愛国心の強制やらの、教育基本法の改悪のおそれが高まっている中、画期的な判決が東京地方裁判所で下りました。東京都の教員に、東京都の教員に対して、各種式典において、日の丸掲揚と君が代の斉唱、さらにその際の起立を求め、従わない場合には戒告などの処分をするという都の行為が、違法であり無効だとしたものです。約400人の原告には、1人3万円の精神的慰謝料が認められました。
判決報道文 (TBS・WEBニュース)
当然と言えば当然の判決ですが、これまでは、原告側の意見を全面的に認めた判決はありませんでした。
安倍による教育基本法の改悪が行われると、愛国心教育が義務付けられ、その象徴として、自治体レベルでの日の丸・君が代の強制が強まると思われる中、貴重な判決だと思います。
面白い逸話があります。天皇主催による、「園遊会」と言うのがありますが、そこで、東京都の教育委員会の委員になった、将棋棋士が、天皇に、「すべての学校で日の丸を揚げさせて見せます!」と言ったところ、天皇は、「強制するのは良くないことですよ」(注:コメント欄での指摘がありまして、「強制でないのが望ましい」と述べられたそうです。)と返されたそうです。最近のことらしいです。細かいことを知っている人がいたら教えてください。
日の丸はそもそも、薩摩藩の軍艦旗だったものでして、歴史も浅ければ、日本民族の心の琴線に触れるような普遍的なものでは無いのです。今回の判決でも述べている通り、戦争を想起させるイメージが強いものです。
また、君が代も、歴史は浅く、また、主権在民を謳った現行憲法からは、歌詞の中身が不適切です。
それを、国旗、国歌に関する法律で定めたわけですが、そこにも「強制」は含まれていませんでした。
個人的には、「日の丸」はデザイン的にシンプルで好きなのは本音です。スポーツの国際競技で、メインポールに日の丸が揚がると、少しわくわくするのも私の場合事実です。
君が代の方は、歌う気は全く無くて、国立競技場でのスポーツ観戦の時も、起立もせず、歌わない派です。
要は、愛国心と同様、強制するものではなく、各人の内心の自由に任せられるべきものです。
今回の判決は最高裁まで争われるでしょうが、現在の保守的な最高裁では覆る恐れは十分にあります。
しかし、「法廷の独立」と言う原則があり、下級審のものとは言え、判例として、歴史に残るものです。
今、右スパイラルを始めている日本にも、裁判所の中に良心と常識が存在することがわかり、今日は祝杯です。
>22日朝、追記<
毎日新聞の論説と読売新聞の社説で、この判決に異なる評価を与えていました。
面白いので両方ご紹介します。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/(毎日新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060921ig90.htm
私は、法学部出身者として、客観的に見て、冷静に事実を連ねて、東京都の措置の異常性を述べている、毎日新聞の方を支持します。世論調査の大勢であれば、強制しても構わないと言う読売の論は、極めて低レベルです。
世論調査での、現行憲法の平和主義支持の意見は過半数ですが、読売新聞は、昔、改憲試案を発表しました。あまりにもお粗末で、2週間もすれば、誰も相手にしなくなりましたが。
最後に、近代の革命家(ジェファーソンだったと思う)(注:コメント欄で指摘を受けまして、この発言はヴォルテールのものだそうです)の、言葉を引用します。
「私は君の意見に反対だ。しかし、君が意見を述べる権利は、死んでも守る」です。(「死んでも」は、無かったかもしれません)。少数者の意見を大切に。また、処分を受けたく無いから、仕方なく起立した教員はもっと多いと思いますよ。ひょっとすると少数者では無いかも知れません。




ご来場ありがとうございます。
朗報ではありますが、最高裁では負けるでしょう。
しかし、今の世論に対してのある程度のインパクトがあると思います。
私の父は東京都の教員で校長もしました。やはり、日の丸・君が代強制の圧力があったそうですが、父はそれを行いませんでした。私の兄は別の県の教員で、反戦活動を行っています。
私の昔の恋人は、東京都の教員で、今の都知事のことを嘆いています。
現場は、人権についての戦いの場になっています。
私は、会社では猫かぶって、家で、ブログ活動家をやっています。
