※ 今日は特別な日ですので、特集記事です。お題については、一つ前のエントリーをお読みください。
今日は62回目の長崎原爆忌です。
広島原爆忌の日には短い記事しか書かず、今日、長い記事を書くのは、いつも広島のほうがクローズアップされて、長崎はともすると忘れられがちだと感じているからです。
今朝も、被爆死者の冥福と核廃絶を祈ってから出社します。
今日、8月9日は、長崎にプルトニウム使用原子爆弾「ファット・マン」が投下された日です。
被爆直後の死者は7万人以上と推測され、その後放射線被曝等で亡くなられた方を含めて14万人以上の犠牲者を出しました。
広島の犠牲者と合わせて35〜40万人もの人が、たった2発の爆弾で命を落としたのです。
62年前のこの夏から、人類はそれまでとは異なる時代に突入しました。核兵器の時代です。
核兵器の時代とは、すなわち人類が自らの手で絶滅する可能性を持った時代ということです。
それまでの戦争では、もっとも激しい攻撃でも、多数の艦船や爆撃機や大砲を用いて行われるものでした。そしてそれでも人類が滅亡する可能性は極小でした。
しかし、1発の爆弾で、瞬時に十万単位の人を殺し、ほとんどの物を灰燼に帰す兵器の登場は、戦争の概念を変えました。さらに今の核兵器は、広島・長崎の爆弾の10〜20倍の威力を持ちます。
19世紀のプロイセンの軍人、クラウゼヴィッツは、その著書「戦争論」で、「戦争とは、外交の一手段である。」と喝破していました。領土を奪い合うための、歩兵の戦闘を主とした当時の情勢では、この認識に間違いはありませんでした。
しかし、核兵器の登場により、戦争は単なる土地や資源の争奪戦を超えて、憎しみにより相手を絶滅に追い込むことを可能にしたわけです。
そして、核兵器による外交とは、恫喝以外の何物でもなく、それまでに構築された国際法の概念を打ち砕くものでした。
そして今、世界には米露中を中心にした、核兵器の氾濫状態で、人類を何度も絶滅させるに足る「オーバーキル」の時代となっています。 これはクラウゼヴィッツが前提としていた戦争とは異なります。
現代の核戦争は、領土や資源を奪うという、低劣な目的すら超えてしまった、破壊と殺戮を目的とする、憎悪と狂気の戦争なのです。
米露中英仏の、国連「安全保障」理事会の常任理事国がすべて核保有国というのは、冷戦時代の、資本主義と社会主義の、イデオロギー的相互憎悪の結果と言えます。
私の個人的見解では、資本主義も社会主義も、それ以前の絶対王制や、封建制へのアンチテーゼとして、近代市民思想から生み出された民主主義を基礎とする新しい思想で、その根本においては、本来、対立するものでは無いと思っています。
しかし、戦後超大国となったアメリカが、旧ソビエト、共産中国の台頭に警戒心を持ち、半ば以上意図的な反共キャンペーンを行い、相互憎悪を煽り立ててきた結果が、「オーバーキル」の状態にまで、核兵器の保有拡大を進めてきたのです。
しかし、大元の原因が、原爆を初めて保有したアメリカにあるとは言え、武装革命の輸出を唱えつつ、核保有に走った旧ソビエトと共産中国も、現状に対する責任を免れることはできません。
つまり、まず大国間の見得の張り合いも含めた憎悪の連鎖で、核兵器保有とその拡大が、今のオーバーキルの状態を作り出したのです。
しかし、ソビエトの崩壊、共産中国の開放政策により、冷戦構造は崩壊し、依然オーバーキルの状態は変わらないものの、経済・資源面で相互依存の関係を深め始めた米露中英仏各国は、現状、核兵器のボタンを押す誘惑には捉われずにすむようになりつつあります。
現在の問題は核兵器の拡散です。
今確認されている5大国以外の核保有国は、インド、パキスタン、北朝鮮です。そして、イスラエルは公式には何も認めていませんが、核兵器保有を確実視されています。また、現在国際問題となっているのが、イランの核開発疑惑です。
このうち、インドとパキスタン。イスラエルとイランとは、歴史的、宗教的に相互憎悪の関係にあります。
ここまで述べてきてわかるように、核兵器とは、その異常なまでの殺傷・破壊能力の結果、通常の外交問題の解決法の一部としてではなく、相手を憎悪に基づき、絶滅させることを目的とした狂気の兵器なのです。
では、北朝鮮の核保有の理由は何でしょうか?
