2008年03月13日

なぜ、自民党政府は「日米地位協定」の改定に消極的なのか?

 今日は、短い疑問の提起です。
 沖縄などで、米兵の事件が起きるたびに話題となる、「日米地位協定」の中の、米兵の犯罪の逮捕、裁判権に関する、「治外法権」条項の改定。
 日本政府は、これまでも、そして今回も、どうして不平等条約の改定に消極的、というか何もしないのでしょうか?野党からは改定要求が出ていますが、まじめに改定を求めない理由すら述べずに、ただ消極的なだけです。

 広島での岩国基地の海兵隊員による強姦事件も、日本では、理由不明で不起訴になり、米軍内で軍法会議にかけられているそうです。沖縄の事件もそうなりそうです。
 つまり、米軍も彼らの犯罪を許容する気はなく、罰がどうなるかはわかりませんが、たとえば、軍の名誉を傷つけた罪、などでも訴追されていると思います。

 米軍ですら、犯罪の事実を認めて軍法会議にかけることに対して、日本国内の街で起き、日本人が被害者になった事件についての裁判権の放棄を定めた日米地位協定の改定を唱えることに消極的な自民党の姿勢が全く理解できません。
 せめてその理由をはっきりと反論するなら、議論もできますが、消極的姿勢を見せるだけで、何も言わないのでは、単に、事件の風化を待っているとしか見えません。

 外交上、表面に出てこない、アメリカとの接触、問い合わせくらいはしているはずです。その結果、あのよな行動を与党が取るということは、アメリカから、すでに改定に応じないという方針を受け取っているのではないかと思います。
 以前から述べたように、アメリカは、戦争で奪った権利を手放すことは非常にまれです。
 だから、事の是非にかかわらず、地位協定の改定には応じたくないのでしょう。

 しかし、日本では、明治時代の初期、徳川幕府が飲んでしまった不平等条約の、「治外法権」条項を改める為に、非常に努力をし、その悲願をかなえた外交官は、高い位の勲章を授与されています。
 明治時代の政府ができたことを、「日米同盟は外交の主軸」、「対等のパートナー」と双方が礼賛する2国間において、話し合いすら行おうとしない、国民への説明すらしようとしない、今の自民党政府の態度って、いったい何なんでしょう。
 野党はせめて、その理由を明確にするように、国会で追及してほしいです。
 被害者にとっては、人間としての尊厳と、自国の庇護が受けられないという不条理。国家としては、敗戦後63年が過ぎてもなお、まともな理由さえ述べられない保守政党への不信。

 この疑問に答えることが、最低でも政権党の義務であり、それができない政府に、右翼さんたちは、国辱的であるとしてかみつくべきかと思います。
 誰か、この疑問に、まともな意見で答えてください。地位協定存置は、国益であり、日本国の尊厳を守るものだということを。

(本日もランキング応援お願いします。)
posted by 眠り猫 at 00:57| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(4) | 政治

2008年03月12日

産経、新潮社、文芸春秋社などの保守論壇の停滞と没落

 記事作成中に、原因不明の部分停電が起きて、書きかけの記事が消えてしまった。めげずに書きなおす私。(偉い?)

 さて、記事の前に御礼を。昨日お願いした方々のご支援により、アクセスランキングにおいて、右派ブログを追い抜き、振り切り、12位(皆さんの画面上からは9位に見えるはず)を確保できた。深く御礼申し上げる。ただ、まだそのまた下の歴史修正主義者のブログとの差もあまり開いておらず、できれば、引き続き、ご支援を賜りたい。よろしくお願いします。ポチっとな。

 今日の記事では、個別の事件についてでは無く、最近目につく産経新聞や新潮社の記事による、沖縄における米兵少女暴行事件や、イージス艦ルール違反による漁船撃沈事故に対する、常軌を逸したとしか思えない内容の、支離滅裂な論調を、過去からの私の経験を踏まえて論評してみたい。

 私自身は過去、一度として自分から産経新聞や週刊新潮、週刊文春を購入したことはない。文芸春秋は、芥川賞受賞作品を読むために購入したことはあるが。
 産経系列は、フジサンケイグループとしては、フジテレビの人気をはじめ、マスコミとして大きな勢力だが、産経新聞だけを取り出してみると、とても「4大紙」と呼ばれるにはふさわしくないほど、発行部数で他の3紙に大きく水をあけられており、夕刊も発行せず、広告が多い以外、ページ数も少なく、実際には日本経済新聞や、地方紙に分類される東京新聞と中日新聞(この2紙は、事実上同じ編集部が作っており、地方面を除き、同一である)を合計した発行部数を下回っており、新聞としては2流以下の存在と見て間違いない。記事内容でも、芸能人スキャンダルやゴシップ、性的な記事が他紙に比べて多く、一部では、「夕刊フジの朝刊」という揶揄さえ聞かれる。

 しかし、週刊新潮と、週刊文春は、発行部数で、1、2位を争う有名な週刊誌であり、月刊誌の文芸春秋も、中道リベラルだったライバル、中央公論が同じ保守系の読売新聞の傘下に下り、骨抜きにされて、政治的月刊誌としては、日本論壇に君臨する存在と言っても過言ではあるまい。
 前置きがとても長くなったが、今日はこれらの保守系マスコミに登場している、保守論壇の、停滞・硬直ぶりと、あまりのレベルの低下に、日本の保守のレベルの低下と、そこまで詭弁、暴論を尽くさねば糊塗できないほど、日本の保守政党=自民党の行いが、劣悪になっていることを論証したい。

 はじめに述べたように、私はこれらの保守論壇のメディアを直接は読んでいない。半ばは、身が穢れるとさえ思っているからだ。しかし、ネット社会は便利なものである。たとえば、GOOGLEニュースというサイトでは、時々刻々のニュースを、ソースを示して表示してくれる。このサイトで扱っているニュースソースは、海外の物も含め、610に及ぶ。毎日そこを見ることによって、左派系も右派系も、何を述べているか、即時にわかるのである。しかも無料だ。さらに私の知人のブログでは、私が感情的に忌避している右派の記事を、毎日ニュースクリップのように曝してくれる。知人の意図は、右派論壇の発言が、いかに破たんしているかを、原文を曝すことでアピールしようとしているのである。時には官邸メールマガジンも載る。この2つのネットの情報源により、私は、まったくお金を使わずに、右派論壇の主な記事、ニュースを手に入れることができている。

 そこで気がついたことなのだが。最近批判されている、産経論壇上での花岡客員編集員の、暴論の数々は、多くのサイトで問題視されている。しかし、産経新聞は、今から30年近く前の、アメリカの核ミサイル原潜による、日本の貨物船への当て逃げ、2人死亡の事件の時にも、「アメリカのミサイル原潜は、日本を守ってくれているのだから、2人死んだ程度で、批判するな」という暴論を社説で展開した過去があり、花岡個人に限らぬ、昔からの産経の主張の仕方なのだ。

 私は、大学時代、大学図書館での雑務をするバイトをしていた。近いし、バイトしながら本や雑誌を読む機会もあったし、安かったが非常に気に入っていたバイトである。そこで、保守派の意見も、これまた無料で読んでいたのである(エヘッ)。そのころ(今から30年近く前)、産経新聞や、上記の各種保守系雑誌の論壇で、自民党擁護、反自民批判を展開していた論客の顔ぶれは、なんと今とほとんど変わらないのである。私がさらしものにしている曽野綾子を始め、上坂冬子、渡部昇一など。すでに鬼籍に入られた上智大学の学長だった人物などや、かなり没落した竹村健一などである。最近登場したニュー・フェースは、クライン・孝子という、ドイツ在住60代の女性という以外、経歴などもよくわからない、なぜ彼女の意見が「大」(嫌味です)新聞に掲載されるのか、学問的、常識的価値観ではとても信じがたい発言をする人物くらいだ。

 つまり、保守派の発言者は、まったく変化しておらず、その意味で保守派論壇の停滞は著しいものがあると言えるであろう。30年近い時代の中の動きとしては、論者は変わらないものの、「歴史修正主義」がやたらと、歴史学者でも何でもない、物書きである人物らによって繰り返されるようになったのが目立つくらいである。
 そして、最近の、産経や、新潮社の、沖縄の少女への人権侵害、セカンドレイプと言われるような、本末転倒の支離滅裂な愚昧な発言程度が、今の保守論壇の中心なのである。

 要するに、自民党支持の論調を語る人物は30年近くも変化しておらず、その老衰が始まった頭脳で、実際には他のプロンプターがでっち上げた、下劣で論理のかけらもない文章を垂れ流すところにまで落ちぶれているのである。

 牽強付会かもしれないが、私はこの状態を、自民党政治の限界が来ているのだと感じる。もはや政策の優劣や、論理的な議論に耐えうる議論を展開することができないほど、自民党政治の劣化は進み、論壇で、保守を支える新たな「まともな」人物が登場することもないほど、人材が枯渇し、旧来の、金をもらって、媚を売るだけの、三流物書きに依然として頼らざるを得ないほどにまで、かばいようがないほど、自民党政治が劣化していると断定できると思う。

 保守論壇の停滞と没落が意味するのは、そのまま、褒める点を失った、自民党政治の停滞と没落を象徴するものだと思う。とどめを刺すのはもうすぐだ。

(本日も、ランキング応援よろしくお願いします。)
posted by 眠り猫 at 08:09| 東京 ????| Comment(9) | TrackBack(3) | 政治

2008年03月11日

ちょっと変だよ?サミット警護訓練。

 風邪はまだ治らず、今日は通院して強めの薬をもらってきた。
 そこで、早く寝る為に、明日の分の記事を早めに書いている。
 ですが、旅行に行って、日本のニュースから遠ざかって以来、相変わらずのネタ不足。同じネタを回すのは主義では無いし。
 その時、横でつけ放しにしていたテレビから、「反グローバリズム・・・」っという言葉が耳に飛び込んできた。

 ここのところ、反新自由主義=反グローバリズムの記事を書き続けてきたわけだが、日本のマスコミは、ごく一部の例外を除いて、グローバリズム・マンセーの状態だったはず。
 そこで、何事かと思ってテレビに目をやると、映っているのは、警察の機動隊がフル装備で何かの訓練をしている様子のニュースだった。
 さらに聞くところによると、夏に行われる、洞爺湖サミットの警備のための訓練で、「反グローバル主義の活動家のテロから、サミットを警護するという想定」っだそうだ。

 びっくりした。確かにその後のニュースを聞くと、ドイツなどで、国際会議の場に、反グローバル主義の活動家が集まり、投石や火炎瓶を投げるという騒ぎがあったという。それを受けての訓練で、外国から来る活動家も対象にしているという。

 まぁ、現場の警備をする立場からすれば、このニュースを聞いた限りでは、ありうることとして、訓練をしているのだろう。
 だが、「反グローバリズム」は、テロ集団だろうか?
 経済政策のあり方の問題であり、確かにグローバリズムの進展により格差が拡大した国では、その犠牲者による反グローバリズムの活動が起きているのかもしれない。

 実は、私のブログも、半年ほど前、2ちゃんねるの複数のスレッドで、「猫の教室」という名前をネタに、いきなり、「テロリスト養成学校」と決めつけられ、記事の内容とはまったく無関係な非難をされたことがある。その後スレッドを見守っていたが、こんな些細なブログを相手にする人などおらず、時たま、覗きにきた酔狂な人が、「この内容のどこがテロリスト?」などという書き込みが、そのスレッドになされたことが数回あっただけで終わった。

 しかし、リアル世界の右翼=暴力団であり、警察は暴力団が経営する企業に天下りするケースが報告されている。私に、根拠もなく、内容も虚偽の因縁をつけてきたのはネット右翼である。
 とすると、想像力をたくましくすると、「反新自由主義」をブログなどで提唱しているだけで、テロリスト予備軍とされかねないのではないか?

