨーロッパを説き、反ヒットラー、反スターリンを鼓吹した。しかし、その奮闘もむなしくオーストリアはナチスのものとなり、彼は、やがて失意のうちにアメリカに亡命することとなる。映画『カサブランカ』は、カレルギーの逃避行をモデルにしたものだという。 カレルギーが「友愛革命」を説くとき、それは彼が同時代において直面した、左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だったのである。

戦後、首相の地位を目前にして公職追放となった鳩山一郎は、浪々の徒然にカレルギーの書物を読み、とりわけ共感を覚えた『全体主義国家対人間』を自ら翻訳し、『自由と人生』という書名で出版した。鋭い共産主義批判者であり、かつ軍部主導の計画経済(統制経済)に対抗した鳩山一郎にとって、この書は、戦後日本に吹き荒れるマルクス主義勢力(社会、共産両党や労働運動)の攻勢に抗し、健全な議会制民主主義を作り上げるうえで、最も共感できる理論体系に見えたのだろう。 鳩山一郎は、一方で勢いを増す社共両党に対抗しつつ、他方で官僚派吉田政権を打ち倒し、党人派鳩山政権を打ち立てる旗印として「友愛」を掲げたのである。彼の筆になる『友愛青年同志会綱領』(昭和28年)はその端的な表明だった。 「われわれは自由主義の旗のもとに友愛革命に挺身し、左右両翼の極端なる思想を排除して、健全明朗なる民主社会の実現と自主独立の文化国家の建設に邁進する」 彼の「友愛」の理念は、戦後保守政党の底流に脈々として生きつづけた。60年安保を経て、自民党は労使協調政策に大きく舵を切り、それが日本の高度経済成長を支える基礎となった。その象徴が昭和40年(1965年)に綱領的文書として作成された『自民党基本憲章』である。 その第1章は「人間の尊重」と題され、「人間はその存在が尊いのであり、つねにそれ自体が目的であり、決して手段であってはならない」と記されている。労働運動との融和を謳った『自民党労働憲章』にも同様の表現がある。明らかに、カレルギーの著書からの引用であり、鳩山一郎の友愛論に影響を受けたものだろう。この二つの憲章は、鳩山、石橋内閣の樹立に貢献し、池田内閣労相として日本に労使協調路線を確立した石田博英によって起草されたものである。 自民党一党支配の終焉と民主党立党宣言 戦後、自民党が内外の社会主義陣営に対峙し、日本の復興と高度経済成長の達成に尽くしたことは大きな功績であり、歴史的評価に値する。しかし、冷戦終焉後も経済成長自体が国家目標であるかのような惰性の政治に陥り、変化する時代環境のなかで国民生活の質的向上をめざす政策に転換できない事態が続いた。その一方で政官業の癒着がもたらす政治腐敗が自民党の宿痾となった観があった。 私は、冷戦が終わったとき、高度成長を支えた自民党の歴史的役割も終わり、新たな責任勢力が求められていると痛感した。そして祖父が創設した自民党を離党し、新党さきがけの結党に参加し、やがて自ら党首となって民主党を設立するに至った。 平成8911日「(旧)民主党」結党。その「立党宣言」にいう。 「私たちがこれから社会の根底に据えたいと思っているのは『友愛』の精神である。自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は『出る釘は打たれる』式の悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛であるけれども、それはこれまでの100年間はあまりに軽視されてきた。20世紀までの近代国家は、人々を国民として動員するのに急で、そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか扱わなかったからである。(中略)私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという『個の自立』の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという『他との共生』の原理を重視したい。そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない」 武者小路実篤は「君は君、我は我也、されど仲良き」という有名な言葉を残している。「友愛」とは、まさにこのような姿勢で臨むことなのだ。 「自由」や「平等」が時代環境とともにその表現と内容を進化させていくように、人間の尊厳を希求する「友愛」もまた時代環境とともに進化していく。私は、カレルギーや祖父一郎が対峙した全体主義国家の終焉を見た当時、「友愛」を「自立と共生の原理」と再定義したのである。 そしてこの日から13年が経過した。この間、冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」である資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことにあらためて気が付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それがいまわれわれに突き付けられている課題である。 この時にあたって、私は、かつてカレルギーが自由の本質に内在する危険を抑止する役割を担うものとして「友愛」を位置づけたことをあらためて想起し、再び「友愛の旗印」を掲げて立とうと決意した。平成21516日、民主党代表選挙に臨んで、私はこう言った。 「自ら先頭に立って、同志の皆さんとともに、一丸となって難局を打開し、共に生きる社会『友愛社会』をつくるために、必ず政権交代を成し遂げたい」 私にとって「友愛」とは何か。それは政治の方向を見極める羅針盤であり、政策を決定するときの判断基準である。そして、われわれがめざす「自立と共生の時代」を支える精神たるべきものと信じている。 衰弱した「公」の領域を復興 現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統のなかで培われてきた国民経済との調整をめざす理念といえよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。 いうまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、グローバルエコノミーとかグローバリゼーションとかグローバリズムとか呼ばれた。 米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(じつはアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。 日本の国内でも、このグローバリズムの流れをどのように受け入れていくか、これを積極的に受け入れ、すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうという人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。 各国の経済秩序(国民経済)は年月をかけて出来上がってきたもので、その国の伝統、慣習、国民生活の実態を反映したものだ。したがって世界各国の国民経済は、歴史、伝統、慣習、経済規模や発展段階など、あまりにも多様なものなのである。グローバリズムは、そうした経済外的諸価値や環境問題や資源制約などをいっさい無視して進行した。小国のなかには、国民経済が大きな打撃を被り、伝統的な産業が壊滅した国さえあった。 資本や生産手段はいとも簡単に国境を越えて移動できる。しかし、人は簡単には移動できないものだ。市場の論理では「人」というものは「人件費」でしかないが、実際の世の中では、その「人」が地域共同体を支え、生活や伝統や文化を体現している。人間の尊厳は、そうした共同体のなかで、仕事や役割を得て家庭を営んでいくなかで保持される。 冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言ではないだろう。郵政民営化は、長い歴史をもつ郵便局とそれを支えてきた人々の地域社会での伝統的役割をあまりにも軽んじ、郵便局のもつ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ。 農業や環境や医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野の経済活動を、無造作にグローバリズムの奔流のなかに投げ出すような政策は、「友愛」の理念からは許されるところではない。また生命の安全や生活の安定にかかわるルールや規制はむしろ強化しなければならない。 グローバリズムが席巻するなかで切り捨てられてきた経済外的な諸価値に目を向け、人と人との絆の再生、自然や環境への配慮、福祉や医療制度の再構築、教育や子どもを育てる環境の充実、格差の是正などに取り組み、「国民一人ひとりが幸せを追求できる環境を整えていくこと」が、これからの政治の責任であろう。 この間、日本の伝統的な公共の領域は衰弱し、人々からお互いの絆が失われ、公共心も薄弱となった。現代の経済社会の活動には「官」「民」「公」「私」の別がある。官は行政、民は企業、私は個人や家庭だ。公はかつての町内会活動やいまのNPO活動のような相互扶助的な活動を指す。経済社会が高度化し、複雑化すればするほど、行政や企業や個人には手の届かない部分が大きくなっていく。経済先進国であるほど、NPOなどの非営利活動が大きな社会的役割を担っているのはそのためだといえる。それは「共生」の基盤でもある。それらの活動は、GDPに換算されないものだが、われわれが真に豊かな社会を築こうというとき、こうした公共領域の非営利的活動、市民活動、社会活動の層の厚さが問われる。 「友愛」の政治は、衰弱した日本の「公」の領域を復興し、また新たなる公の領域を創造し、それを担う人々を支援していく。そして人と人との絆を取り戻し、人と人が助け合い、人が人の役に立つことに生きがいを感じる社会、そうした「共生の社会」を創ることをめざす。 財政の危機はたしかに深刻だ。