(序文)
この記事の内容を読まれた方には、現時点では参議院での審議を残しており、まだ成立していない「教育基本法の改悪」について、目前の活動を放棄しての、「負け犬の遠吠え」的な記事と言う印象をもたれるかもしれない。
しかし、私の意図はそこには無く、単に、「教育基本法をいじれば、何でも出来る」と思い込んでいるらしい、無恥、無知、無能な安倍に代表される現在の自民党政権にとって、現実は、甘くないということを、先の判決の評価によって指摘する内容のものであり、また私達の戦いは、まだまだ序盤戦で、まだ戦う余地は残っていることを、法律屋の立場から補完する目的でエントリーしたものです。これを読んで、希望をさらに輝かせて、日々の活動に役立ててください。
(本文)
今、最大の話題の、「教育基本法改悪案 野党欠席のまま事実上の強行採決」と言う問題に、あえて触れずに、以前、空前の話題となった、「東京地方裁判所判決、日の丸・君が代強制への違憲判断」について、再度客観的な評価を加えます。
目的は、現行憲法がある限りは、教育基本法で、あいまいな文言をいくら謳っても、実際の施行レベルで、露骨な強制・圧力が行われれば、先の東京地裁判決のような裁判所の意見を受ける可能性がまだ残っていることを指摘したいのです。
以下に、かの判決の要諦を列挙します。
日の丸・君が代が、法律で定められた国旗、国歌であるということは、認めたうえで(仕方ないですが当然です)。
◎ 教職員であっても、日本国憲法に定められた、「内心の自由」、「思想・信条の自由」の権利を有しており、それを排除するものは何も無い、と簡潔に述べたこと。
これは、法律としては当たり前のことで、直後に読売などで騒がれた、「世論調査では多くが、日の丸・君が代を認めている」とか、「教職員は公務員として給料をもらっているのだから、通達に従うのは当然」 、「そのような教師はやめてもらいたい」などと言う、感情論をベースにした、全く筋違いな判決批判を、一切排除するものです。
なぜならば、憲法では、どこにも、「教職員は、他の国民と違い政府・行政にしたがう義務を有する」などと言う、俗に言う、右派からの「教職・聖職論」的な言葉は無く、職業、立場が何であれ、憲法では、すべての国民に、「内心の自由」、「思想・信条の自由」、そして「表現の自由」を保証しているのです。マスコミの論は、法律を無視した、全くの上滑りな批判でしかありません。
判決では、この法律上は当然の法理に基づいて、東京都教育委員会の通達に関する処分を違憲としたのです。
◎ 東京都における、通達に対する処分が、全国の総数の9割を超し、また中にはそれを理由に再就職の道を阻むなど、「過剰」、「過重」に過ぎると指摘したこと。
これは、事実関係の把握で、同じような通達を出、処分も行った、他の自治体と比べて、東京都における処分の件数及びその重さが、極端に大きかった事実を、行政訴訟の見地から、「不適切」と判断したものです。
これについては、私の過去エントリー
http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/24167240.html
の中の、毎日新聞ネットニュースの、論説記事を見ていただくと、事実関係を含めて、良くわかります。
一つ目の論点の「違憲」の問題は、裁判所の踏み込んだ判断・意見でしたが、この点は、行政訴訟として、東京都教育委員会の行った処分の内容が、他県と比べて、「異常に」多く、重いことを理由に、その「不適切・不平等」性を指摘したものです。
行政訴訟の判決としては、この部分だけでも、原告側勝訴に十分なものでしたが、裁判官は、今後の予想される上級審(高等裁判所、最高裁判所)での、政府よりの揺り戻し=逆転判決への抵抗のために、最初の、「処分違憲」の判示を出したものと推測します。
なぜならば、処分の件数、軽重のみでの判決では、上級審で、「処分に行き過ぎは無かった」と言う、判断根拠の不明確な理由で、逆転敗訴にされる危険性があるからです。あえて、憲法判断を持ち込んだことにより、上級審に、「憲法の基本原則を無視しますか?」と言う、重い踏み絵を踏ませる判決なのです。良く考えられています。
以上の様に、教育基本法改悪案は衆議院を通過しましたが、たとえこれが成立し、教育現場に不当な介入、圧力が為されたときには、日本国憲法の基本精神をもとに、戦うことができるのです。
たとえば、愛国心の強要は、もちろん、教職員の免許更新性も、「職業選択の自由」、「勤労の義務と権利」の部分で、よほど合理的な内容(ありえないが)なくして、試験・研修による免許更新拒否をした場合は、「思想・信条の自由」とも合わせて、その違憲性を法廷で戦うことができます。「愛国心教育に熱心でない」と言うような理由で、免許剥奪は違憲であることは間違いありません。
ですから、なるほど♪ママさんから提起いただいた、法律による戦いも、「事件が起きてから」ではありますが、十二分に可能なことでして、教育基本法を変えれば、何でもできる、と思っている、法律に不案内な(2世3世議員の大半は、縁故入学で私学に入ったものばかりで、大学の学習が十分でないように思われます。安倍は特に。)自民党の陣笠議員達が考えているほど、現実は簡単ではないのです。