 単なる訓練の想定ではあるが、反新自由主義=反貧困を主張するものとして、テロリスト予備軍と言われるのは全く持って本意では無い。

 私は、「反米大陸」の書評記事でも書いた通り、南米が、悲惨な歴史を経たうえでも、「正当な民主的選挙によって」、反グローバリズム、反米の政権を打ち立てたことこそを評価しているのだ。テロなどしても世の中が変わるとは全く思っていない。

 こうして、ブログやメーリングリストで、他の人々とつながり、意見を交換して自分の知識を深め、その上で、新自由主義(グローバリズム)は、貧困を拡大する、富める者のためのみの経済政策であると言う結論に達して、こうしてブログを書いているのだ。

 アメリカが、政府に反対する者を、勝手に「共産主義者」とレッテルを張り、取り締まった時期もある。国に対しても、「親ソ連政権」であるというだけで、自由主義の敵と言われ、米国の攻撃を受けた例がいくつもある(ベトナム、グレナダ等)。

 反グローバリズムも、このままいくと、テロリスト扱いされるのだろうか?
 どこか変である。何かがおかしい。ケインズ主義か、新古典派理論(新自由主義)に基づく経済をとるかの政策論を自由に考え、主張することが、取り締まられる時代が来てしまうのだろうか?

 杞憂に過ぎないことを祈る。

(よろしければ、ランキング応援よろしくお願いします。相変わらず併走状態。)

posted by 眠り猫 at 19:40| 東京 ????| Comment(4) | TrackBack(1) | 独り言

「新銀行東京」は、業務を停止して、会社清算するべきだ

 東京都の石原慎太郎知事の肝いりで設立された、「新銀行東京」が、1000億円を超える損失を出して、問題となっている。都知事側は、経営陣を入れ替え、さらに400億円の追加出資をして、営業を継続するとしているが、議会では、都知事の責任や、400億円の追加出資の妥当性などをめぐって、議論される予定になっている。

 まず、あらかじめ断わっておくが、普段の記事からご想像いただけるとおり、私は極右の石原都知事が大嫌いである。
 しかし、今日のこの記事においては、知事への好悪の感情による偏った記事を書くつもりはない。

 新銀行東京は、3年前、石原都知事の発案で、現在の新自由主義経済体制のもとで、厳しい競争にさらされ、経営が困窮している中小企業を救済するために、一般の銀行より緩やかな審査基準で、低利の融資を行うことを目的に、都が1000億円を出資して設立されたものである。

 私は、この施策を間違いと断定することはできない。東京都の産業を支える中小企業は、東京都に本社を置く大企業からの税収入に比べれば、都の財政への寄与は少ないかもしれないが、東京の地場産業として、地元の雇用を多く引き受けてきた存在であり、中小企業の経営悪化による倒産の続出は、単に税収の悪化という問題を超えて、東京と言う都市の活力を削いでしまう危険があった。

 だから、公的金融機関を作り、中小企業を支えようという、設立の趣旨は、批判されるものでは無いと思う。
 しかし、設立時に既に予想されていたはずであるが、一般の金融機関から融資を断られるほど経営が行き詰っている中小企業への融資は、その企業の倒産による、債権回収不能、つまりは「貸し倒れ」による損失のリスクが高いことは、誰にでもわかる。

 それでも設立した以上は、最初から経費をとことん切り詰め、極論を言えば、職員は全員都の職員として扱いその人件費を都がすべて負担するなど、一般金融機関以上の経費削減が必須条件だったはずだ。
 ところが、新銀行東京は、通常の銀行と同じ株式会社として設立され、役員、職員には、一般の金融機関の経験者を採用して業務を開始した。
 都の目的を承知している以上、新銀行東京の経営陣、職員は、予想されたリスクを負ってでも、緩やかな審査基準で、他の銀行などに融資を断られるような企業にも融資を行ったのである。

 もし、新自由主義による市場競争原理の暴虐がこれほどで無ければ、景気が回復し、その過程で融資先の中小企業の経営が立ち直り、融資の回収ができた可能性はあったはずだ。
 しかし、そうはならなかった。それは、予想されていたことでもある。しかし、都という行政機関として、そのリスクを覚悟の上で、新銀行東京が融資を続けていたことを、経営陣の見通しが甘かったと言って、非難することは誰にもできないと思う。

 問題は、上記のリスクが現実のものとなり、貸し倒れが続出し、損失が1000億円以上と、原資を上回り、債務超過状態になるほどに、経営が悪化したという現状にどう対処するかである。
 石原都知事側は、このままでは損失を回収できず、業務ができなくなるとして、金額の根拠を示さずに、400億円の追加出資を議会に求めている。
 私は、現在の内外の経済情勢を勘案するに、新銀行東京が、従来と同じ方針で業務を続けても、損失を拡大するだけであると考える。
 中小企業の経営が悪くなった根本の問題である、新自由主義政策を、政府が続けている限り、また、今、アメリカのバブルが崩壊する危機がささやかれ始めている時に、3年前よりも悪化した経済状態で、同じことを続けるのは無謀である。

 また、新銀行東京の損失の拡大を、当初の設立趣旨に沿っただけの前経営陣にすべて責任があるとして批判する、現経営陣と、都知事側が、設立趣旨を見直して、これまでの損失を穴埋めしていくための利益をだすため、審査基準を厳しくし、融資して儲かる企業だけを相手に業務を続けるというのでは、一般の金融機関と同じであり、都が出資して、中小企業救済のために作られたはずの新銀行東京の存在意義は失われる。

 というわけで、基本となるビジネスモデルと見通しがはずれ、現実の経済がさらに悪化する方向に向かっている今、新銀行東京が存続する意義は失われていると考えるべきだ。
 ここで追加出資をして、業務を継続するよりも、撤退する方が得策である。そうでないと、追加出資の400億円も回収できなくなって、泥沼に落ち込んでいくだけである。

 では、どのようにして撤退してその後始末をするかというと、まず、現在貸し出しをしている債権はすべて都が買い取ることにする。都は、その債権の回収期限を延長することで、中小企業の負担を減らし、長期的に回収していくしかない。貸し倒れが発生したら、それは破産関係法規上、もはやどうしようもない。行政の損として、予算内で処理するしかない。
 しかし、こうすることで、株式会社新銀行東京は倒産する可能性があるが、東京都が倒産(自治体で言う財政再建団体化)する可能性は極度に低いので、同じ税金による損失を抱えるとしても、まだ融通が利く対処ができるはずである。

 債券を都に売却した新銀行東京は、その分、キャッシュフロー上の損失は減ることになる。その上で、会社を清算して、業務を停止する。都は、買い取った債権はその時点ではまだ有価であり、すぐには損失は出ない。貸し倒れが起きたときにのみ損失が発生するが、それは都財政の中でやりくりできる範囲のものである。
 はっきり言ってしまえば、都の財布の中で、税金があっちに回ったり、こっちに回ったりしているだけで、新銀行東京が出した損失分はそのまま都が負担することになるだけであるのが現実であるが。

 上記の意味では、これは失政である。
 だが、当初目的は、定性的には良かったのである。現実が厳しかったということであり、株式会社形式の銀行を都の出資で設立するというビジネスモデルが甘かったというほかは無い。

 他にも、都自身が、低利の融資を行ったり、経営の厳しい中小企業の法人住民税などの減税または免除するなどの方策に、そのお金を使った方が良かったと、今思えば言える。しかし、それは後知恵というものであり、都知事以下、都の財政当局者が、石原知事自身が支持する自民党政府が行っている、新自由主義政策の、自由競争の暴虐がここまでひどいと気づかなかったのであろう。
 最終責任は、石原都知事とそのブレーンにあるのは確かだが、設立時、それに反対しなかった議会も同罪である。

 と言うことで、私は、新銀行東京の清算、撤退を提案する。

 ただである。現在、新銀行東京の損失の責任がすべて前経営陣にあるとして現経営陣が批判し、都知事までもがそれに便乗しているのは、誤っているし、卑怯である。責任は、最終的には、都行政の最高責任者であり、発案者でもある石原都知事に帰趨する。その点を言い逃れようとする態度は大いに批判されるべきである。また、責任を旧経営陣になすりつけてごまかして、3年前より悪い環境の下で、さらに400億円を出資するというのは、もはや失政を通り越して、暴挙である。

 都知事を含め、人間である以上、間違いを犯す可能性は誰にでもある。ただ、あくまでも自らの責任を回避し続けて、間違いを認めず、それを糊塗するために税金からの追加出資により業務を継続させて、損失を拡大し続けるというのであれば、その態度は厳しく糾弾されなければならない。

(本日も、ランキング応援よろしくお願いします。現在12位をめぐって、右派ブログとデッドヒート中。)
posted by 眠り猫 at 09:06| 東京 ????| Comment(10) | TrackBack(7) | 政治