しかし「友愛」の政治は、財政の再建と福祉制度の再構築を両立させる道を、慎重かつ着実に歩むことをめざす。財政再建を、社会保障政策の一律的抑制や切り捨てによって達成しようという、また消費税増税によって短兵急に達成しようという財務省主導の財政再建論には与しない。 財政の危機は、長年の自民党政権の失政に帰するものである。それは、官僚主導の中央集権政治とその下でのバラマキ政治、無批判なグローバリズム信仰が生んだセーフティネットの破綻と格差の拡大、政官業癒着の政治がもたらした政府への信頼喪失など、日本の経済社会の危機の反映なのである。 したがって、財政危機の克服は、われわれがこの国のかたちを地域主権国家に変え、徹底的な行財政改革を断行し、年金はじめ社会保障制度の持続可能性についての国民の信頼を取り戻すこと、つまり政治の根本的な立て直しの努力を抜きにしてはなしえない課題なのである。 地域主権国家の確立 私は、代表選挙の立候補演説において「私が最も力を入れたい政策」は「中央集権国家である現在の国のかたちを『地域主権の国』に変革」することだといった。同様の主張は、13年前の旧民主党結党宣言にも書いた。「小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による『地方分権・地域主権国家』」を実現し、「そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく」のだと。 クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第12章)のなかにこういう一節がある。「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」 カレルギーがここで言っているのは、いまの言葉で言えば「補完性の原理」ということだろう。それは「友愛」の論理から導かれる現代的政策表現ということができる。 経済のグローバル化は避けられない時代の現実だ。しかし、経済的統合が進むEUでは、一方でローカル化ともいうべき流れも顕著である。ベルギーの連邦化やチェコとスロバキアの分離独立などはその象徴である。グローバル化する経済環境のなかで、伝統や文化の基盤としての国あるいは地域の独自性をどう維持していくか。それはEUのみならず、これからの日本にとっても大きな課題である。 グローバル化とローカル化という二つの背反する時代の要請への回答として、EUはマーストリヒト条約やヨーロッパ地方自治憲章において「補完性の原理」を掲げた。補完性の原理は、今日では、たんに基礎自治体優先の原則というだけでなく、国家と超国家機関との関係にまで援用される原則となっている。こうした視点から、補完性の原理を解釈すると以下のようになる。 個人でできることは、個人で解決する。個人で解決できないことは、家庭が助ける。家庭で解決できないことは、地域社会やNPOが助ける。これらのレベルで解決できないときに初めて行政がかかわることになる。そして基礎自治体で処理できることは、すべて基礎自治体でやる。基礎自治体ができないことだけを広域自治体がやる。広域自治体でもできないこと、たとえば外交、防衛、マクロ経済政策の決定など、を中央政府が担当する。そして次の段階として、通貨の発行権など国家主権の一部も、EUのような国際機構に移譲する…… 補完性の原理は、実際の分権政策としては、基礎自治体重視の分権政策ということになる。われわれが、友愛の現代化を模索するとき、必然的に補完性の原理に立脚した「地域主権国家」の確立に行き着く。 道州制の是非を含む今後の日本の地方制度改革においては、伝統や文化の基盤としての自治体の規模はどうあるべきか、住民による自治が有効に機能する自治体の規模はどうあるべきか、という視点を忘れてはならない。 私は民主党代表選挙の際の演説でこう語った。「国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定し、生活に密着したことは権限、財源、人材を『基礎的自治体』に移譲し、その地域の判断と責任において決断し、実行できる仕組みに変革します。国の補助金は廃止し、地方に自主財源として一括交付します。すなわち国と地域の関係を現在の実質上下関係から並列の関係、役割分担の関係へと変えていきます。この変革により、国全体の効率を高め、地域の実情に応じたきめの細かい、生活者の立場に立った行政に変革します」 身近な基礎自治体に財源と権限を大幅に移譲し、サービスと負担の関係が見えやすいものとすることによって、初めて地域の自主性、自己責任、自己決定能力が生まれる。それはまた地域の経済活動を活力あるものにし、個性的で魅力に富んだ美しい日本列島を創る道でもある。 「地域主権国家」の確立こそは、とりもなおさず「友愛」の現代的政策表現であり、これからの時代の政治目標にふさわしいものだ。 ナショナリズムを抑える東アジア共同体 「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない。 今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、いまのところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか。 アメリカは影響力を低下させていくが、今後230年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない。 これは、日本のみならず、アジアの中小規模国家が同様に思い悩んでいるところでもある。この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、その政治的経済的放恣はなるべく抑制したい、身近な中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。 そして、マルクス主義とグローバリズムという、良くも悪くも、超国家的な政治経済理念が頓挫したいま、再びナショナリズムが諸国家の政策決定を大きく左右する時代となった。数年前の中国の反日暴動に象徴されるように、インターネットの普及は、ナショナリズムとポピュリズムの結合を加速し、時として制御不能の政治的混乱を引き起こしかねない。 そうした時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げていく道を進むべきであろう。ヨーロッパと異なり、人口規模も発展段階も政治体制も異なるこの地域に、経済的な統合を実現することは、一朝一夕にできることではない。しかし、日本が先行し、韓国、台湾、香港が続き、ASEANと中国が果たした高度経済成長の延長線上には、やはり地域的な通貨統合、「アジア共通通貨」の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない。 いまやASEAN、日本、中国(含む香港)、韓国、台湾のGDP合計額は世界の4分の1となり、東アジアの経済的力量と相互依存関係の拡大と深化は、かつてない段階に達しており、この地域には経済圏として必要にして十分な下部構造が形成されている。しかし、この地域の諸国家間には、歴史的文化的な対立と安全保障上の対抗関係が相俟って、政治的には多くの困難を抱えていることもまた事実だ。 しかし、軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体を日中、日韓などの二国間で交渉しても解決不能なものなのであり、二国間で話し合おうとすればするほど双方の国民感情を刺激し、ナショナリズムの激化を招きかねないものなのである。地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進めるなかでしか解決しないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経験で明らかなところだ。 私は「新憲法試案」(平成17年)を作成したとき、その「前文」に、これからの半世紀を見据えた国家目標を掲げて、次のように述べた。「私たちは、人間の尊厳を重んじ、平和と自由と民主主義の恵沢を全世界の人々とともに享受することを希求し、世界、とりわけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力及び集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続けることを誓う」 私は、それが日本国憲法の理想とした平和主義、国際協調主義を実践していく道であるとともに、米中両大国のあいだで、わが国の政治的経済的自立を守り、国益に資する道でもある、と信じる。またそれは、かつてカレルギーが主張した「友愛革命」の現代的展開でもあるのだ。 こうした方向感覚からは、たとえば今回の世界金融危機後の対応も、従来のIMF、世界銀行体制のたんなる補強だけではなく、将来のアジア共通通貨の実現を視野に入れた対応が導かれるはずだ。 アジア共通通貨の実現には今後10年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をもたらすまでには、さらなる歳月が必要であろう。世界経済危機が深刻な状況下で、これを迂遠な議論と思う人もいるかもしれない。しかし、われわれが直面している世界が混沌として不透明で不安定であればあるほど、政治は、高く大きな目標を掲げて国民を導いていかなければならない。 いまわれわれは、世界史の転換点に立っており、国内的な景気対策に取り組むだけでなく、世界の新しい政治、経済秩序をどう創り上げていくのか、その決意と構想力を問われているのである。 今日においては「EUの父」と讃えられるクーデンホフ・カレルギーが、86年前に『汎ヨーロッパ』を刊行したときの言葉がある。彼は言った。 「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」、そして「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」と。