あまり論ぜられませんが、これは、在韓米軍が保有する、戦術核ミサイル「ランス」の脅威に長年さらされている事と、「悪の枢軸」と名指しされ、制裁を受ける理由となった、アメリカへの憎悪がもとにあります。
もちろん、数発の威力の小さな核兵器を持ったところで、アメリカに対抗することはできませんが、国内向けの宣伝と、核保有を外交カードにしようというものです。
日本人の多くが誤解しているのは、北朝鮮の核は日本に向けられたものではありません。
何故わかるかというと、核兵器の運搬手段として開発されている、テポドン・ミサイルの射程距離が、日本よりもはるか遠くまで飛ばすことを目的としていることから、北朝鮮の意図は、アメリカに脅威を与えて、アメリカからの敵視政策を恫喝によりやめさせることを目的にしているものと考えられます。
逆に、北朝鮮の核の脅威を煽り、拉致問題で強攻策を取り、「対話と圧力」と言いながら、「拉致解決が大前提」と言う百万遍のお題目を繰り返すだけで、対話らしい対話をしてこなかった安倍政権は、日本人の心に北朝鮮への憎悪を植えつけようという、狂気の外交政策を続けているのです。北朝鮮もそれに比例して、態度を硬化させ、日本への憎悪を煽ろうとしています。
つまるところ、核保有を望む安倍が、冷戦時代のアメリカのように、意図的に憎悪を煽り、軍拡のために、問題を深刻化させようとしていたものに過ぎません。乗せられる人も愚かですが。
ただ、このもくろみも、アメリカの頭越し外交の結果、無様な失敗に終わろうとしています。
また、日本の核保有をもっとも警戒しているのは、米露中の3国であることは間違いないでしょう。安倍は彼の宗主国アメリカの意向に反する政策を取ろうとしていたわけです。
アメリカが北朝鮮の核放棄を、話し合いで実現させようとしているのは、日本までが核保有してしまうと、中国に脅威を与え、東アジア情勢全体が不安定になることを未然に防ぐ目的があります。最新鋭ステルス戦闘機、F22「ラプター」を日本に売却しないことを決めたことからも、アメリカのこの意図がわかります。
このような状況もわからない、日本外交の貧弱さと安倍の単細胞振りにはあきれ果てるばかりです。
以上述べてきたように、核兵器とは、憎悪によって推進される、非人道的な、狂気の兵器なのです。北朝鮮を狂気呼ばわりする人ほど、日本の軍備増強や核保有論を強調するのは、安倍らネオコンの煽りに乗せられた、狂気の沙汰というわけです。
「憎悪」と「狂気」。
この負の感情に押し流されては、破滅への道まっしぐらです。
日本も六カ国協議に積極参加し、北朝鮮の核放棄を進め、その過程で拉致問題の解決に取り組むべきです。相手を罵っているだけでは何も産まれません。
唯一の被爆国、日本が、核兵器の狂気に冒されてはいけないのです。核兵器を使用しても、使用されてもいけないのです。
あの悲惨な経験を元に、日本は他国よりも一層高い倫理観を持って、すべての国の核兵器廃絶に向けて、真摯な外交にあたるべきだと思います。
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外務省って旅券発行所以上のことなんてやってましたか?
ここ20年ほどで日本の外務省の誇るべき功績って思いつかないです。
原爆投下についてだって日本政府は一度も米国に謝罪を要求せず。
東京大空襲で日本人を無差別に殺したルメイには勲章まで与える倒錯ぶり。こんな奇妙な国が他にありましょうか?