2008年03月10日

63年目の東京大空襲の日に。不戦の誓いをあらたに。

 昨夜は、風邪などもあって、意識が半分飛んでいたようなので、唐突な記事を書いて、申し訳ありませんでした。すでに削除してしまいましたが、すでに読まれた方、忘れてください(恥)。

 さて、体調不良のため、調べ物にも熱が入らず、今日の記事も準備不足です。
 テーマを何にするか迷ったのですが、今日は、東京大空襲から63年という報道を受けて、太平洋戦争の受け止め方に、人によって大きな違いがあることを述べ、それを踏まえてもなお、不戦の誓いを新たにしたいと思います。

 まず、建前で言うと、戦争は悪であり、それ自体が犯罪的行為です。
 しかし、わずか半世紀と少し前までは、日本を含め、欧米列強も、アジアを中心に、植民地の権益を奪い合うための、帝国主義国家同士の戦争をしていたのです。
 植民地の人々については一切顧みることなく、列強は勝手に戦争をしました。

 太平洋戦争も含む、第二次世界大戦という枠で考えると、「連合国側」と「枢軸国側」の戦いでしたが、前者が、アジアに既得権を確保していた先行した帝国主義国家。後者がそこに割りこもうと言う、後発の帝国主義国家と言えます。

 例えるに、2匹の犬が、1本の骨をめぐって喧嘩をしていた際に、先に骨をくわえていたのが連合国側、あとから来て骨を奪おうとしたのが枢軸国側と言うわけです。
 ですから、この2匹の犬に、差はありません。どちらも植民地と言う「骨」を奪い合う、自国の利益だけを考えた、侵略国家だったのです。
 ですから、私の個人的見解では、連合国が正義で、枢軸国が悪と言うのは間違った、勝った者が、あとづけで歴史を書いたものに過ぎないと思います。

 こう書くと、右翼が言うように、連合国も同罪であり、東京裁判やニュルンベルグ裁判で、敗戦国を一方的に裁く資格はないというロジックと同じようになります。
 しかし、右翼は、「だから日本は悪くない」と言いますが、私は「いや、双方が悪なのだ」と考える点が違います。アウシュビッツや南京大虐殺は、確かに枢軸国側の許し難い犯罪です。しかし、アメリカの日本やドイツの主要都市への無差別爆撃は、民間人への攻撃を禁じた国際法に違反する、一方的虐殺行為であり、東京大空襲もその一つです。最後には原爆投下と言う、人類に対する犯罪とも言えることをアメリカはしています。アメリカではこの事実をできるだけ自国民に知られないようにしています。

 しかし、日本人の、あの戦争に対する評価も、戦争体験者の中ですら分かれます。
 私にとって身近な例を引くと、私が今所属している市民団体の大元の組織で起きたことなのですが、本来は、戦争体験を語り継ごうという趣旨で設立された組織なのに、やがて内部で(特に、軍人だった人を中心に)、「あの戦争は祖国防衛戦争だった」「だから、神風特攻隊などの靖国の英霊を軽んずることは許さん」と言う、どこかで聞いたことのある主張になり、「自分は軍人だったので、戦争をもっともよく知っている。だから自分の意見に従わないものは許さん」となってしまいました。

 その一方で、あの戦争を、「二度と繰り返してはならない愚行として、その悲劇を語り継ごう」と言う、会の本来の趣旨に沿った考えの人たちとの間で、対立が起きました。

 その論争は実は今でも、その組織の中で続いていますが、あまりに不毛な論争に辟易して、団体の本来の趣旨に賛同する人たちだけがスピンアウトした別団体ができ、私はそこに所属しています。
 同じ戦争を、同じ日本人として体験してきても、これほど真っ向から対立する意見の相違になってしまうのです。

 「祖国防衛戦争」だと主張する人たちは、元は大陸への侵略から始まり、朝鮮併合や、満州国傀儡政権の樹立、南京虐殺などについては、耳をふさいでしまうのです。都合の悪いことは無視して、今盛んにおこなわれている、歴史改ざん主義に賛同して、あくまでも日本は正義の戦争を戦って、奮戦むなしく敗れたのだ、と言う価値観を捨てないのです。
 戦争体験は無いけれど、歴史をきちんと教えられた私には、「祖国防衛戦争論」は、自慰行為にしか見えません。自分の犯した過ちや罪をごまかし、正当化して自己満足するための詭弁としか見えません。
 しかし、自民党政府が率先して、教科書をいじくり、歴史改ざん主義のために、曽野綾子、上坂冬子、渡部昇一、最近では、正体不明のクライン・孝子とかいう連中を使って、産経や文春、新潮などの保守論壇で歴史を直視しない発言を繰り返し、そしてそのサルまねをするだけの、軽薄なネット右翼たちが、ネット上で妄言を吐き散らす状況になっています。

 たとえば、大江健三郎氏の著作「沖縄ノート」に対して、曽野綾子が、「罪の巨塊」と言う単語を、「罪の巨魁」と誤読して批判した文章を元に、元軍人や、軍人の弟が大江健三郎を訴えた、名誉棄損等への損害賠償請求裁判があります。
 まだ判決は出ていませんが、実は訴えた本人たちは、肝心の「沖縄ノート」を読んでいないことが明らかになり、曽野綾子が、誤読して批判した文章だけを根拠に、訴訟を起こしたことが明らかになっています。たぶん、曽野綾子の文章を読んだ何者かがそそのかしたのではないかと思っています。

 このように、歴史改ざん主義者らは、不都合な事実は、無かったと強弁し、嘘も百万遍繰り返せば、真実になるとばかりに、保守論壇上で騒ぎ続けているのです。
 どう見ても侵略戦争だったあの戦争を、戦争の終盤、日本本土が攻撃を受けるようになった時期だけを取り出し、「祖国防衛戦争だった」と言い続けるのです。

 確かに、爆撃を受けて肉親を失い、炎の中を逃げ惑った人々は、その悲惨な体験をもとに、自分たちは被害者だと考えます。それはやむを得ない心情だと思います。しかし、そのような事態を招いたのは、そもそも日本が、帝国主義的侵略を、大陸とアジアに対して開始し、そこで、既得権益を持つ、英米などと衝突し、押し戻された結果、本土への爆撃、最後には原爆投下と言う悲劇を招いてしまったのだと考えるべきなのです。

 このように、歴史の本当の事実を直視せず、自分たちの感情に快い言説だけを取り込む人々が多く、戦争を知らない世代に、あたかも日本は正しかったのに、連合国側に不当に蹂躙されたという認識を植えつけようとし、一部は成功しているのです。
 これは、利権のためにイラクに侵略したブッシュ大統領が、侵略の根拠とした大量破壊兵器が見つからなかったら、突然、この戦争は、イラクに自由と民主主義をもたらすために、独裁者を打倒する戦争だと、言葉をひるがえしたことに似ています。アメリカ人の一部にとっては、その方が耳に快く、自分たちは正義だと信じ込めるのです。
 現実には、ブッシュ大統領は今や歴代大統領の中で最低の支持率であり、多くの人はその嘘を見抜いていますが、ブッシュの言い分を信じて支持している人がまだ30%もいるのです。

 私たちは、今後軍備を拡大していこうという、軍事利権を漁るための政治家たちが、戦争を肯定しようとするたくらみのために、歴史を改ざんしようとしていることを知っています。
 私たちは、これらの馬鹿げた動きよりも、倫理的に一段高い見地に立ち、「あらゆる戦争は、犯罪なのだ」ということを、後世に伝えていかねばなりません。

 東京大空襲や、沖縄の地上戦、そして原爆投下は、確かに被災者にとっては悲惨な記憶でありますが、それゆえに、二度とそんなことが起きないようにと言う意志を込めて、歴史を直視し、すべての戦争を否定するべきなのです。
 それこそが、現行憲法9条における、戦争放棄の精神なのです。

(アクセスランキング、応援よろしくお願いします。現在13位。せめて1つ上の右翼には勝ちたい。)

posted by 眠り猫 at 22:15| 東京 ????| Comment(4) | TrackBack(2) | 戦争

2008年03月09日

引き続き、新自由主義に代わるより良い政策の「提言」

 昨日は、未消化ながら、新自由主義批判で展開した現在のコイズミ・カイカクの問題点を改めるための政策提言をしてみた。
 ブログ記事自体にはコメントは多くはつかなかったが、私が加わっているmixiの上での議論で、いくつかの有益なご意見が寄せられた。それに啓発されて、今日は唐突だが、「道州制」について述べてみたい。
 また、昨日の記事に関連するブログ・エントリーとして、「きまぐれな日々」の昨日の記事、「日本人はどのような社会経済システムを望んでいるのか」(http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-587.html)が、まことに参考になる。私の未消化な意見も、あながち的外れではないようだ。

 「道州制」については、これまでどのような議論が行われてきたか、実はほとんど知らない。
 ウィキペディアで調べてみると、百家争鳴、同床異夢の状態だし、国民の関心も低いという。
 ここでは、ウィキペディアの最初に出てくる3類型のうち3番目の地方への財源と権限の移譲を進める案を基本に述べていきたい。

 基本的に、今の、幕末の藩の区割りを起源とする都道府県という地方自治体の単位と、その財政、及び権限を、より大きな地方区分の「道州」に集約して、より効率的で、広域行政をスムーズに行おうという考えが基礎であることは間違いないだろう。そしてそこに、国の方からも、財政と権限が移譲され、国家規模では外交と警察(軍を含む)だけの「小さな政府」の実現。他方で、国民にとっては、今までよりも身近な形で行政サービスを受けられるという面を持つものと思う。

 新自由主義的構造改革を行うとしたら、あるべき姿を大きく逸脱しているコイズミ・カイカクの最大の欠点の一つは、本当の意味での構造改革ではなく、自らの利権基盤を温存・拡大し、中央集権的に国家を支配し、富と利権の東京への集中を招いたことだと思う。
 コイズミが「自民党をぶっ壊す」と叫んで破壊したのは、地方への公共投資を通した、自民党経世会路線の土建利権の構造だった。しかし、コイズミは、地方への公共投資に、中央のゼネコンを入り込ませ、地方にお金を落とさず、自分の利権の温床である大企業に金を落としたのだ。

 自民党の道州制に関する意見も、コイズミ構造改革の建前の小さな政府に逆行して、権限や財源は中央が握り、地方の雑多なことだけを道州制に押し付けるものだという。全くふざけた話だ。