以上。
posted by 眠り猫 at 09:33| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「権力の二重構造」論を嗤う

  民主党内閣はまだできていない。なにしろ、鳩山代表を総理に選ぶ、国会の本会議が9月16日で、まだ10日はある。
 過去の自民党で、内閣改造、首相交代が起きた時は、首相官邸前にマスコミが集まり、誰が呼ばれた、何の大臣になった、と速報体制が組まれるのが慣習だった。
 しかし、半世紀を超えての政権交代。新政権が、同じ方法をとる必要はありません。

 そこで、鳩山氏は、まず、党内のまとめ役の幹事長に小沢一郎氏を指名しました。本人も受諾の方向です。
 幹事長は、党の要職ですが、憲法下の内閣での閣僚ではなく、民主党の党内役職にすぎません。
 しかし、幹事長は、民主党が受け取る、政党交付金などの配分を一手に握っていますし、党の公認を与えるか否かなどに、強い影響力を持ちます。行政府とは別に、立法府の400人以上の民主党議員に大きな影響力を持つのは事実でしょう。

 このことを指して、これまで自民党の陣傘報道をしてきた、日本テレビ・読売新聞系列や、フジ・サンケイ新聞グループなどを中心に、小沢氏による院政、「権力の二重構造」と、まだ何もスタートしていないのに、批判記事を書いています。

 大いに反論します。
 自民党の首相選出においては公選制が一応取られていましたが、それ以前の候補者選出に関し、森元首相や、安倍元首相が、役職もないのに口出しをし、さらに、閣僚人事は党内派閥の按分。そして、政策まで、首相よりも党内派閥の領袖たちが決めていたのではないでしょうか?

