しかし、安倍首相の答弁は、一言も「格差の存在」は認めずに、話のすり替えに終始した。結果、何もかみ合った議論にならず、答えも出なかった。
格差の有無については、いろいろな考え方があるのは確かだろう。新自由主義が蔓延するアメリカやその周辺諸国では、格差があるのは当たり前である。しかしその原因が人種差別であったりする点に、アメリカの格差社会の根の深さを感じる。
自民党は、「他国に比べれば格差は小さい」と主張する。
しかし、先日の毎日新聞と東大の共同調査の結果、格差の程度を示す「ジニ係数」が、10年ほどの間に、明らかに大きくなったという結果が出ている。つまり、国民感情としては、貧しい人はより生活が苦しいと感じているのだ。
また外国のことを言うならば、北欧はどうだろうか?人口が少なく天然資源の豊富な北欧と単純に比較は出来ないが、先方は高福祉国家である。日本でも、政策次第では格差縮小は出来るだろう。
「経済大国に応じた、国際社会での軍事的貢献」を言うより前に、国民の生活のほうが優先すると思うが。
一番問題なのは、日本人の多くが、「以前よりも生活が厳しくなった」と感じていることにある。外国の例を出す必要は無い。現実に母子家庭や老人医療費などで、「小泉改革」の結果、弱者の負担が増えているのは間違いない。景気浮揚策として取られてきたサラリーマン減税も次々に撤廃されている。結果的に手取り収入が目減りしているわけで、この点だけでも格差は存在すると言うべきであろう。しかし、安倍首相は格差の存在を認めなかった。認めなければ、対策を打つはずも無い。
昨日の答弁は、「安倍内閣は格差是正に無関心」と言うことを示したのである。
参院選に向けて、「あなたの生活は10年前と比べてどうですか?」を争点にするべきかと思う。