 コイズミ・カイカクが仮想敵としたのは、自民党経世会であり、自分たちの重工業や金融という、都市型利権の構造は逆に強化したのだ。これでは、ただでさえ富の偏在が起こりやすい新自由主義の、悪い面が助長されるばかりで、地方も疲弊し、都市部でも労働者の賃金が増えず、不正規雇用が増大するという結果を招いている。

 コイズミ・カイカクは、新自由主義の政策としても、欲と利権が絡んだ、ゆがんだものだったのである。郵政民営化も、かねてから「民業圧迫」と言って、郵政事業を非難していた、民間金融機関や、輸送・宅配便業界からの裏の要請を受けて行ったものであり、そこにはそれらの業界との癒着が先にあり、郵政民営化は、新自由主義の構造改革を建前として、必要性の有無の議論さえなしに、強引に行われたのである。

 話がまた新自由主義(特にコイズミ・カイカク)批判になってしまった。道州制の話に戻ろう。
 道州制についてはかなり前から意見は出されていた。地方の区割りは、今の「〇〇地方」という区割りを考えればほぼ間違いないだろう。新潟県のように、東北地方としてまとめるべきか、別に北陸地方を立てるべきかは、必要な議論だが、ここでは関係ない。

 道州制の最大のメリットは、国が独占していた中央集権的な行政の大部分を、道州単位に権限と財源を振り分け、これまでの国家行政の迅速化、今までよりもきめ細やかな、各地方に対応した行政の実施。もはや150年近く前の、藩体制を県と言う自治体に移行しただけで、交通機関の発達などで、もはや広域行政に対応できなくなった都道府県単位の行政を改善するとともに、その都道府県ごとの知事、議員などの削減を図れるなどである。

 行政単位としては、これまでの都道府県に準じた行政サービス機関は必要だと思うが、それはあくまでも出先機関であり、そこに利権まみれの知事や地方議員は不要だ。明治以降培われてきた、地方利権の抜本的な一掃が図れる一方で、コイズミ・カイカクのような、東京の大企業への一極集中も避けることができる。

 もちろん、これは理想論であり、結局は道州制の組織に応じた利権構造を作ろうとする人々は多いに違いない。また、今の地方利権のボスである、知事、県議会議員などは、猛烈に反対しているわけだし、彼らを自分の選挙区の集票マシーンとして利用してきた保守政権の政治家たちも、道州制には消極的になるわけだ。

 そのためか、道州制導入の議論は、ずっと昔からあるが、本格的に導入しようという動きにはついに至っていない。

 今日の記事としては、ここまでとし、引き続きご意見を募集したい。私も道州制に詳しいわけではないし、都道府県の下の市町村のように、道州制の下に、結局は都道府県が残るのではないか、そうすると、屋上屋を重ねるだけの組織になりはしないかという懸念はある。
 また、道州制のマイナス面として、これまで150年にわたって、都道府県単位で整備されてきた道路インフラのために、島の中央に険阻な山脈がある日本列島で、今までの〇〇地方と言う形での道州制はかえって非効率となる可能性もある。地域区分自体も既成概念にとらわれず、考え直さねばならないと思う。

 肝心なのは、今まで中央が握ってきた、財源・予算配分権限を、道州単位に分けてしまうことだ。そうすれば、舛添(別名、馬鹿添、ハゲ添・ハゲの人すいません)の言うような「補助金をもらわないで言え」などと言う、中央政治家の傲慢も排除できるし、岩国市で起きたような、補助金を人質にとっての、中央の横暴もある程度は防げるかもしれない(単位が小さくなって再生産されるだけかもしれないが)。
 沖縄についても、今は鹿児島県の一部である奄美群島も含めて、ひとつの州にして、しかもそこを経済特区として、東アジアの物流、人や知識、物の交換の中心として発展させ、そこでの税収は直接沖縄の財源となるようにすれば良い。かつて、琉球王国が海上貿易の中心として栄えた当時の言葉、「万国津梁」(世界をつなぐ橋となる)っということを、現在に復活させるのだ。さらに、米軍基地への「思いやり予算」とやらの配分権や交渉権もこの州に付与すれば、沖縄の米軍との交渉でも今よりは強い立場になれる(個人的に、私は沖縄の半独立を支持している。)。

 土建利権も、コイズミ型都市利権もいったんぶっ壊して、そういう異物が混入しないように注意しながら、段階的に道州制への移行を考えてみてはどうだろうか?
 ご意見を期待したい。
 ひとつ前の記事についてのご意見も引き続き募集しています。

(今日もランキング応援、よろしくお願いします。)
posted by 眠り猫 at 00:05| 東京 ????| Comment(6) | TrackBack(8) | 政治

2008年03月08日

注釈:私のブログのコメント欄の承認制について

 これは、通常のエントリーではなく、ちょっとした注釈です。

 ブログ開設以来、ほとんどの期間、コメント欄は承認制にしていませんでした。
 しかし、つい数週間前に、「にほんブログ村」のアクセスランキングに参加した際、目立つことによって、ネット右翼が来襲するのではないかと考えて、コメント欄を承認制にしました。
 結果的に言いますと、ミラクルさんのブログ経由で来た人が、イージス艦のインド洋派遣目的について文句を言ってきた以外は、さほど過激なコメントは来ていません。

 また、現状見ていると、私のブログに好意的なコメントばかり表示しているように思われるかも知れませんが、本当にそういうコメントしかいただかないのです。
 批判的コメントを封じているということは、全く無いのです。

 以前から、他のブログに比べて、ネット右翼が来ないなぁ、なぜかなぁ、と考えていました。
 想像するに、私の記事はあまりにも理屈っぽくて、感情優先のネット右翼には、かみつく場所が見つからないのかな?と思っています。

 でも、トラックバックでは、数件右翼は来まして、表に出さずに削除したのはあります。
 だから、隙を見せると、やはりやってくると思うので、コメント欄の承認制は、当面続けさせていただきます。申し訳ありません。

posted by 眠り猫 at 23:50| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(1) | 独り言

新自由主義「批判」の後は、「提言」をしないとね

 一昨日までは、新自由主義と、それに基づく経済政策により日本社会に起きている問題点などを批判してきた。当面の批判はこれまでとするが、以前、下弦の月を眺めながら考えたように、ただ批判し、ののしるだけでは、感情論だけのネット右翼と五十歩百歩である。

 そこで、今日から、新自由主義によって荒廃しつつある日本をどう改善していくかの提言を考えていきたい。ただし、この方面には私は必ずしも詳しくない(私の専門は法律であり、経済は本来門外漢である)ので、誤りがあればご指摘願いたい。また、さらなるご提案などは大歓迎である。

 さて、新自由主義のもたらした問題の一つに、「富の偏在」がある。わかりやすく言えば、「格差の拡大」だ。これを是正するためには、コイズミが行ったことの逆をやるのがまず基本となるだろう。以下列挙する。

・不正規雇用をなくし正社員化するために、労働・請負関係法規の改正と最低賃金の上昇。
・企業に収益の社員への還元を、より強く強制する。
 一昨日の報道によると、福田首相が官邸メールマガジンで、「春闘で賃上げを」と述べたが、その主旨は正しい。今は、賃上げで購買力を増し、内需を拡大することしか、日本がスタグフレーションに落ち込むことを防ぐ方法はないのだから。ただ、もし本気でそう思うなら、メールマガジンに書くだけでなく、行政指導を含め、もっと企業に圧力をかけるとか、収益のどの程度を賃金に割り当てるかのモデルケースを算出して開示するとか、従わない企業やその役員の名を公表するとか、もっと具体策がほしい。
・生活保護の金額、受給資格を改善し、生活保護家庭の所得を増やす。
 これも内需拡大につながる。
・医療面の保障、勤務医への報酬などを引き上げる。
 これは、生存権を保障するための措置で、直接は富の偏在とは関係しないが、貧乏な人が医者にかかれない社会にしてはだめだ。

 これらは、新自由主義で否定された、ケインズ経済学の思想である(たぶん)。
 また新自由主義の泰斗、フリードマンの「負の所得税」を考慮するなら、年額100万円前後(今のネットカフェ難民の水準)を一部富裕層を除き、全世帯に一律に給付するというのも一つの考え方。ただしこの場合、他の生活保護は出ない。年金は出るし、働いた分は自分のお金。


 ついで、財政赤字が大きい(と言われる)中、これらの財源をどうするかである。
 定性的には簡単なことである。これもコイズミがやったことの正反対をやれば良い。

・累進課税制度の復活(ただし税率と制度的には少し手を加えたいが)。
・奢侈税(ぜいたく品税)の復活。
・企業所得にも利益分には累進課税で増税を。
・企業も個人も逆累進減税の導入。

 そしてこのあとは私の持論だが、
・消費税はアップ。税率は10%。
・ただし、食料品など生活必需品は非課税とする(きめ細かく対応しなければいけない)。
・免税資格者(生活保護受給者など)にICカードを発給し、今のPOSシステム上でその他の物も免税できるようにする。
・ぜいたく品には、奢侈消費税を設け、税率をさらに上げる。そもそもぜいたく品などは、世の中に不要なものなのだから、ほしい人は高い金を払って買えば良い。いやなら買わなくても生きていける。
・各種特定財源(道路を含む)のすべての一般財源化。
・社会保障と消費税は一体と言う自民党の論理はまやかしであり、社会保障を施政の最優先事項の一つとする。
・軍事費の削減。たとえば人口一人当たりの軍事費を中国と同額に。そうすれば軍事費は5兆円から5000億円以下に削れる。これでもF-15戦闘機が30機以上も新規に買える。イージス艦なら3隻作れる。韓国よりは少額だが北朝鮮よりは多いはず。

 アメリカは人口一人当たり、中国の50倍前後の軍事費を使っている。アメリカ様に守っていただいているから、少女が暴行されても泣き寝入りしなければならないと保守が言うなら、日本は軍事費を削減して財政負担を無くし、とことん守ってもらおう。
 沖縄の基地は、日本中の各地に移転分散。そうすれば、本土の人間も、沖縄の痛みが少しはわかるはず。(私の育った神奈川県でも、横須賀の海軍基地の米兵が中年女性を強盗殺害したり、厚木基地の騒音被害は深刻である。)