 違いますか?違うと言う人はその証拠を見せてください。

 権力の三重、四重の構造で、民意と離れた政治をしてきたのは、自民党でしょう。
 私は小沢氏が好きではありません。過去の記憶があるので。
 しかし、彼が選挙を戦ううえでの重要人物であるのは確かです。自民党が失敗したように、古賀選挙対策委員長という役職を作って、宮崎の馬鹿猿をもちだそうとして失敗しましたが、もし、民主党に、それに該当する役職があれば、それでも良かったかもしれませんが。あいにく選挙対策委員長などは無いので、幹事長。しごく当然だと思います。

 「権力の二重構造論」については、16年前の細川内閣の例が出されますが、あれは、8会派の寄せ集め政権で、自民の方が委員会などで圧倒的多数でした。結局8ヵ月で終焉したのも、弱小政党の寄せ集めだったという面があるでしょう。

 その引き金を引いたのが小沢氏、というのが、「旧」保守系のマスコミの論調ですが、あの時と、今回の民主党とでは、衆院、参院での勢力が違う。
 もし、小沢氏が、権力志向なら、自分を首相にしろとごり押ししたでしょう。
 そうではなく、彼を参院選に向けての党内のかなめにおくと言うのは、小沢氏が嫌いな私でも納得します。

 また、くり返しますが、自民党の権力の多重構造、派閥優先主義の政治よりは、はるかにましではないでしょうか?
 ためにするイチャモン、をする「旧」保守系マスコミの論調のレベルの低さに、へどが出る前に、嗤ってしまいます。

posted by 眠り猫 at 04:20| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

不信と不安の時代になってしまったのはなぜ?

 今日は政治の話ではなく、世相についての話です。しかも私の主観的分析にすぎませんが。

 今の時代、不信と、そこから生まれる不安の時代だと言えると思います。
 なぜそうなったのか?それを考えてみました。

 私が高校生の頃、田中角栄がロッキード事件で、総理大臣経験者であるにもかかわらず逮捕されました。
 これを、マスコミは「政治不信の原因となる」と評していましたが、当時まだ有権者ではなかった私には、今一つピンときませんでした。

 しかし、実際、その後も続く政治家の汚職、不祥事は、政治に対する不信を強めていったのは間違いないでしょう。

 さらに最近は、食品偽装に始まり、大手の会社や老舗の料亭などが、食品に関する情報を偽装し、耐震強度偽装など、何を信用してよいやらわからない、不安の時代にもなりました。

 さらに、ネットの発達は、出もとのあやしい情報をも氾濫させ、とくに、ネット右翼や自民党支持者のデマと、左右を問わない陰謀論者のデマは、ネット情報への信頼性を失わせました。
 また、マスコミ自体も、政権交代が近付くにつれて、保守系マスコミを中心に、民主党や社民党へのデマに近い情報を煽るなど、報道機関としての使命を忘れて、嘘の情報を垂れ流しました。たとえば沖縄での米兵による少女暴行事件について、「そんな時間に遊んでいる方が悪い」などという、詭弁を垂れ流したのは記憶に新しいところ。

 このように、実際の物の偽装から始まり、ネット、マスコミにおける情報の偽装にまでなると、普通の人は何を信じてよいのかわからなくなります。
 政治不信と重なり、今の日本人は、まさに、「不信と不安の時代」のただ中にあると言えるでしょう。

 陰謀論と言うのも、このような不信の時代に、何を信じるかわからなくなった人々が、自分に親和性が高い情報を、「信じてしまった」ことから生まれています。陰謀論がはびこる時代になったということを問題視するべきでしょう。

 このような「不信と不安の時代」に、政権交代が起きました。政権側のデマが多かったことを考えると、新政権支持を表明した国民の多くは、「不信と不安の時代」の中にあってさえ、自らの生活実感などをもとに、政権側を厳しく糾弾したわけです。ネット右翼たちのデマ情報に騙される人はほとんどいなかったのです。(北朝鮮が攻めてくる、民主党は中国の手先、など)

 それはそれで幸いなことですが、現在もまだ、不信と不安の時代は続いています。
 新政権は、まず、愚直に正直な政治を行い、この不信と不安の時代に終わりをもたらせねばならないと思います。
 有言実行。また、できないことはできないときちんと説明する責任があると思います。
posted by 眠り猫 at 03:12| 東京 曇り| Comment(2) | TrackBack(1) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

「反貧困ネットワーク」の声明

 昨年末、年越し派遣村を運営した、宇都宮弁護士と、湯浅誠さん連名での、反貧困ネットワークの、新政権へのメッセージ全文を転載します。
 私が付け加えることは何もありません。

(以下転載)
声  明


2009年8月30日
反貧困ネットワーク
代表 宇都宮健児、事務局長 湯浅誠
東京都新宿区新小川町7-7 NKBアゼリアビル202
080-3022-4422(湯浅)
hanhinkon.net@gmail.com



 歴史的選挙と言われた衆議院議員選挙の大勢が決した。
 私たちはまず、政権交代を歓迎する。この間、日本社会の中には貧困が拡大したが、与党・政府には貧困問題と向き合う十分な意思が欠如していたからである。労働者派遣法に象徴される数々の規制緩和や、社会保障費2200億円抑制などの「構造改革」が断行され、人々の暮らしは圧迫され続けたが、その実態は「経済成長さえ果たせば解決する問題」と放置され、さらには「自助努力が足りないだけ」と自己責任論で抑圧された。少なからぬ人々にとって、この間の状態は端的に「踏んだり蹴ったり」であり、痛みだけを一方的に押し付けられた。11年連続3万人超の自殺者、1000万人を越える年収200万円未満のワーキング・プア、派遣切り被害者、ネットカフェ難民、ホームレス、餓死者等々は、この間の政治が、人間らしい暮らしを保障するという最も基本的な任務を果たしてこれなかったことを告発している。その意味で、今回の選挙結果は、抑圧され続けた人々からの与党・政府に対する「しっぺ返し」だった。