とても読み応えがありました。
最近とみに、アベ外交の浅はかさが目立ちます。それは、核に対してもそうですね。
北朝鮮と中国を仮想敵国として、とにかくアメリカについていけばいい、と○鹿丸出し。
日本だけ、はしごをはずされて、今何を思っているのでしょう。
平和憲法と、ヒロシマ、ナガサキから、いくらでも、核廃絶、核拡散を進める世界のリーダーをして存在感を示し、尊敬される地位を占められるのに。
核保有願望があるからでしょう。
原発事故一つ、きちんと対処できず、原発が攻撃に対象になったら、放射能で汚染されるのに。戦争をなくす努力とは正反対のことをしているアベは、正常な判断能力がありません。
また他国における加害の責任を果たしてこなかったので、自国の被害について、何もいえないのでしょうか。
ナガサキで、被爆直後亡くなった7万人以上のうち、1万人が朝鮮半島などから連れてこられた強制労働者だそうですね。日本人だけが犠牲になったのではない、原爆投下。人類の敵の原爆。アメリカにないも言えなくてどうする日本。
日本外交は、とにかく対米追従(この「追従」は、「ついじじゅう」と読まず、「ついしょう」と読んで欲しい)が大原則ですから、外務省は何も考えずに、アメリカさまの行いを見ていればそれで済んできたのが、戦後60年です。
ソ連や中国を仮想敵として、世界中で反共政策を取っていたアメリカに追従していれば、一応一方の側に属することが出来るわけで、「隣百姓」根性の日本人には楽な方法でした。
でも、今はアメリカが国際社会で孤立しつつある中で、理屈抜きでアメリカに媚を売り続けるのか、ヨーロッパのように、独自の路線を打ち出すのか、今が正念場でしょう。
しかし、天木直人氏をやめさせてしまう今の外務省&自民党に、媚米・追従外交を変えることは、まずできないと思います。
今度の民主党のテロ特措法反対が貫ければ、外務省の中にも危機感が生まれるでしょうが、それはまっとうな自浄のための危機感ではなくて、自分達の地位を不安視して、さらにアメリカ追従により、お墨付きをもらうことを求めるだろうと思います。
おっしゃること、ごもっともと思います。
特に、核廃絶について、間近な北朝鮮の核放棄の議論の場で、何もすることができない(しようとしない)日本外交の貧弱さと、安倍の北朝鮮敵視による軍拡政策に乗って追従をする外務省に存在意義は無いでしょう。
今日の記事は、国際政治学ではなく、倫理と論理の面から、核保有、拡散の問題を指摘したものです。
国際政治学者の言う「現実」に追従するのではなく、ここで述べたような「望ましい姿」に国を導く姿勢が、政府や官僚に求められると思い、この記事を書きました。
イランに持たれているのは「核開発疑惑」、それもアメリカだけが力説していて、現実性は薄いという説が有力です。
日本とイランの関係はかつて良好で、本来悪くなる筋合いもありません。これから二本との友好が望まれます。
ちなみにイランはアフガニスタンとの関係で、世界最大の難民受入国です。両国の人々は国境よりも「お互い様」の感覚でしょう。
ご指摘の点は気づいています。直さなかったのは、単なる私の怠慢です。すいません。
遠くにいるアメリカや日本の人に比べると、国境を接している国々は、私達にはわからない心情を持つでしょう。
だいぶ昔に見たNHKの番組で、あの近辺の直線的な国境は、帝国主義国家が、戦後、各国の独立時に勝手に引いたもので、昔から行き来したり遊牧していた民族・部族にとっては、国境など無いも同然でしょうね。
陸続きの国境の無い日本や、南北の国境は従属国のアメリカにはわからない心情かもです。
今日の長崎の慰霊平和祈念式典の様子をテレビで見ました。
市長も県知事も、北朝鮮の核について述べていました。「北朝鮮」がそれほど脅威なのでしょうか。何か、作られた世論を感じてしまいました。
こちらの記事に共感し、書き込ませていただきました。
ぶいっちゃん さんの所のトラバより参りました。
>日本は他国よりも一層高い倫理観を持って、すべての国の核兵器廃絶に向けて、真摯な外交にあたるべきだと思います。
の言葉に、共感いたしました。
最近読んだ本に、「日本が核武装することは、多くの国の核武装の権利を正当化することになる。」「本当に核武装して脅威とあなるのは国ではなくテロリストである」とありまして、成程と思いました。
拙い記事ですが、トラバさせて下さい。
コメント欄での
「現実」に追従するのではなく、「望ましい姿」に国を導く姿勢が、政府や官僚に求める
というところにいたく共感いたしました。
そうでないからこそ「しょうがない」発言がでるのでしょうね。
トラバさせていただきました。
はじめまして。