ではでは、今後ともどうぞよろしく。
次期総理大臣も、教員を含めてみな戦後生まれで、実感として「皇国思想」を意識するのでしょうか。
よほど政治的な人、イデオロギーに固まっている人なのでしょう。
このニュースを読んだときに、裁判官は政治的な人ではないかと疑いました。
ご来場ありがとうございます。
さて、戦後生まれか否かにかかわらず、意識している人はいるのでしょう。私も君が代は歌いませんし、日の丸のイメージに街頭宣伝車で騒音を撒き散らしている右翼の姿をイメージします。
実際に、そういう人がいるから、裁判に訴えているわけです。そう思わない人も、なんとも感じない人も、全て内心の自由だと、この判決は述べているだけです。
「人は全て政治的な生き物だ」とは、ギリシャの哲学者プラトンの言葉だったと思いますが。
そのように思うたらさん自身が、そのような政治的な思想の持ち主と言うわけです。それを強制的にやめろと言われれば不快でしょう?そういうことです。
私は法学部ですが、公平に見て、この裁判官が言っていることは、極めて順当ですよ。ですが、保守的な最高裁では覆されるでしょう。それこそが「政治的」な意図に基づいた行動なのです。
ではでは、またのご来場を。
が、国の象徴に敬意を表さないのは、国際的に良識を疑われる態度です。教育者なら、自身の信条とは別に、それも生徒に教えるべきだと思いますけどね。
この先生達が、個人の信条を教育の場に持ち込まないことを願います。
さて、ここでは「少数者の意見を大切に」されますかね?それとも削除されますかね?
ご来場どうもありがとうございます。
この程度では削除しませんよ。そう考えるのも自由ですから。ただ、そんな国は北朝鮮以下と言う評価を国際社会から受けるでしょうがね。実際、そんな国ありませんし。ただし、イスラム教の国では、コーランに対する不敬は、厳罰の国もあります。
暴言、マナー違反、明らかな「煽り」で無い限り、ここでは削除はしません。
では、気が向きましたらまたのお越しを。
コメントありがとうございました。
思想や信条の自由を争点にしたこの裁判の判決は私も正しいと思います。
けれども一方で日本の公立学校の式典において国旗の掲揚や国歌の演奏などを義務とすることもまた何ら不自然ではないでしょう。公式に定められた日本の国旗であり国歌なのですから。
争点により結果が異なる例なのかも知れませんね。
あの、おっしゃていることは、私には一つの一般的な考え方だと思いますので、挑発的に、「毒吐者」などと名乗られたり、「削除しますかね?」などとおっしゃられなくても良いと思いますが。
私が、2つの新聞の論説を出した上で、自分はこちらを取る、と書いたように、多様な意見の保持と表明ができるのが、本来あるべき姿だと思います。
読売・サンケイは保守系、毎日は中庸、朝日はやや左派系と言う世の中の評価は、さほど間違っていませんが、「嫌いな意見は読まない」と言う姿勢では、成長できません。私など、あえて、反対意見の人の本を読んでいるくらいですから。ご参考までに。
ご来場ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。国歌はとにかく、国旗への敬礼を義務付けるアメリカの法律などは実際に存在します(宗教的理由で、それを行わなかった生徒が処罰され、不服を申し立てた裁判では、連邦最高裁で、学生側勝訴だったと思いますが。)。
イスラム原理主義の国などはもっと締め付けが厳しいでしょうし。
しかし、日本に限って言えば、「国旗、国歌法」の制定時、内閣は、明確に「強制ではない」と表明していました。それはその後修正されてはいません。
その点も留意し、また、この判決では、決して国旗、国歌を軽視するとは述べていないので、注意が必要です。
その観点から見ても、読売の社説はいつもそうですが、スポーツ欄の巨人記事並に陳腐です。
ではでは、またのご来場を。
しかも、強制と言うことになっても、まだ400人もの人が処分されているんですよね。
この判決で、おそらく不起立の教員は増えると思います。
どれぐらいの教員が不起立となるのでしょう。
子供を持つ親として教員に言いたいのは、自分の主義・主張を子供の教育の場に持ち込んで欲しくないということです。
特に私立ではなく、公立の学校でね。
子供が、不起立な教員・斉唱しない教員をみてどう思うか。
そこはどのように考えているのだろうか?