 当然ながら、次期与党・政府には、こうした生活破壊の流れを転換し、人々の生活を再建し、守る役割が期待される。またそうでなければ、政権交代の内実はなかったことになり、肩透かしを食らった有権者は次なる審判を下すことになるだろう。
 しかし、その舵取りは容易ではない。失業率は戦後最悪の5.7%、有効求人倍率0.42倍(正社員0.24倍)という厳しい状況下で、生活の建て直しをいかに目に見える形で行うか、新政権は早々にその力量を試される。
 与党・政府に最も必要なことは、人々の暮らしの実情から目を離さないことである。民主党は、2007年参議院選挙で「国民生活第一」を掲げて大勝した。今回の総選挙では、あらゆる党が生活再建を競い合った。民主党はその中で、人々から生活を預けられたのだ。責任は重い。
 鳩山由紀夫・民主党代表は、今年6月の党首討論で、自殺や生活保護母子加算の問題を取り上げて、「一人一人が居場所を見つけられる国にしよう」と呼びかけた。一人一人が居場所を見つけられる国とは、この上なく大切なことであり、そして困難なことである。私たちは、その提言がいかに現実化していくのかを注視している。
 「郵政選挙」と言われた前回総選挙の際、大勝した自民党は「官から民へ」を掲げていた。今回、民主党も「官から民へ」を掲げて政権交代を果たした。両者が異なるのは、前者の「民」が製造業大企業等だったのに対して、後者の「民」が、2007年以降、明確に国民生活を指し示していた点である。
 「経済成長さえすれば、人々の暮らしは楽になる」――この約束は、90年代からの「雇用なき景気回復」、低下し続ける労働分配率、高騰し続ける社会保険料等々によって、事実として果たされなかった。もはや、経済成長率と暮らしの安心度数は独立した変数である。もう誰も、経済成長が十分条件であるかのような幻想には騙されない。
 では、民主党の約束(マニフェスト)はどうか。ただでさえ厳しい世界経済状況の中、いかにして暮らしの建て直しを果たすのか。私たちは、それをもっとも目に見える形で示せるのが貧困問題への取組だと考えている。

 OECDは、日本の貧困率を14.9%と発表している。実に7人に1人以上が貧困状態にある。多くの人々にそこまでの実感がないのは、日本で「貧困」といえば、依然としてアフリカ難民キャンプのような飢餓状態が想像されているからだ。そして、それと背中合わせの関係に立っていたのが「一億総中流」幻想だった。貧困ラインが飢餓状態に固着していたため、そこまでではない自分は「中流」だと、少なからぬ人々が自らを慰めた。この背景には、敗戦後の焼け野原から復興し、高度経済成長を遂げた「上昇気流」がある。「いずれよくなる」。現時点では厳しくても、多くの人たちがそう思えた。
 しかし、時代は変わり、欧米に対して「追いつけ追い越せ」だった日本は、今や新興国に追われる立場にあり、少子高齢化の中、人口減少社会に入った。かつてのような高度経済成長が再び訪れることはないし、「一億総中流」幻想はすでに過去のものだ。年収300万円未満世帯は、この10年で370万世帯増加している。低成長時代にも人々の暮らしを確保する、智恵のある政治が求められている。中間層だけを想定した政策は、もはや機能しない。
 OECDの貧困率は相対的貧困率であり、それは一言でいえば、生活に追いまくられて余裕のない状態、社会生活で引け目を感じる状態である(平成20年国民生活基礎調査結果に当てはめると、平均世帯人数2.7人で年収224万円以下)。日々の食事はなんとかなっていても、修学旅行に行けない、必要な教材をそろえられない子どもたち、また、職場で仲間として受け入れられず、病気をしても生活のために仕事を休めない労働者たち、地域で不幸があっても香典を包めない、子や孫にお年玉をあげられない高齢者たち、気兼ねなく外を出歩けない障害者たちなど、この社会の中に安心できる「居場所」を見出せない人たちである。
 この人たちが生活に追いまくれられる状況から脱し、「一息つけて未来を描ける」生活状態を確保すること、学校・職場・社会からの孤立状態を解消すること、賃金や所得保障によって所得を増やすとともに、再分配や支え合いによって支出を減らすこと、それが鳩山代表の言う「友愛」社会の実現ということだろう。OECD貧困率の政府としての公認、最低生活基準(憲法25条)による貧困率の測定、それに基づく貧困率削減目標の定立と、教育・住宅・労働・医療・年金・介護等々にまたがる総合的な対策。それが、厳しい経済情勢の中でも人々の暮らしを支えようとする政府のあるべき姿勢を示し、自分たちも「すべり台」社会を転落してしまうのではないかという人々の将来不安を取り除く。「国民生活第一」を掲げて政権交代を果たした与党の拠って立つ基盤は、ここにこそある。貧困問題は、来たる政権の存立根拠と基盤を補強する課題に他ならない。

 私たちは、次期政権の動向を注視している。私たちが次期政権の応援団となれるような、批判勢力とならずにすむような、ビジョンの提出と諸政策の実施を期待する。

以上
posted by 眠り猫 at 08:48| 東京 不明| Comment(0) | TrackBack(3) | 憲法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

このブログの歴史を振り返る

 開票速報を見て、30日に夜更かしがすぎて、睡眠時間がガタガタになりました。そのため、今日2つ目の記事ですが、今後はもっとスローペースで行きます。

 政権交代がなったわけですが、私がブログを始めた3年前(今月末でまる3年)、私が感じていたのは、安倍晋三と言う、ほぼ確実に狂っている男が、祖父(岸信介)の妄念=改憲に盲目的に従い、自公政権で三分の二と言うものを背景に、参議院選挙で三分の二を目指し、改憲を行うのではないかと言う、恐怖でした。