・政治家、高級官僚、企業経営者などの不正、汚職の場合、全財産の没収(アメリカでは本当にやった。あまり報道されていないけど。)。不正の防止効果も期待できる。

 以上で、財政の収支が均衡するのかどうかは、経済、財政の素人なのでわからない。もし足りないなら、アメリカ国債を売ろう。余るなら、別に企業をいじめるつもりも無いから、財政赤字を削減しながら、企業にも減税を。

 外交も含めての経済の方向としては、現在は社交辞令の美辞麗句でしか無い、「東アジア共同体構想」を具体化し、アメリカ依存経済から、東アジア圏内での、互恵的なブロック経済を志向する。
 覇権主義的な中国との調整が急務である一方、日本が覇権国家化しては、結局は太平洋戦争の二の舞である。日本は一応現在の国力で、共同体を主導するが、実際の共同体の中での地位は、他国と平等な一構成員として、日本が提供できる環境技術などで、他国に貢献し、その対価を得るのが望ましい。

 例えば、誤解が多々あるようだが、今の「核分裂」の原子炉よりも、何百倍も核廃棄物が少なく、事故の危険性もほとんど無い、「核融合発電技術」の研究開発では、日本は世界のトップクラスである。国際共同研究でも、世界で最初の実験炉は、日本に建設される予定である。この技術を今世紀半ばまでに確立し、それを共同体内に提供するのは、エネルギー面でも、環境面でもとても素晴らしい貢献になると思うし、ビジネスとしても大きな案件になる。もちろん、アジア以外の経済圏にも売り込めば良い。

 まことに煮詰まっていない素人の浅知恵だが、私に思いつくのはこの程度である。
 新自由主義批判に比べると、まことにお粗末なのは承知しているが、ここは「猫の教室」っということで、これらの案をたたき台にして、皆さんのご意見をいただきたい。
 苦しい言い訳で申し訳ないが、議論して私も勉強させていただきたいと思う。

 軍事費については、極論を言わせてもらった。ちまちまと自衛隊の維持費がどうの、兵器の更新頻度や整備費がどうのと言うような、ミリタリー・オタクの意見は全く求めていないので、そういうコメントは削除させていただく。ただ、私が必ずしも非武装主義でないことは理解しておいてもらいたい。

(今日も、ランキングの応援、よろしくお願いします。)
posted by 眠り猫 at 00:01| 東京 ????| Comment(7) | TrackBack(12) | 政治

2008年03月07日

母のところに「ねんきん特別便」が来ました

 今日は、今までの新自由主義批判を終え、それを受けて「では、どうするべきか」を論じたいと思っていました。
 しかし、やはり具体的な経済、財政論は私の専門外で、どうしてもピントがぼけてしまいます。もう少し考えてから改めて書こうと思いますので、今日は短く私事を基にした記事にします。

 私は一人暮らしですが、隣の県に兄の家族と両親が同居している2世帯住宅があります。
 それで、先日、父親と電話で話をしたのですが、母のところに「ねんきん特別便」が届いたそうです。ニュースで見ても他人事だと思っていましたが、思わぬ身近なところに届いたものです。
 母は、若くして結婚して、その後ずっと専業主婦だったので、国民年金に加入していました。それで、私が生まれるより前の頃の年金について不明なことがあると言う内容の連絡でした。


 母は今、病気で動けないので、80歳を過ぎた父が代わりに社会保険事務所に出向いたそうです。
 すると、待合室は30人ほどの人でいっぱいで、しかもそれらは皆、事前に予約していた人だそうです。そこで父も予約しようとして、窓口に相談したら、その時点で予約の受け付けは4月下旬になるとのことでした。

 思い出してみてください。昨年7月の参議院選挙の時、当時の安倍首相は、「3月末までに全員にお支払いします」と、マイクで叫んでいました。テレビの映像でしっかり残っています。
 なのに現状は、最初の方の数十万人の「ねんきん特別便」の処理だけで、この有様です。実際に確認作業が終わって、支払われるまで、まだ何か月もかかるでしょう。他の未照合の人や、台帳が破棄されたケースなど、もういつになったら解決するか想像もつかない状態です。
 なのに、安倍は、公約として、選挙演説で断言していたのです。


 正直に言って、普通の会社の事務職員である私には、複数のパラメータのある、様式の違った台帳の5000万件ものデータを、整理するだけでも何か月もかかると言うのは想像がついていました。ほとんどの人はそうでしょう。ましてやそれを照合して、確認して、支払うまでを考えると、年単位で時間がかかるのは目に見えていました。なのに、安倍は公約としてできもしないことを言い、他の自民党幹部も官僚も、それを訂正しませんでした。


 そして、最近になっていきなり、福田首相や舛添が、「あれは公約でしたっけねぇ」とか、「できないものはできない」などと、開き直って見せました。
 自民党の首相の公約とは、さほどに軽いものなのですね。いまさら驚きもしませんが、臆面もなく開き直る厚顔無恥ぶりにはさすがに腹が立ちます。

 そんな福田首相の公約も同じように軽いのでしょう。嘘ばかりなのでしょう。
 舛添に異議を申し立てた地方の首長に、「馬鹿とはっきり言ってほしいのか」とか、「そういうことは補助金をもらわ無いで言え」などと言う、トンでもない暴言を吐いたのは舛添です。それが開き直って、「できないものはできない」なんて、年金の最高責任者の厚生労働大臣のくせに、自分自身が一番のうそつきの馬鹿ではないですか。


 まぁ、我が家としては、母の年金が少しでも増える可能性が出た分だけ、良かったとは思いますが、それもこれも、民主党の長妻議員が、選挙前に国会でこの問題を追究して初めて、調査作業が始まったのです。指摘がなければ、政府は、ずっと知らぬ顔をしていた可能性大です。

 今、国会が空転していますが、野党の言い分もあるでしょうが、私はもったいないと思います。何もガソリン国会などと、シングルイシューに絞り込む必要はなく、現在進行形で自民党の嘘が次々に明らかになっている年金の問題で、責任の所在と、今後の明確なタイムテーブルなどを追究してはどうでしょう?その方が国民にも分かりやすいと思うのですが。

 年金未払い問題は、過去の事件ではありません。かえって「ねんきん特別便」が届き始めた今こそが、責任追及と公約違反を糾す、絶好の機会ではないかと思う次第です。

 理屈よりもこういう声の方が、野党にとっては重要かもしれないので、この記事も民主党と社民党に送ってみます。
 最近、長ったらしい記事につき合わせてしまい申し訳なかったです。今日はこの辺で。


(追記)
 驚いたことに、今日送付したメールに、民主党から、私宛の個別メールで、この情報は党役員、年金問題委員に伝えました、っという返事が来ました。こういうきめ細かさと、迅速さは、民主党にメールを送っていて驚かされることです。国会空転も終わりそうですね。

(ランキング応援、よろしくお願いします。)
posted by 眠り猫 at 12:29| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(4) | 政治

2008年03月06日

なぜ、私は新自由主義を批判するのか?

 今日まで3日間、連続記事として、新自由主義批判を繰り広げてきた(途中他の記事が2つ挟まっている)が、今日で一区切りとしたい。

 しかし、私は、新自由主義という経済思想自体が害悪であるとは思っていない。それは極端ではあるが、経済の学説の一つに過ぎない。
 では、なぜ、世界中の多くの国がこの学説に基づく経済政策を導入して、国民を貧困の底へと追いやっているのであろうか?


 まず、新自由主義の良い面を指摘しておく。市場競争原理の導入と、規制緩和という政策は、基本的に古典的経済学のアダム・スミスの「夜警国家」論と非常に似通っている。そこでは経済の無限拡大が前提とされ、競争によって、経済のパイ自体が拡大し、国を富ませるという考えである。


 しかし、日米に新自由主義が導入された時期は、そういう時期では無かった。アメリカは冷戦時の軍拡競争で疲弊し、日本もまた、戦後の右肩上がりの経済成長が鈍化し、経済のパイが大きくならなくなった時代である。いわゆる「ゼロ・サム社会」の出現である。
 こうなると、経済は沈滞する。
 その時、カンフル剤として導入されたのが、新自由主義である。これが理想的に働けば、経済が競争により活性化され、パイの拡大がもたらされるかも知れなかった。携帯電話などの一部の業種では確かにその成果は出た。一方、バブルの時代には、実体経済の伴わない、ペーパーマネーだけが肥大し、そのバランスが崩れ、一挙に崩壊し、日本経済は危機に瀕した。

 新自由主義の導入で、結局、経済全体のパイの拡大は起きなかった。アダム・スミスの時代と違い、もはや日米の経済は飽和しかかっていたのだ。旧ソ連系諸国や中国の市場開放、新興国の経済発展という、世界的にはパイの拡大は起きていたが、これはかえって、新興国の経済の発展の過程で、安い労働力が、アメリカや日本から製造業を呼び込み、本国では産業の空洞化をもたらし、中間層である労働者が貧困層に没落した。


 パイの拡大がない以上、新自由主義のもとでは、同じ大きさのパイの分け前の奪い合いが始まり、力の強いものが勝つという弱肉強食の状態になり、富めるものはますます富み、敗北者はその分貧困に陥っていった。つまり、新自由主義が機能を十全に発揮できるのは、パイの拡大が見込める新興国であって、アメリカや日本のような爛熟した国家では、多国籍企業クラスの大企業だけが生き残り、他の中小企業は淘汰されてしまう結果となった。
 また、新興国との競争の過程で、先進国は賃金の水準を落とすことで対応した。その結果、勤労者階級の賃金が切り下げられ、さらに格差が拡大した。


 つまり、新自由主義という学説自体に特に悪はなかったが、それを適用する時代環境と、国が間違っていたのである。

 さらに、私の推論であるが、ヨーロッパに比べ、日米において、新自由主義の弊害が大きいように見てとれる。その原因を考えてみた。

 日米に共通するのは、政権を常に保守政党が握ってきたことがあげられる。
 アメリカでは、レーガン大統領以降、クリントン政権が民主党であっただけで、他はブッシュ父子も含め、保守色の濃い共和党政権である。また、アメリカの2大政党は、政策に大きな違いがない、保守2大政党制と言っても良いのが実情である。
 日本では、多少の紆余曲折はあったが、この間、ほとんどは保守の自民党政権が続いている。

 では、保守政党が新自由主義を導入するメリットがどこにあるのか?