これも、一種の教育ではないかと思うんですけどね。
個人的にスポーツ観戦の場で歌わないのは自由でしょう。
ですが、それと教育の場で教員が歌わないのとは同じには出来ないと思います。
最後に天皇は、「強制になるということでないことが望ましい」とおっしゃったと思います。書いてあることとニュアンスが異なると思うので参考までに。
おっしゃること、その通りだと思います。
教育現場において内心を強制し、ましてやそれに従わなかった人を処罰するのは、憲法や教育基本法に違反するという、至極当然の判決だと思います。
そもそも教育の場に何らかの強制を持ち込むというのは、一番してはいけないことです。
ただ、最高裁あたりでは、「起立・斉唱することは内心の強制ではない」などという妙な判決が出る可能性があると思います。しかし、それを理由に処罰するというのは、いくら最高裁でも、認めるのは屁理屈をこねてもかなり大変なんじゃないかと思います。政府自体が、強制しないと言っていたわけですからね。
あと、教育者は規範となるべきだから「起立」すべきだ、っていうのは矛盾してますね。子どもたちを一人の独立した人格として育てることが教育なわけですから、教師が一人の独立した人格として、自分の思想・信条に従った行動をすることこそ、子どもたちに規範となる行為です。それを大人が見せないで、ましてや教員が見せないでどうするの?って思いますね。
あと、あの言葉は、確かヴォルテールですね。
他にも、
「思想の自由とは、われわれの同意する思想の自由ではなくて、われわれの憎悪する思想の自由である」(米ホームズ判事)
なんてものあります。
ご来場ありがとうございます。
同じようにお考えの方は多いようです。それはそれで議論されねばならないことです。
ですが、2つの意見があります。
一つは、内閣が法の制定時、「強制はしない(こどもに)」と言う見解を出しています。しかし、都教委は、教員が起立しているかだけでなく、子供たちまでそうしているかをビデオで撮る等しています。これはやりすぎ、と言うのが、判決の趣旨です。
また、教員の中にそういう人がいて、中には教育よりも政治活動に精をだしている人はいて、それは困り者です。
ですが、日の丸、君が代には、それを押し付けようとする勢力の意図が明白であり、それこそ「子供への強制」だと思うのです。
教員は、官僚ではありません。学校には自治権があります。ですから、学校内で議論して決めれば良いのです。議論して多数決で、実施すると言うなら従う人もいるでしょう。
今回の判決で、歴史的に、戦争をイメージするのは事実、っとした点が、ポイントです。
私自身、国旗・国歌法制定の時は、日の丸ではないデザインの新しい旗、君が代ではなく「富士の山」を国歌にすべきだと考えていました。それならば何の抵抗もありません。
都教委は、タカ派の石原都知事の意向を受けています。では、あなたは石原都知事の言うとおりの国家になって、お子さんを戦争に送りたいですか?
そういう論点で述べていますので。
あと、情報はどうもありがとうございました。ですが、やはり「強制」は否定されているのは確かなようですね。
では、またのご来場を。
ご来場ありがとうございます。
ご賛同いただきありがとうございます。
他のブログでも意見交換が行われていますが、「教育者は」とか、「礼節上」とか言う意見が多いようです。
ですが、憲法では、すべての国民に内心・信条の自由を認めています。
今回の判決も「処罰をしてまで強制するべきものではない」としているだけです。
私は、スポーツの次に日の丸でイメージするのは、右翼=暴力団の街宣車です。イメージを悪くする行動をしているのは彼らの方ではないでしょうかね?
ではでは、またのご来場を。
教師にも思想信条の自由はあるが、職務においては制約される。
これは教師に限った話ではなく、世の中の多くの職業にも同様の制約がある。
教師だけが特別な聖職ではない。
公務員という国民の税金で雇われているのだから、職務命令に従うのは当然ではないのか?
このブログは、私の関係している反安倍運動のブログの集まりと、ちょっと前に衝突したことがあるので、あまりおすすめしたくはないサイトですが、日によっては良い記事を掲載していることもあります(苦笑)。
ふみと申します。
この記事を読ませてもらいました。
それで、できればあなたの意見を下記掲示板に書いてもらえませんか?
よろしくお願いします。
日本ブログ村「国旗・国歌の学校強制に違憲判決」
http://news.blogmura.com/board/enq/result79_2247_0.html
コメントありがとございます。
早速お邪魔して、自分としては秀逸と思える記事を書いたのですが、何故か反映されません、同時に誰かがコメントしていて、バッティングしたようです。
明日、もう一度書かせていただきます。では。
書き込みありがとうございました。