 安倍という男については、その就任前後に、今は廃刊となった「月刊現代」で、立花隆、保坂正康といった、左派ではない言論人からも、その改憲への妄動が批判されたのを見て、私も共感させられました。
 また、同時期、辺見庸が、「鵺のような全体主義」という言葉を使い、安倍晋三に代表される、狂気じみた国家主義右翼の改憲への妄執(しかも改憲内容は、時代を200年逆行するようなもの)への恐怖があり、当時から病床に起き伏しする状態だった私にも、何かできないかと思い始めたのが、このブログの第一期、「平和のために小さな声を集めよう」、でした。

 幸いなことに、年金記録不整備問題が噴出し、安倍政権は、肝心の参院選で惨敗し、安倍は、首相の地位を放り出すこととなり、私の改憲への怖れは現実のものとはなりませんでした。安倍は北朝鮮強硬論で高い人気を得ていましたが、年金と言う国民生活に密接した問題で遺漏があり、その改憲への妄動による、国民の意見を無視した強行採決の数々からも、国民の人気が離れ、一気に支持を失い、支持率30%割れで参院選に臨むことになり、惨敗しました。

 私としては、私の腹の中で、何か黒いものが渦巻くような、安倍晋三と言う狂人の恐怖から解放され、安倍辞職後、このブログを辞めることも考えました。
 ですが、その時点でも「ねじれ国会」と言われながらも、自民党は衆院での三分の二をもっており、まだまだ古典的国家主義の復活はありうると考え、引き続きブログを続けることにしました。
 その時点で、ブログ名を「猫の教室」と変え、反安倍晋三から、打倒自公政権へと目的を変えて、書き続けてきました。

 ここまでで、このブログも、性格をかなり変えてきました。
 最初は、とにかく安倍晋三おろしをしたかったので、かなり罵詈雑言系のことも書きましたし、安倍の狂気じみた妄念を、明らかにし、その改憲の中身の危険性を叫ぶ内容でした。

 しかし、安倍政権崩壊後、反自民党と変わった後は、徐々に主張の中身を
単なる非難、批判ではなく、政策提言をできないかと、何度も試みてきました。
 罵詈讒謗なら誰にでも言える。私自身の経験や学んだものから独自性を出そうと腐心した時期もありました。
 この間、福田政権が誕生していたわけですが、福田首相の政治自体は、それまでの安倍的な狂気ではなく、まぁ常識の通用する政治で、自民党の急激な退潮の時期に当たったとはいえ、過去の自民党首相と比べて悪いとは言えない政治をしていました。
 ただ、それ以前からのコイズミ政治や、海外派兵の動きを改めることは無く、
また、その政治が常識的であるがゆえに、罵詈雑言だけでは、ダメだと思い、政策論争を挑もうと考えていました。

 しかし、私自身は経済学に暗く、どうしても政策の詳細の点で、立ち往生してしまうことが多く、この時期はかなり悩みました。
 同じことを繰り返し書くようなこともしました。

 ところが、福田政権もまた、自民党内の事情で、事実上の放り出し辞任となり、またそれでも解散をせずに、新総裁選出と称する全国パレードをやって、麻生首相を選択すると言う、国民から見れば、あきれるような理由で政権たらいまわしをしてきました。
 麻生首相は、政権について直後の解散を模索していましたが、思うように支持が伸びず、折からのリーマンショックなどにかこつけて、政策を実施して支持率浮揚を図ると言う態度に変わりました。
 麻生自身は、安倍と大差のない、国家主義者であり、極右であり、またさほど能力や人望がある首相ではありませんでした。

 しかし、私は、政策で勝負しようと言うなら、こちらも政策で、と言うことで、自民党を含む各党の主張を比較し、麻生政権批判を続けていました。
 安倍を退陣させた参院選で、民主党が社民主義的政策を打ち出したことを支持し、民主党による政権交代を望み始めたのも、福田政権末期の大連立騒動のころだったかと思います。

 もとより、私は民主党積極支持者ではありませんでした。
 しかし、安倍や麻生のような、狂気じみた選民意識と改憲への妄動を隠さない政治家を政権から追うべきだと思い、民主党批判は封印し、自公政権批判を続けてきました。

 そして、今回の総選挙で、民主党の政権獲得=政権交代が実現し、私の自民党国家主義者たちへの嫌悪と恐怖は、ひとたび遠ざかることになりました。

 ここでこのブログを辞めるのも一つの手でしたでしょう。持病が悪化して書けなくなる時期もたびたびあったため、辞めてしまうことの方が楽でしたでしょう。
 しかし、内心では積極的に支持していない民主党を支持し、政権交代を実現した今、改めて民主党を監視し、ほめるべきはほめ、批判するべきは批判すると言うことを、このブログで目指していきたいと思い、2度目の改題となる、「陽だまり、猫だまり。」として、継続することになりました。

 この3年間の、いやそれ以前の中曽根以来、コイズミで頂点に達した自民党の「新自由主義」(経済右派政策)への批判も続けてきました。
 私が民主党を支持してきたのは、あくまでも同党の社民主義、国民生活優先と言うキャッチフレーズを見極めるためでした。

 ですから、ここで辞めるわけにはいかなくなっています。新政権を監視していく役目を再度自らに課し、見極めていきたいと思います。

 私にとって、政権交代はゴールではなく、まだ、日本がリベラリズムに変わるための、途中経過でしかないと思います。

 とはいえ、選挙が終わったばかりで、首班指名も9月16日と先のことで、当面は、じっくりと「見ていく」ことになろうかと思います。

 では、今日はこの辺で。
posted by 眠り猫 at 19:54| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新たなスタート

 こんにちは。

 「猫の教室」は、「陽だまり、猫だまり」と名称を変えて存続します。
 引き続きよろしくお願いします。

 戦後、日本で初めて起きた、選挙による政権交代。
 はっきり言って、当事者の民主党も自民党も、現在は何をすればよいのか、戸惑っているでしょうし、支持者もそうでしょう。

 ただ、私は以前から言っている通り、政権交代を望んではいましたが、それがゴールとは考えていません。ここから新たな変革がスタートするべきであって、政権交代で何もかも良くなる、っというのは、甘すぎる考え方だと思います。

