しかし、内閣府は、「そのうち賃金も上がり、消費が拡大する可能性もある」と述べただけです。実際には、2001年以降の5年間、実質賃金は減少を続けているのです。
「経済指標」と言う大企業の動向だけを見ての数値を積み重ねるだけのものを元に、「景気は回復している」と言っても、実際の国民の家計にはなんの影響も無く、「これで景気対策は終わった」と言うような安倍内閣の論法は全くもって国民無視の、見せ掛けだけの「景気回復」です。
以下に、私が別のお遊びブログで掲載した過去の記事を転載します。半年ほど前ですが、まさに今回の「イザナギ景気越え」を宣言した内閣府に、異論を呈する内容になっています。
(以下転載)
良く、様々な「経済指標」(住宅着工件数とか消費者物価指数とか)を用いて、現在の日本社会を論じ、「景気は回復し続けている」と日銀などが言っている。
私は、この「経済指標」と言う物が、どうも胡散臭く感じている。
タクシーに乗って、運転手さんに聞くと、必ず、昔よりはるかに景気は悪くなったと言う。飲み屋もそう。私自身の会社も会社の業績は上がっているのに、賃下げを続けている。
「経済指標」の多くは企業業績や、生産高である。
これらは、「企業」がどの程度儲かっているかを示しても、国民一人一人が豊かになったと言う事は意味していない。
日産の、ゴーン元社長の下で、日産は、収益を回復、拡大した。しかし、そのために、数多くの従業員をリストラし、賃金を抑制した。その企業の面だけの数値を見ての「経済指標」に基づく、景気判断、及び政策は、必ずしも、国民のためにならないのではないか?
具体的に言うと、サラ金の金利29%超という利息を、利息制限法の20%まで下げると言う話があり、一応、今その方向で進んでいる。それはまぁ、良い。しかし、この利息の引き下げに強硬に反対した勢力がいる。
彼らのロジックは、日本における融資残高の何%かが、サラ金であり、この金利を下げて、サラ金、ひいてはサラ金に資金を融資している銀行の業績が下がると、景気に悪い影響を及ぼす、っと言うものだ。
ばかばかしい。
景気の数字を上げるのだけが、国民の幸せを目指すことにつながるのか?
上記の場合、全く逆である。
数字しか見ない、学者や官僚が言いそうな議論である。あと、サラ金や銀行から献金を受けている政治家か。
真の意味の「国富」とはなんであるか?目指すべき国民の生活とはどのようなものか?今の日本政府には、このような、「国民の幸福追求」と言う理念が全く欠けている。
小泉構造改革とはこういうものに過ぎない。「指標」を上げること、それだけにテクニカルに走っただけで、結果として、国民へのメリットはほとんど無い。
こんなままでいいのか?
まだ、田中角栄の地元利益誘導のほうが、地元だけでも豊かになった。税金の使い方の偏りは問題だったが、彼は地元との約束を守った。
小泉は何を成し遂げ、何を育て、何を守ったのか?
実は、何も成し遂げず、何も育てず、既得権益は守り、指標だけを上げたのである。
経済の回復は、中国に生産拠点を移した企業が、安い人件費などで、ぼろもうけをしているので、指標がよくなっただけである。日本の産業の空洞化は、もはや取り返しのつかないところに来ている。
今後、日本が目指すべきは、北欧型安定成長路線であるべきだ。だが、未だ、右肩上がりの拡大成長路線の復活を信奉しているのが今の政府であり官僚だ。このままでは格差はますます広がるだろう。
いかんせん。
この記事の当時は小泉政権でしたが、その「遺産」の上にあぐらをかき、国民生活のための施策をうとうとしない安倍政権を強く糾弾したい。
今日、同時に、みずほ銀行が、中間決算で史上最高益を出したという報道で、「政治献金再開へ布石」とのこと。
不良債権処理の際、国民の税金から何兆円もの支援を受け、顧客への金利は蟻の涙程度。貸し渋りや貸しはがしなどにより倒産した企業は数知れず。傍若無人に振舞った末、儲かったら最初にするのは政治献金か!怒りがこみ上げてくるニュースです。(ちなみに銀行は、業界団体の全銀協を通しての巨額の政治献金は今までもずっと行っています。)
国民生活を無視して、盲目的に1930年代的な統制国家を目指して、強権的法規の成立をもくろむ安倍政権は、まず何をおいても倒すべきであると思う。