> 近代市民思想から生み出された民主主義
民主政(民主主義)は、今から約2500年前(紀元前450年頃)の、古代ギリシアで、人類史上はじめて完成されたものです。当時は直接民主政でしたが、いまでも、この古代ギリシアの民主政は「最も理想的な民主政」と評価されています。
この民主政を完成させたのが、パルテノン神殿を創建したペリクレス将軍で、彼の演説は、いまでも「人類史上最高の演説」として称えられ、多くのヨーロッパの政治家に引用されてきました。日本では、縄文時代の時です。
この人類史上最高の演説と人類史上最初で最も理想的といわれている民主政については、近々(今月中には)私のブログに書かせていただきます(以前に新聞紙上に掲載していただいた私のコメントを加筆・転載するつもりなので、新聞社の許可をとらなければならないのです)。
以前にもちょこっとだけ、人類史上初の民主政について、私のブログの「エーゲ海に輝く詩」という記事で触れていますので、もしよろしければ、ご参考にしてください。
民主主義とは何か、という話に発展していますね。今回のエントリは【お題】ではありませんが、眠り猫さんのブログでは勉強になる議論があって役に立ちます。「民主主義教育」が(大人も含め)必要だと痛感する次第。石埼学さんの「デモクラシー検定」(大月書店)は面白いですよ。
初めまして。
共感いただき感謝です。
私の信条の一つに、「1人が1人を変えていけば、全体では倍になる」と言うのがありまして、自分の記事に共感してくださる方がいるのは、大変うれしいです。
またお越しください。
初めまして。TBもありがとうございます。
ご指摘のように、被爆国日本が核武装するということは、あの惨禍を肯定することにつながり、他国の核武装を是認するということです。
自民党内核武装論者が多いのは、軍事力=パワー=国の面子と言う、19世紀的な古い考えに未だに捕らわれている、無思考な政治屋がいかに多いかと言うことです。
まぁ、かつてフランスのド・ゴールが、「核保有によるフランスの栄光」と言ったというのも、基本的に同じです。
ただ、ド・ゴールは、核の惨禍を知らなかったので、古い理屈で核武装を肯定したのでしょう。
日本人で核武装を唱えるものは、歴史と自国民の悲劇を知らない愚か者です。だから、他の歴史認識問題でも誤った情報をもとに強弁するのです。
こちらも初めまして。
はい、私は、「現実を見よ」と言って、核武装論を唱える人々を軽蔑しています。現状への追従は、単なる猿真似でしかなく、特に政治家には、理想を実現するために活動して欲しいのです。現状を追認して、国の行政を回すだけなら、官僚制度で十分で、政治家は不要です。
ここら辺は、マックス。ウェーバーの講演を引きながら、「国際政治学者の言う、現実論の欺瞞」(仮)と言う記事を近日中に書くつもりでいます。
前原や、舛添のタカ派的発言の根拠をを切って捨てる記事です。ご期待ください。
初めまして。
アテネの民主制は、今の資本主義と社会主義での民主制に、思想的に直線的つながりは無いと思いますので、記事中ではそのことには触れませんでした。
アテネやペリクレスのことは私も歴史が好きなので、多少は知っていますが、貴兄の記事およびご意見を楽しみにしています。
幅広い議論と相互啓発、情報交換を目指して、「猫の教室」を始めたのですが、毎日のように、初めての方がコメントをお寄せくださり、予想以上の盛況で大変喜んでおります。
私も一緒に勉強させていただいているので、ありがたい限りです。
選挙前の、1日2記事態勢のころよりはアクセス数は減っていますが、それ以前に比べれば、高いアクセス数を維持しています。
でも、アクセス数よりも、幅広い広がりがあることの方がうれしいです。
>での民主制に、思想的に直線的つながりは無
>いと思いますので
古代ギリシアのアテネは、議会制民主政でした。また、国家(都市国家)の管理のもとで銀行が運営され、貨幣経済よって富の分配がおこなわれていました。
法が整備され、検察・弁護士制度があり、裁判は公開され、判決は市民投票で行われていました。
ペリクレスは言います「私たちの民主政では、個人の才能が優れていることがわかれば、不公平な平等は排して、その人に公の援助をし、その人の能力に応じて公の地位や仕事を授けます。その人が貧しいがゆえに、その人の将来が閉ざされることなどは、けっしてありません」と。さらに「権力とは一部の人間の所有物ではありません。あなたたち全ての人の幸せのために、全ての人が所有し行使するものなのです」とも。
眠り猫さまの言われる「直線的」の意味がわかりませんが、アテネの民主政は、現在の社会民主主義の濫觴となるものではないでしょうか?