 民主党は、もともと、旧自民、旧民社、旧社会党が集まってできた、寄り合い所帯で、党内のグループの主張は右から左まで様々です。
 前の自民党も似たようなものでしたが、それよりはややリベラルが多いかと言う程度です。ただ、今度の選挙で一挙に3倍以上に増えた衆院議員がどのような見解をもつかは、いまだ不分明です。

 当面、分裂の危機は無いものと思いますが、1年後にはどうなっているかわかりません。
 先の参院選以来の、社民主義的政策をどれだけ実現できるかも疑問が残ります。

 私は、リベラルの立場から、民主党の今後の政策をチェックし、批判していくつもりです。他方、右傾化するしかないであろう自民党については、その息の根を止めるべく、徹底批判をしていくつもりです。

 現在は、どの党も新しい事態に対応するのに時間がかかっていますので、このブログも当面は、たまに更新する程度になると思いますが、お見捨てなく。

 新ブログ名「陽だまり、猫だまり」の意味は、まさにそのまんまです。秋から冬に、陽だまりに集まっている野良猫たちののほほんとした、しかし満足げな顔を想像し、日本がそういう国になっていくことを望んでいます。

 あと、ブログと言う物の力が、極めて限定的だと言うことも理解しています。
 リベラル系ブロガーの言う通りなら、保坂のぶと氏が落選することは無かったでしょう。これは過去の選挙での天木直人氏についても言えることです。
 多くのブロガーが記事にしても、1人の当選を支援することさえできない。それがブログの限界です。
 その限界をしっかり自覚しつつ、今後も適宜、批判を行っていこうと思っています。
 次の目標は、1年後の参院選。社民、共産の伸長を望みながらも、民主党の政策の良いところはほめ、悪いところは批判するという態度で書いていきます。

 また、政権交代至上主義で、その先を考えてこなかった、多くのブログとは一線を画し、新たな時代に向けて走り出したいと思います。

 それでは、今後もよろしくお願いします。
posted by 眠り猫 at 03:11| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月31日

民主党圧勝、社共は議席維持

 昨夜は議席が確定する前まで起きていたので、眠くて眠くて・・・・。

 民主党308議席、社共は現有議席維持の、9議席と7議席。保坂のぶと氏は残念な結果となりました。

 民主圧勝の予想の中で、社共が議席を維持したのは、両党の支持者がしっかりいると言うことでしょうか。

 自民党は119議席。惨敗です。しかし、もっと惨敗したのは、公明党で、10議席減らして21議席です。しかも党代表を含めた幹部が軒並み落選。
 やはり、東京都議選で住民票移動をしたため、衆院選では間に合わなかったのでしょうか?

 さて、この結果は、まさに国民の意思です。
 これを論評したり、批評する資格は私にはありません。

 ただ、日本が1955年以来、自民党が第一党として権力を握っていた時代に終止符が打たれ、未熟とは言われながら、民主党が、絶対過半数を取り、社共も議席維持で、政権が交代しました。

 民主党が勝ちすぎた、と言うことには、今日は論評しません。
 ワイドショーで騒ぎまくった前回のコイズミ郵政選挙よりも、投票率も多く、これはこれで国民が真摯に考えた結果と言うことができるでしょう。

 今後、このブログは、名称と体裁を変えて、新たに権力の座についた民主党と距離を置きながら、具体的な施策について、論評をしていきたいと思います。

 今後マニフェストの検証を含め、民主党を監視する予定です。
 ただ、私は、マニフェストの完全実施を望んではいません。個別の政策には問題も多く、民主党が多数の横暴で暴走することを憂慮し、批判していくつもりです。
 明日は、お休みをいただいて、ブログのデザインの変更をします。

 ですが、URLは変わりませんので、今後もご覧いただければと思います。

 まずは、歴史的転換点になったことを、一つの国民の意思の表れとして、この結果を真摯に受け止め、今後のことを考えていくつもりです。
posted by 眠り猫 at 06:10| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(3) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

水に落ちた犬は打て、毒蛇は・・・・

 ・・頭を良くつぶしとかなければいけない。

 民主楽勝ムードで、気が抜けている方々。
 そんな場合ではないのです。今こそ、日本に巣食った悪しき化け物、自公を、再起不能なまでにたたきのめすべき時なのです。
 水に落ちた犬は打て。
 その通りです、世論調査の結果だけを見て満足せず、ぜひ、自分で投票に行って、自公政権にとどめを刺しましょう。

 私は、民主党積極支持者ではありません。
 しかし、悪の自公政権をたたきのめして再起不能にすること。そのために政権交代、さらに、自公議席の激減を望んでいます。

 下手に自民党の勢力を残したら、一層極右化した、ネオナチのような政党として、今後も日本に害悪をなすでしょう。
 悪が再び蘇ることのできないくらいに、徹底的にたたいておくことが必要なのです。
 「保守2大政党制」なんて、誰が言い出したのでしょうね?そんなバカな話はありません。保守と革新の2大政党制ならわかるのですが。2つとも保守になったアメリカが戦争外交へと突き進み格差社会を作り出した前例をみるべきです。

 自民党をたたきつぶせ、公明党を弱小勢力にまで落とせ。
 選挙区はお好きな党に(自公以外)、比例区は、社民、共産、国民新党にと言うのが私の希望です。

 悪魔の手先(=蛇)はとことんたたいてつぶすしかありません。
 とくに自民党に引導を渡すのです。
 そのためにも投票に行きましょう。
posted by 眠り猫 at 02:54| 東京 晴れ| Comment(3) | TrackBack(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

とにかく投票に行こう

 衆議院選挙の投票日まで、あと2日となった。
 明日の夜8時までしか選挙運動はできないので、実質もうあと1日である。
 日曜日はまさに、戦後初めて、日本人が選挙によって政権交代を実現できる日となる。