 それは、保守政党は、既得権益を握る、大企業と裏に表に密接に結びついている。その状態で新自由主義を導入すれば、それらの、大企業にのみ富が集まる。保守政党はそこと結びつき利権を漁る。
 特に、アメリカでは史上珍しい、父子による大統領就任と言う世襲があった。日本では保守政党自民党の構成員は多くが世襲議員である。彼らは生まれたときから、「持つ者」であり、新自由主義下においては、「勝ち組」になれる存在であった。

 だから、彼らは、新自由主義の導入に走ったものと思われる。まぁそこまで考えていたかはわからない。日本の場合、単なるアメリカ追従だったのかもしれない。

 しかし、コイズミ、竹中平蔵の2人は確信犯であったと思われる。そこには、国民全体の幸福を考えるという姿勢は無く、一部大企業と結託して、自分たちの利権だけを漁る姿が明確であった。だから、彼らは新自由主義の導入にあたって、具体的に何が起きるかの説明をしなかった。
 バブル崩壊(これも中曽根による新自由主義の結末であった)後の閉塞した経済状況を立て直すという触れ込みで、新自由主義が強化された。そして具体的な説明がないまま、反対する人々を「抵抗勢力」と決めつけて論難し、強引に新自由主義を導入した。

 結果は、現在の日本社会を見ればわかるとおりの、格差社会の出現と、社会保障の切り下げであった。私は、コイズミの登場当時から、その政策には反対していたが、まだブログを始めてはいなかった。
 また、まことに迂遠ではあるが、私自身は、勝ち負けで言うと、かろうじて勝ち組に入る側だったので、危機感が薄かったのも事実である。そしてコイズミ郵政選挙で、コイズミのパフォーマンスに騙された多くの国民(特に雰囲気に流されやすい「B層」)が、わけもわからないのにコイズミに圧倒的な支持を与え、日本における新自由主義経済は完成した。実際には自分たちを貧困に追いやり、一部の者が利権を独占する社会を実現することだったのに。

 パイの拡大の無い社会で、その奪い合いをしたら、強者のみが勝ち残る。そして弱者は貧困のそこに落とされる。こんな社会を作ったのは、自分たちの利権にしか関心がない、自民党政治であるのは明白である。
 しかも、中曽根より前の自民党政治家には、利権を漁る側面もあったが、まだ国民のために政治をするという気概があった。
 しかし、その世代の二世、三世が政治家となっている今では、彼らは父祖から受け継いだ利権マシーンの一部として、取り巻きと自分のために裏金を稼ぐことが使命とされて政治家となっている。
 まさに、政治家と言う「家業」を継いだだけの「政治業者」へと堕落しているのである。自民党の政治家になるのには、本人の資質とは全く無縁であるのは、安倍の無能ぶりを見れば良くわかる。世襲利権マシーンの部品であれば良いだけなのだ。

 今、経済的困窮を抱えている人々は、それを耐え忍ぶのが美徳ではない。
 自民党世襲政治を打破することがまず肝心なのである。
 現状、政権の受け皿としては、自民党と似た体質の民主党しか無いのが、日本人にとっては不幸であるが、それでも民主党は先の参院選で国民本位のリベラル政策を打ち出した。自民党よりはましな政権として、民主党を支持せざるを得ないというのが現状であろう。
 とにかく、現在の自民党政権が続けば、格差は固定され、新たな身分社会ができてしまう。そんなことは憲法における平等の原則に反する。また、おにぎり一つ買えずに餓死した北九州市の男性の例は、日本では、憲法25条で言う、生存権がないがしろにされ、国家により国民が殺される時代になりつつあるのである。選挙で国民の怒りをぶつけることこそが、現状を変える第一歩である。中南米の国民は、長い暴虐の歴史を乗り越えて、その道へと進んだ。日本人にはそれができないのか?

 民主党には悪い点がいっぱいある。たぶん私は、民主党が政権をとったら、民主党への批判を行うだろう。しかし、自民党世襲政治よりはましなのである。あとは、国民がいかに民主党を変えていくかの問題であろう。
 自民党腐敗・世襲政治に終わりを。次の選挙、その次の選挙で、日本人の本質が問われるのだ。

(民主党にも世襲議員が多いのは知っている。利権・集票マシーンのみに堕落しているかどうかが問題なのだ。そんなことで上げ足を取る馬鹿は、即削除だからそのつもりで。)
 今日もランキング応援よろしくお願いします。
posted by 眠り猫 at 10:02| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(13) | 政治

「ゴーマンかまして良かですか?」改訂

 え〜、予告通り、この元の記事は、私の本来の思惑を超えて、人気を博してしまいましたが、本来、紳士にあるまじき行為と自覚していますので、ほぼ全文を削除しました。
 でも、それでは、初めて来られた方に意味がわからないだろうと思うので、エッセンスだけ残しておきます。

>  それを、言うに事欠いて、女の子は謝罪しろだとか、米国との関係を傷つけるだとか、
> 米兵に損害賠償しろとかって、てめえらは、法律のほの字も知らないくせに、馬鹿なこ
> とをほざくんじゃないよ。
>  実際法的には、てめぇらの方が女の子の家族から賠償請求される可能性があるんだ
> ぞ。馬鹿野郎ども。女の子と家族は、被害者なのに「そっとしておいてほしい」と言って
> いるんだ。なのに、お前らには他人の痛みを慮る、「惻隠の情をおぼえる」という、日本
> 人の美徳が無いな。

>  しかも、もっと馬鹿なのは、どいつもこいつも同じことを九官鳥みたいにほざいている
> ことだ。他のブログのコメント欄でも同じ論旨を見かけたし。
>  どこかに元ネタでもあって、考えもなしにそれをまる写しにしてるだけだろ。大馬鹿野
> 郎どもが。


 おわかりのように、沖縄の米兵少女暴行事件について、馬鹿みたいなトラックバックをしてきた複数のウヨウヨさんを「感情的に」こき下ろした記事の中核部分です。
 正直、昨日のメイン記事にしていた、この次の記事よりもアクセスを集めてしまい、当惑しているのですが、私の本心については、コメント欄での応答をご覧ください。

 ちなみに、最近気づいたのですが、右派系と思われるブログ、「miracleさんがもし突然止まって動かなくなっても」(http://miraclemiracle.seesaa.net/)、っというブログで、私のブログのウォッチャーをしています。頭の良い方らしく、私のミスや、意図的な煽りなどに、的確に突っ込みを入れてくださいます。私の削除した記事のように罵言を弄さないだけ、非常に紳士的でもあります。
 ブログで私見を公開している以上、批判されたり、行き過ぎた煽りに苦言を呈されるのはやむを得ないことと自覚しています。
 ただ、この方の場合、私のブログを部分引用して、そこに批判的意見をつけるだけというもので、もう少し自己主張があっても、ブログをやっている意味が向上すると思うのですが、どうでしょう。
 拝見するに、私と同様、鬱病患者とのこと。私は、勤務に耐えられず、休職していますが(4月復帰予定)、そのような状態で勤務を続けながら、ウォッチしてくださるのはある意味ありがたいですが、批評だけでなく、私のブログのウォッチなどではなく、もっとアクティブに意見発信をしていただきたいと思います。まぁ、鬱病の人間にそれはきついのは、私自身も強く感じていますので、無理は申しませんが。

 私も人の子、感情に流されることも、思い違いをすることもあります。大半のネット右翼のブログよりは理性的であると自負はしていますが、間違いや、意図的な煽りを入れているのは確かです。そこをちまちまと突っ込まれるのは、その意見が正しくても、若干不本意であります。
 まぁ、今後も良好な関係を維持できればと思います。

 あと、民族派右翼についての意見は、私の意図的な嫌味ですので、このブログでの指摘は誤解です。
 ただ、私は確かにかなりの愛国者です。もちろん民主国家日本を愛しているので、そこはミラクルさんと差は無いと思いますが。


 ただ、最近の悩みとして、怒りをぶちまける方が共感が得られて、アクセス数が伸びるという傾向があります。意図的に怒りをぶちまけたのは今回が初めてですが、確かに、意見の異なる他人を罵倒するのは、読む人にとって、快感を感じるかもしれませんが、私は本来はそういうのは嫌いです。
 それでは低レベルなネット右翼と同じレベルの感情の発露にすぎません。

 私としては、アクセス数至上主義では無いので、前後の記事のように、わかる限りの論理的、学問的思考の実験を行い、リベラル派論壇に、思想的バックボーンを提供しようという、不遜な考えで記事を書いています。
 そこら辺、ご理解の上、あまり、感情的発言を期待なさらないでください。面白くなくても、私の記事を読んでくださることをお願いしたいと思います。

 最近、アクセスランキングに参加し、思わぬ上位にいきなり入ってしまったものですから、アクセス数も伸び、ある意味当惑しています。その分、ウヨウヨさんからも標的にされて、表に出していないコメントやトラックバックもかなりあります。
 そのため、最近、ウヨウヨさんに過剰反応していますが、基本的には私は、右だ左では無く、国民生活本位の政治を求めて、リベラル政策の実現を目指しているので、そこに対立する場面は存在しないと思っているのですが。リベラル=左ではないのは、亀井静香氏や、最近の福田首相の発言を見ればわかります。
 一部の、政府自民党の言うことは何でも正義で、それに反対する奴はアカだ、っという、既存権威に自己同一化して偉ぶっているだけの、低レベルなウヨウヨさんには迷惑していますが、それ以外の方となら、語り合えると思っています。

 そんなとこで、今後ともよろしくお願いします。

posted by 眠り猫 at 09:55| 東京 ????| Comment(19) | TrackBack(0) | 独り言

2008年03月05日

重ねて新自由主義批判。「反米大陸」を読んで。

 昨日の新自由主義批判(http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/88245236.html)に続くエントリーである。
 その前の書評(http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/88113960.html)と合わせて、一連の新自由主義批判の連載記事としている。

 今回、旅行の合間に、多くの本を読んだ。そのうちの1冊が、一昨日紹介した「ルポ 貧困大国アメリカ」であり、それに続いて、2007年12月に出た、「反米大陸」(伊藤千尋著、集英社新書)である。この2冊の発刊時期はほぼ同じで、最も新しい、アメリカとそれを取り巻く情勢と、アメリカの新自由主義の暴虐の歴史を伝えてくれる。
 ここで言う、「反米大陸」とは、南アメリカ大陸を指すが、本の内容は、中米諸国、メキシコ、ハワイやフィリピンへのアメリカの侵略の歴史にまで及んでいる。