読売新聞の論調からすれば、世論調査で多ければ強制しても構わない、っと言うのなら、先日のNHK世論調査で、核保有反対68%の結果を受けて、麻生、中川らの政府要人は、その立場に対する責任からも、処分を受けて当然という事になります。でもそうはなっていない。読売の論調がいかに軽佻浮薄な、与党におもねるための牽強付会な論法であるということが断言できます。
以上、あの判決を再吟味してみました。
どこをどう押しても、法律的には完璧な論理です。
上級審が覆そうとした場合は、憲法判断に踏み込まざるを得ず、その際に、裁判所が、憲法の例外となる国民の存在を認めるという、とんでもないことを言わない限り、覆すことはできません。
ただ、考えられるのは、「憲法判断にはなじまない」と理由も無く述べ、処分だけを取り上げて、「著しく不当な物とは言えない」として、逆転判決を下す可能性は高いです。
それでも、「法廷の独立」の観点から、先の東京地裁の判決は、判例として残り、「まともな」裁判官なら、当然援用するであろうことは間違いないものです。
以上、多少専門に走りましたが、「私達には日本国憲法がある」と言う思いを深くして、今後も護憲活動にがんばりましょう。



少し気になるコトがあったのでコメントさせていただきます
内容などについては賛成なのですが、『石原バカ都知事』や『無恥、無知、無能な安倍』などの書き方に、右の人達のネットの書き込みを見たときと同じ様な不快感をおぼえました
内容は正しいと思います
ですから、そんな書き方をして質を下げてしまうようなコトはやめてほしいのです
突然失礼なコト言ってすみませんでした
コメント、ご意見ありがとうございます。正しいことを言っても、表現のために共感が得られなければ無意味ですね。
今後、厳重に気をつけます。
ありがとうございます!
こんなに、心強く、勇気の出るコメントを書いて頂き、本当に、嬉しいです!
>★★★★★「私達には日本国憲法がある」★★★★★と言う思いを深くして、今後も護憲活動にがんばりましょう。
本当にそうですね!!!
大丈夫、眠り猫さんは、人としての大切なものをお持ちで、心の中に持つ、優しさを私は、十分にかんじています。
不当な権力をくじき、弱きを助ける気持ちを、とても感じます。
それも、私利私欲という物を越えて、尊いものを感じます。
そういった人達が、沢山、いる事を今回の事で、私は知る事が出来た事…。世の中、まだまだ、すてたものではないと、ちょっと、嬉しかったです。
だから、これからも、がんばっていきます。
どうぞ、宜しく、お願いいたします。
本当に、いつも、ありがとうございます。
また、TBしました。
今回は「眠り猫『平和ブロガーの連帯』の成功のため」です。
眠り猫さんの私へのコメントと私から眠り猫さんへのコメントも載せました。
批判を宜しくお願い致します。
あぁ、うぅ・・・。私はそんなに誉められるようなたいした人間ではないです。ただ単に、自称「球拾い」ブログとして、また自分の専門領域から、何か皆さんの励みになるようなことを書こうと思って、書いてみただけです。
でも、お褒めいただきありがとうございます。私のほうもとても励みになります。
今後ともよろしくお願いします。
コメント並びに、TBありがとうございました(「関係性」と言う、経済の面を重視されたブログです)。
記事も拝見しましたし、コメントもお預かりしています。
皆さんのご意見を元に、より良い方法を考えていこうと思っています。
実は、リンク先の中にある、「護憲+」と言うのは、「バーチャル政党老人党」と言う組織のもので、私より先んじて、「ネットからリアルへ」の活動を始められています。私も、この会に所属し(私の年齢では若輩者)、この土日に行われる、数名での泊りがけの討論会でも、私の提起したことを議論の対象としてくださることになっています。
皆さんのコメントも一緒にお持ちして、議論する予定です。
結果は、来週中には、中間報告を考えています。会の名称も「ブロガーズ勝手連」などとしようかなどとふらふら考えています。
意見表明し、呼びかけた責任を認識しつつ、賛同してくださった方にとっては、より良いものを。賛同されない方にも、迷惑をかけず、「あいつらやるな」と思っていただけるような会を作りたいと思っています。
ご意見どうもありがとうございました。
関係性さんのところから来ました。
教育基本法可決となったことは残念ですけれど、その運用は法案の表現が抽象的が故に、まだ教育者側に自由度が残されていると思います。ただ危惧されることは管理者側や世論、マスコミ等がそれを狭い範囲で解釈し、現場の教師に迫る可能性や、またそれによって教師自ら萎縮してしまうことを心配しております。
ご指摘のように根幹「・・・の自由」という最後の部分が司法によって守られていることは、まだ日本も民主主義国家としての姿勢を堅持していると思います。
おなじ日本国民として道は違えども、目指している山が同じであることを望むばかりです。もし目指す山が違うときはとことん戦いますが。
コメントならびにご賛同ありがとうございます。
まぁ、記事の中身は、「最後の拠り所」でして、まだまだ、戦える場所はあると思っています。私の新提案もご検討ください。
なお、私は、安倍政権以外の誰とも戦うつもりはありませんので。ご理解ください。