そこで、前から考えていたことを記事にしたい。
戦争を体験した日本人の多くは、大変重い贖罪意識を持っているようである。
その中身は、戦友を見捨ててこざるを得なかった、最前線の元兵士にもあり、また、広島・長崎の原爆犠牲者の生存者にも共通する意識である。
それは、仲間や多くの知人の死を目前にした人々が、自分が今生きていることを「申し訳ない」と感じていることに尽きる。
この、経験者の実感、贖罪意識のために、多くの戦争経験者は、最近まで口をつぐんでいた。
自分が今生きているのは、戦友や、原爆被爆者の死者に対して、申し訳ないと恥じる心を持ち、その罪悪感に、戦後62年を過ぎても引け目を感じ、戦争体験を口にすることをためらってた来た人々の姿がある。
それを責めることは出来ない。アメリカの在郷軍人会のように、自らの殺戮行為を自慢するような心理とは、日本人の感性はかなり違うのである。
しかし、今求められるのは、それらの戦争の当事者による、戦争批判の言葉であると思う。
先日の記事にも書いたが、「戦争待望論」の愚か者は、戦争の実情を知らないのである。
ある意味、戦後生まれの狂人安倍も同じような心理であったのだろう。
戦争に正義は無い。ただ、武力と殺戮で、自国の主張を無理やり押し通すのが戦争である。
戦争を否定する私達の主張に、イチャモンをつける、バカ右翼も多い。
正直、戦争になれば、最前線で死んでいくのは自分であることを想像できない、バカのたわごとである。
戦争をしない。それが最善の道であることは常識で考えればわかることである。
太平洋戦争の誤りを認めず、未だに大東亜共栄圏などと言うも妄言を弄し、自分は前線に立つことは考えないで、戦争を美化、礼賛する、愚かな右翼達に、私はある意味同情を禁じえない。
その無知と、想像力の無さゆえに、自分が最前線で犠牲になることを想像できない愚か者がいかに多いことか。
私は既に年齢的に徴兵されるjことも無い立場である。
しかし、もっとも犠牲になる若者が、好戦的な主張をしているのは、憂慮せざるを得ない。
多分、ゲーム感覚と、戦争の実態を知らない、愚かな低知性の連中の主張であるが、それがブログ言論で結構人を集めていることに、私は戦慄する。
戦争はゲームとは違うことがわかっていない、バカどもも、20歳を過ぎれば有権者である。それらの愚か者の主張が大勢を占めないことを祈るのみである。