 著者の伊藤千尋氏は、長年新聞社に勤め、たぶんスペイン語ができたのだろう、南米を主とする地域への特派員・駐在員を務めていた。そのため、1960年代以降の南米の歴史は、自分自身の目で見てきた人物である。

 この本を要約することは、ブログでの表現の限界を超えている。だから、皆さんには、ぜひ、この本を読んでほしいと言うしかない。
 なぜならば、19世紀以降、アメリカが中南米に対して行ってきた、経済的侵略と軍事的侵略、さらに、アメリカのCIAによって指導、支援された、軍事独裁政権の暴虐ぶりなどは、いちいち数え上げていては、ブログ記事に収まりきらないほどなのだ。本書ではそれを細かく伝えてくれる。


 それらの侵略の基本パターンは、まず、スペインなどから独立した直後で、まだ国内が安定していない中南米の国に、19世紀は農業を中心にアメリカの大資本が入りこみ、そこで現地人を使役しながら、土地を買収し続け、中米の小国においては、国土の過半をアメリカの企業が所有するという事態を招いてきた。
 この一方的な、富の独占と収奪に対して、19世紀から、中南米のいくつかの国では、反米政権ができ、それらの土地の没収と小作農への分配という農地解放が試みられた。
 しかし、アメリカは即座に、「アメリカ人の生命と財産を守るため」という言葉のもとに、圧倒的軍事力で、政権を転覆させ、再び、農地解放以前の状態に戻していった。日本に来航したペリーも、これらに先んずる、スペインとの領土戦争で功績をあげた海軍軍人である。


 20世紀前半までは、この状態が続く。中南米諸国では、国家の富はアメリカが独占し、国家の支配は、アメリカに追従するその国の富裕層が握り、国民の大多数は貧困に陥っていた。そして、アメリカのくびきから脱却しようという試みはすべて、アメリカ軍の直接介入で封じ込められた。


 第二次世界大戦後、アメリカは世界の超大国になった。その背景には、「アメリカの裏庭」と呼ばれた中南米諸国から吸い上げた富があった。
 アメリカのCIAが本格的に活動し始めるのも、このころからである。
 20世紀後半は、南米にとって、もっとも暗い時代だった。1970年代に、民主的選挙で選ばれた、世界初の社会主義政権、チリのアジェンデ政権を倒すのに、CIAは、軍部のピノチェト将軍に資金、武器を提供し、クーデター後の統治の仕方を教え込み、チリはピノチェトによるクーデターにより、軍事独裁政権となった。
 同じころ、中南米各地で、同様の軍事独裁政権がクーデターにより成立し、民主主義は葬られ、暗殺や拉致による恐怖政治が支配した。
 これらの背後には、すべてCIAがいた。また、「米州アメリカ学校」という名前の、中南米の軍人を集めて、アメリカの支配への忠誠を誓わせ、クーデターの起こし方から恐怖政治のおこない方まで、アメリカが教えるという組織すらあった(現在どうなっているかは書かれていない)。
 イラク人への拷問が知られるグアンタナモ海軍基地で行われた拷問の数々は、この米州アメリカ学校で教えられていたものと同じだという。「自由と民主主義の国アメリカ」はどこへ行ったのだ?


 しかし、アメリカが「世界の警察官」を標榜し、世界的に影響力を行使しようとする一方で、南米においてはアメリカへの反感が高まり、軍事独裁政権は、次々と選挙により政権の座を放逐され、一部の軍人は犯罪者として裁かれた。
 そして、さらにことは進んで、アメリカが湾岸戦争などで、中東諸国に目が向いている間に、ベネズエラのチャベス大統領が、それまでのアメリカの傀儡政権の代表を選挙で破り、一気にマラカイポ油田などの石油会社を国営化し、そこで得た富で、貧困層への教育と食と医療を無償で提供するという政策を始めた。

 猛烈な反米主義者のチャベス大統領の台頭を受け、南米では次々に反米左翼政権が誕生する。どれも、正当な選挙による政権獲得であり、それまで搾取にさらされてきた貧しい人々が、選挙による権利の行使で、それまでの対米従属、被搾取の状態からの脱却を望んだのだ。

 そして今や、南米大陸では、コロンビアを除く、すべての国で反米を標榜する政権ができている。

 ここ数日のニュースでは、コロンビアが越境して反政府ゲリラの掃討をしたことに反発したエクアドルと、ベネズエラ・ボリバル共和国(新国名)は、コロンビアとの国境に軍を派遣し、にらみ合いが続いている。これもアメリカの策謀かもしれない(私はいつから陰謀論者になったのか?)。コロンビアの国土に一歩でも踏み込めば、アメリカとコロンビアの同盟に基づき、アメリカ軍が襲来し、目の上のこぶである、チャベス政権の崩壊を画策しているのかもしれない。
 アメリカでは、プロテスタント系の説法師が、テレビで、「チャベスを殺害することこそが神の示したもう道」などと宣伝してはばからないのだから、可能性は十分あるが、チャベス大統領もそこは心得ているだろう。アメリカに隙は見せまい。また、もはや南米の反米の動きは、チャベス一人の生死には影響されないほどのモメンタムを持っている。


 今、南米では、EUを模した、新たな南米大陸での経済共同体の動きも出ている。それは、アメリカが主導したFTAA(自由貿易協定)が、一方的にアメリカの新自由主義的経済侵略を招くという危機感からの動きだそうである。もしそれが成功したら、イラク戦争で落ち目のアメリカにとって、さらに不利な情勢がもたらされるであろう。

 ここまでで、すでにブログ記事としての限界に近い。やはり、同書を読んでいただくのが最も早いだろう。


 チャベス大統領は、独裁志向があり、先日は、独裁に道を開く憲法改正案が国民の支持を得られず、国民投票で否決されたが、依然、南米における反米の急先鋒である。
 しかし、ベネズエラ・ボリバル共和国は、石油資源が豊かだったから、アメリカ系企業の国有化により、一気に国民に富をばらまくことができた。また、彼は社会主義を標榜しているが、それは、資本家=アメリカとその腰ぎんちゃく。労働者・農民=国内の貧しい人々。という図式と、企業の国営化、中米における革命の先進国キューバとの関係のために、そう言っているだけで、別にプロレタリア革命などを行っているわけではない。


 重要なのは、チャベス大統領以外の南米諸国、特に南米の大国ブラジルとアルゼンチンが、やはり反米へと動いていることである。これらの国は別に左翼政権ではない(対米追従を右翼と呼ぶならば相対的に左翼と呼ばれるにすぎない)。これらの大国が中心となり、南米を一つにしようとしているのである。
 
 著者は、最後に、対米追従を続ける日本は、やがて没落するアメリカと一緒に没落し、その過程でアメリカに食い物にされていくだろうと予測する。そしてそれを避けるためには、反米ではないが、中国など、アジア諸国との関係を深め、徐々に脱米を進めるのが得策であるとしている。
 私見だが、もし、急激な反米を日本が唱えだしたら、在日米軍は、東京に侵攻する可能性があると思う。そう思わせるだけの、過去のアメリカの罪業が、この本には詳しく書かれている。
 だから、まだ間に合ううちに、徐々にアメリカと距離を取ることが望ましい。関係は良好なまま、アジアへと軸足を移すのである。
 この点は、以前に私が述べたアジア共同体論と合致する。

 とにかく、この本の大半を占める、19世紀以降のアメリカの暴虐ぶりについては、アメリカ信仰の強い人ほど読むべきであろう。眼から鱗が落ち、さらにアメリカに恐怖を覚えるに違いない。

 新自由主義により、アメリカ国内でも、格差が拡大している。また、行きすぎた新自由主義の金儲け至上主義が、サブプライム・ローンを生み、その焦げ付きで、アメリカ資本の根幹をなす金融界が揺らいでいるのが現在の状況だ。このままアメリカのバブルが崩壊したら、日本経済はどうなるだろうか?
 しかし、日本経済はすでにアジアに軸足を移しつつある。輸出相手国としての1位はアメリカから中国に変わっている。中国だけへの投資ではリスクの分散が図れないとして、ウクライナやロシアにも工場を新設するメーカーも多い。また、私が旅行に出かける直前には、日本の銀行や証券会社が、アジアの金融界に、各社1000億〜2000億円の出資を行うというニュースが流れていた。
 この動きがうまくいけば、日本は政治だけが問題で、それを除けば、アメリカの没落から逃げ出すことができる。アメリカが持ちこたえれば、再度付き合えば良いのだ。

 次は政治の番である。アメリカの新自由主義路線に追随しない政権を、私たちは南米の市民にならって、選び取らねばならない。


 最後に、四半世紀前、私が大学1年の時に、政治学の教授が言った、「アメリカは、なぜアメリカがかくも世界中で憎まれているかの原因を知ろうとしない」という言葉を添えておく。反省無き国家アメリカ。

(補記)今朝の毎日新聞の論説で、沖縄の米兵少女暴行事件について、まことに適切な記事があったので、今日のエントリーとは無関係だが、紹介しておく。
http://www.mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080305k0000m070149000c.html
 ぜひ、ご一読願いたい。


 今日もランキング応援よろしくお願いします。

posted by 眠り猫 at 14:18| 東京 ????| Comment(10) | TrackBack(11) | 政治

2008年03月04日

新自由主義の暴虐を批判するのに、右も左も無い

 昨日のエントリー(http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/88113960.html)で、「ルポ 貧困大国アメリカ」を紹介したが、同じ日に、その著者の堤未果女史と、参議院議員の川田龍平氏が結婚するという報道が流れた。細かいことはわからないが、お二人の幸福を祈りたい。


 さて、今日は引き続き、新自由主義批判のエントリーである。
 正直、「新自由主義」という言葉について、何を知っているかと言うと、私も多くは知らない。
 経済学的な面では、一時日本でももてはやされた、ミルトン・フリードマンというアメリカの経済学者が主張した、「警察と外交以外は国家が関与する必要はない」、という、「小さな政府論」が基礎となっており、具体的な政策としては、国営・半国営の重要な事業の民営化、あらゆることへの市場競争原理の導入を掲げている。規制緩和もその一環である。