 与野党どちらを支持する人も、また支持政党未定の人も、ともかく投票に行こう。歴史的1日に自分も参加するのだ。主権者の1人として。

 投票に行くのは義務だと言う人もいる。実際、法律で義務化している国もある。しかし、本質的には、立候補の権利も含め、投票は権利なのだ。自らの権利を捨ててしまうことほどもったいないことは無い。

 まず、注意すべき点として、30日の投票日、山間部を中心に、投票時間が早く締めきられるようになっている。前回の参院選から、与党が投票率上昇を回避するために投票所の締め切りを早めているのだと言う。
 今回、全体の30%もの投票所で、投票時間が早めに切り上げられる。
 お手持ちの投票整理券を良くご覧いただくか、できれば18時前に投票をしていただきたい。

 次いで、民主党圧勝ムードに白けてしまっている人。
 そういう人が投票に行かないと、組織票による与党有利になる。
 世論調査はあくまで調査であって、投票ではない。
 30日、自分の投票をしてはじめて、政権交代も現実化する。
 ぜひ、歴史的な1日に立ち会う意味でも、投票に行っていただきたい。

 あさっては、関東地方では弱い雨になるようだ。まぁ、暴風雨にはならないようなので、傘を片手にお出かけ願いたい。

 とにかく投票に行こう。与党支持の人も自分の意見を反映させるために投票に行こう。
 30日はある意味、祝祭の日でもある。国民の過半数が、一緒に行動するのだ。4年間待たされ続けて、ようやく訪れる投票の機会だ。
posted by 眠り猫 at 19:09| 東京 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

泣いても笑ってもあと2日

 選挙戦は、泣いても笑っても、今日、明日の2日間で終わりだ。
 表通りから外れているため、とても静かな我が家にも、選挙カーの声が響いてきた。
 すでに出ている世論調査の結果から、民主党圧勝、他の野党も現有議席維持か積み増し、という結果が出ているが、野党は最後の追い込み、自公は劣勢挽回を賭けて、必死になっているようだ。

 昨日紹介した朝日新聞の世論調査の結果だが、序盤の情勢としての調査の時より、民主党を含む野党が伸びている。議席0と言われていた新党日本にも当選の目が出てきた。
 思うに、以下の2つの傾向が表れているものと思われる。

〇 民主党を中心に、「勝ち馬効果」(バンドワゴン効果)が表れている。

〇 民主党との選挙協力をしている社民、国民新党の候補にも当選の目が出てきている。

 とくに社民党は、中間値で9議席、うまくいけば悲願の2ケタ議席に届くかもしれない。劣勢が伝えられていた、東京8区での保坂のぶと氏にも、当選の可能性が出てきたと報じる新聞もある。この選挙区の対抗は石原伸晃である。当選すれば、野党となる自民党の重要人物となるであろう候補だが、それが脅かされていると言う。
 保坂のぶと氏には、最後まで頑張ってもらいたいものだ。

 石原兄弟の弟、宏高には早くから落選の報道があり、これでオリンピックが東京に来なかったら、石原慎太郎は泣きっ面にハチと言うところか。

 だが、繰り返し述べてきたことだが、今回の投票傾向は、民主党の政策を是認しての民主党への追い風ばかりではなく、それよりも、政権放り出しを続けつつも、企業向けの景気対策しか売ってこなかった自民党への、怒りとうらみの逆風が吹いているとことだ。

 著名議員でも、「自民党」と言うだけで忌避され、麻生首相の演説は観客を怒らせてばかりいる。失言も相次いだし、ゴリゴリの保守丸出しの選挙戦略は、チェンジを望む有権者の心に響かなかったようだ。

 品の無いネガティブキャンペーンに終始している自公のやり口も批判を浴びている。
 この選挙が、このままの勢いで進むと、自民党は100議席に届くかどうか。有力議員が落選し、しばらくは機能不全に陥るばかりか、来年の参議院選挙にも影響を与えるだろう。参院選でも敗北したら、自民党はもはやバラバラになるしかあるまい。

 野党の選挙運動に参加している知人の話では、もはや自民党はなりふり構わず、野党の演説会場に、暴力団と思しき男が来て肩を怒らせながら野次を飛ばすなどという、下品な行為にも出ているらしい(上記、石〇〇晃の地元)。
 しかし、ネット社会となった今は、そのようなことをすると一気に情報が流布し、結果的に不利になっているのが今の自民党のようだ。

 もう、自民党は、次の参院選を目指して、「健全な野党」として行動するように、心を入れ替えるべきだろう。できるかどうかは知らないが。

 長年、警察を含めてつるんできた闇社会との決別もしなければ、自民党に明日は無い。
 (だが、逆にそちらに傾斜し、極右路線で行くことになると思うが。)

 東京では、カルトと共同演説をし、その後カルトの支援を受けることになった小池百合子にも逆風が吹いているらしい。機関銃弾も跳ね返す、厚い面の皮と厚化粧も、国民の審判の前では逃れられないらしい。ちなみにサラ金のグレーゾーン金利撤廃に強硬に反対していたのはこの女だ。誰のために政治をしているのかよくわかる構図だ。

 私の予想では、惨敗した自民党は、安倍、麻生らの、右翼国家主義者しか残らず、まともな政策を展開できずに、いたずらに極右化していくと見ている。そうなったら、国民の支持を失うのは間違いないと思うが。

 さぁ、あと少し。民主だけでなく、その推薦を受けている社民、国民新党の議員への応援を。比例代表でも小政党に応援をよろしくお願いしたい。
 とくにリベラル系小政党の、今度の選挙での伸長は、民主党の右旋回の歯止めになるばかりか、今後、自民に代わる勢力として伸びていく可能性を秘めている。

 今回だけでなく、今後も見通した投票行動をぜひともお願いしたい。
posted by 眠り猫 at 00:07| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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