 世界では、1980年代に、アメリカの共和党のレーガン大統領や、イギリスの保守党のサッチャー首相が導入をはじめ、日本の中曽根政権もそれに追従した。
 日本でいえば、国鉄(現JR)や、電電公社(現NTT他)などの民営化が行われたのも、この政策にのっとったものである。中曽根政権の土地に関する規制緩和は、その後1990年代に土地本位制の日本において、バブル経済をもたらしたが、行きすぎたペーパーマネーの膨張は、バブル崩壊をもたらし、日本は、20年に及ぶ不景気(私は政府の数値データのみによる景気拡大が続いているという発表をうのみにはしない。)をもたらし、今も影響はぬぐえていない。


 そして、その後の自民党政権も、社会保障を削る口実として、この政策を踏襲し、小泉政権下で、竹中平蔵が進めた規制緩和、民営化路線(郵政民営化、社保庁への競争原理の導入、教育現場での競争原理の導入など)が進められた。
 しかし、中曽根政権時代も、小泉政権時代も、なぜ「官から民へ」なのかの具体的な説明はなかった。ただ、お題目のようにそれが主張され、反対する者を守旧派、抵抗勢力と呼び、論難するだけであった。

 確かに、国営であるという競争のない組織では、効率化や職員の意識の面で、怠惰な側面が生じていたかもしれない。マスコミは特にその点を強調し、政府の民営化策を支持した。


 国鉄ではどうだろう。確かにそれまでの膨大な赤字は、清算事業団に押し付けて、JRでは、民営化に反対した国労の職員を中心に首切りが行われ、人件費のカットが行われた。あまり報道されないが、この点について、元国労職員が起こした労働訴訟では、国労職員側が連戦連勝であることを付記しておく。

 JRでは、車両が豪華になったり、さまざまな付帯事業が行われるようになった。
 しかし、ダイヤは儲け至上主義になり、多くの安くて便利な急行が廃止され、地方の赤字路線は廃線へと追い込まれた。また、儲け至上主義のため安全が犠牲となった例として、尼崎における100名以上の犠牲者を出した脱線事故が記憶に新しい。
 そもそも、国鉄の累積赤字も、職員の怠慢のせいではなく、自民党議員による、地元への赤字路線の増設という事態が招いたもので、民営化された現在でも、JR東日本、東海、西日本を除いては、基本的に赤字体質が続いている。


 JRの民営化が本当に正しかったかどうかの検証は今でも行われていない。


 そして、小泉政権下で、郵政事業の民営化が行われた。しかし、この結果が出るのはまだ先である。
 そもそも郵政事業は赤字ではなく、国庫に財政投融資資金を提供するほどの優等生だった。
 地方の簡易郵便局を減らし、ユニヴァーサルサービスを犠牲にしてまで民営化を行う必要があったのかどうか、非常に疑問であるが、コイズミ郵政選挙で、国民がそれに信託を与えてしまったのだから、もはやどうしようもない。


 「何でも民営化」、「何でも規制緩和」という、新自由主義のお題目に沿っただけで、具体的な検証やリサーチなしに進められてきた自民党の政策は、他方で社会保障の削減をもたらしている。
 また、規制緩和の結果、外資の導入に門戸が開かれ、多くの企業が主にアメリカ系の資本に買収された。旧山一証券は、メリルリンチになり、日興証券は、先日、コーディアルグループに完全子会社化された。
 また、労働条件における規制緩和が、非正規雇用を増加させ、現在日本の労働者の三分の一が非正規雇用で、低い賃金と不利な労働条件のもとにおかれているという現状を生み出している。その多くが、ワーキングプアになっているのも、最近になってようやく問題視されるようになってきた。

 また、市場競争原理は、グローバリズムという言葉のもとに、製造業の生産拠点を賃金の安い海外へと流出させ、国内の産業が空洞化し、中小企業の倒産、労働者の失業もしくは待遇悪化という事態を招いているのが現実である。


 新自由主義の基本は、競争原理にある。しかし、平等な立場からスタートするならともかく、実際には、競争原理が導入された時点で強いものが、より強くなり、他の敗者を圧倒する事態になる。その結果、富めるものはより豊かに、敗北者はより貧しくなっていく。これが格差の拡大の原因である。

 日本でもアメリカでも、富める者=大企業と癒着した政治家の利権あさりのために、新自由主義はさらに継続されている。

 しかし、アメリカと同じ2大政党制でも、一方が社民主義的な労働党であるイギリスでは、サッチャーの新自由主義路線(サッチャリズム)は、労働党政権により修正され、民営化された電力事業の一部や、教育は再び国営化された。
 アメリカでは先年、カリフォルニア電力危機と、電気料金の高騰が起きている。このように、「民営化、競争原理必ずしも善ならず」なのである。


 昨日のエントリーで紹介した、「ルポ 貧困大国アメリカ」の中でも、医療と教育という、命と人間形成の現場に、競争原理を持ち込むことによる、現場の荒廃が強く指摘されていた。
 今現在、日本は、医療に競争原理は導入されていない。また教育への導入もまだ限定的であるし反対も多い。まだ、引き返す道は残されている。


 コイズミを熱狂的に支持した人々は、今でも、民営化万能論に幻想を抱いているようである。また、学問的なことに疎い右翼たちは、ただ保守政権党である自民党の政策であると言うだけで、新自由主義を支持している。愚かと言うほかはない。特に教育レベルの低い保守主義者は、自らが最も犠牲にされていることに気付かない。今、何とかやっていけているのは、先祖の財産を食いつぶしているからにすぎないことに気付かない。破局は遠からず訪れる。今のままでは。


 新自由主義の元祖、フリードマン自身が、その著書の中で、「負の所得税」という名前で、国民に、最低限の収入保障を国が行うべきと述べ、「われわれもまた、ケインジアンなのだ」という言葉を残している。アメリカでも日本でも、その部分だけはすっぽりと欠落している。


 今、アメリカでも、国民皆保険など、福祉に重点を置いた、民主党の大統領候補が熱戦を繰り広げている。世論調査の結果では、民主党の大統領が誕生しそうな勢いである。
 財政難のアメリカにおいて、国民皆保険を実行しようとすれば、当然、大企業課税、軍事費削減の道をとらざるを得ないであろう。それは、戦争屋ブッシュの戦争利権あさりの政治の終焉を意味する。そして、貧困層に落とされた人々の期待が、新自由主義を変えようという、民主党の2人の候補(クリントン、オバマ)に向けられているのである。


 日本人の覚醒はまだか?いや、昨年の参議院選で、すでに、日本人の民意は示されている。民主党はその体質や、個々の議員の主義に、未だ自民党的なものを内包するが、あの参院選での圧勝は、リベラル的政策の実現を確約したマニフェストにあることは自明である。
 今後、民主党は、もっと具体的に新自由主義の悪の一面を暴き、それに対処するための政策と財源を国民に示して行くべきであろう。

 ランキング応援、よろしくお願いします。

posted by 眠り猫 at 15:15| 東京 ????| Comment(6) | TrackBack(20) | 政治

不在中の、沖縄少女暴行事件の顛末とイージス艦衝突事件の推移について

 私が出掛ける2週間前前には、沖縄におけるアメリカ海兵隊員による14歳の少女暴行事件と、イージス艦の漁船との衝突事件については、まだマスコミでもかまびすしく取り上げていた。
 旅行中、ネットにふれる環境に無かったので、その後の状況を知ることができなかった。


 まず、暴行事件については、少女の家族の側から、「そっとしておいてほしい」ということで、告訴取り下げになったそうで、海兵隊の兵士は釈放されたが、アメリカ軍の内部では引き続き捜査と訴追が行われるそうである。

 詳細は私はリアルタイムで見ていないのでわからないし、少女とその家族がどのような思いでそのような決断をしたかについてはさらにわからない。

 ただ、事件後、補償金を取るために騒いでいるのだ、という右翼の主張は、告訴取り下げにより、全くの的外れであることがわかった。それにも関わらず、今度は、勝ち誇ったように再度少女をバッシングする右翼の主張は全く理解に苦しむ。
 また、日本国内で同じ事件を日本人が起こしたら、こんなに騒ぎにならなかったとか言う意見もあるが、それこそ的外れ。日米地位協定により、治外法権が認められた米兵の起こした事件だから問題になるのであって、沖縄県民の怒りがわからない連中には口をつぐんでいてもらいたいものだ。
 また、この事件を政治的に利用するなという意見も見かけたが、少なくとも私は、政治的力など持っていないし、また、治外法権を認める、「日米地位協定」の改定を求めているだけで、別に政治利用などしていない。
 逆に、自国民を他国の軍人に暴行されて、その被害者をののしる連中の「愛国心」とは何かを疑わざるを得ない。まぁ、馬鹿は放っておこう。


 イージス艦事故については、事実関係がほぼわかり、一方で被害者は不明のまま捜索は打ち切られた。現在は国会で、石破防衛相の責任追及や、発言の内容の疑義についてに、争点が移っているようである。私はその辺には関心がない。

 この件については、私は、法を無視して、軍艦の航行を優先しようとしたイージス艦が全面的に悪いのであり、正体不明の軍国主義者、クライン・孝子の妄言のように、「漁船が避け無いのが悪い」などという意見を載せる、保守系マスコミの良識を疑うのみである。

 これもまた、私は別に政治利用しようと言うのではなく、悪は悪として、法を破り2名の国民の生命を奪った事件の加害者を非難するだけである。

 まことにわかりやすい意見を展開しているはずだが、物分かりの悪い、と言うか、単なる馬鹿の妄言は聞くに堪えない。よって今後も一層、右翼のこのブログへのアクセスは禁止する。コメント欄の承認制も続けることにする。


 今回の2つの事件で、産経や新潮などの保守論壇のいかがわしさと、そこで垂れ流される、非論理的で、非愛国的な妄言の数々が、これらのメディアの評価を大幅に下げる結果になったことだけは間違いあるまい。それをオウム返しに叫ぶ、無思考右翼どもの軽薄さはそれ以上にひどい。
 まぁ、馬鹿につける薬はないということで、これも黙殺するしかあるまい。

 賛同される方は、ランキング応援よろしくお願いします。

posted by 眠り猫 at 15:07| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(1) | 時事

2008年03月03日

「ルポ 貧困大国アメリカ」を読んで

 この本は、岩波新書の赤本である。今年1月初めに初版が出たが、2月中ごろに私が手に入れようとしたら、すでに初版は売