すくなくとも「民主主義というものは、近代市民主義から生み出されたと」言う見解は歴史的な事実ではなく、誤解だと思います。
ペリクレス自身が宣言しています「我らが発明せし、この我らの民主政は、他のどの国家の政体にも追随するものでもない。他の国家の範とならんとするものである。我らの輝かしき民主政は、今の世のみならず、遥か遠き未来にまでも、世人の賞賛をあびることであろう」。
(出典:トゥキディディス『歴史』)
そうですか。
歴史論的には、アテネの民主制が、直接、共産主義や資本主義に影響を与えたという理論も何にも無いわけで。
ただ、それらを構築した理論家たちの教養の中には、多分ギリシャの歴史や哲学はあったのは間違いないとも思うわけで、私は別にあなたの意見を否定しているわけではないですよ。
ただ、この記事の主旨には無関係なコメントには返事をする気は本来は無いのですがね。
西洋古代史論はご自分のブログでやられてはいかがですか?TBは歓迎しますよ。
AbEndフォーラム
米国が核兵器全廃を唱え出す日
http://atbb.jp/abend/viewtopic.php?t=681
をアップしました。
トピック作成は
天木直人のブログ[2007.08.10] やっと紹介された米国内部の核廃絶提案
http://www.amakiblog.com/archives/2007/08/10/
がキッカケですが、天木氏がキッシンジャーらの論説を最初に取り上げた
天木直人のブログ[2007.03.01] 米国が核兵器全廃を唱え出す日
http://www.amakiblog.com/archives/2007/03/01/
で、論説を知ったのがサピオ3月号で、原文ではなくサピオ記事から要約していることに何とも皮肉と侘しさを感じます。
最近、自分のブログに熱中していて、AbEndフォーラムに顔出ししていませんでした。
今日、ご紹介の記事を読みに行きますね。
天木直人氏のブログも参院選で中断して以降は読んでませんでした。これも読みに行きたいと思います。
一昨日あたりから、世の中は夏休みモードに入ったらしく、アクセス数が減っています。
他のブログも同様、mixiのコミュニティも発言者が激減です。
私は、西洋古代史のブログなどはしていませんよ。
私は、国際連合経済社会理事会諮問機関であるアムネスティ・インターナショナルのメンバーであり、欧州連合(EU)宗教政策諮問委員会の最高評議官である、本業は、大学の講師です。
歴史的事実を基盤として、現代社会の抱える、政治・社会・国際問題についての意見をブログで述べています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
どうも。行き違いがあったのは事実ですが、あなたの方で、寛容の精神を示してくださったので、これまでのことは水に流して、今後はよろしくお願いします。
ここでは、当面は議題はあちこちに飛ぶと思いますので、たまに来て、ご意見があるときに、ご専門の立場からご意見をお願いします。
私も、趣味としては宗教学に関心があり、一般向け書物は読んでいるのですが、現代の各国の宗教事情などは全くわかりません。
そのあたりは非常に関心がありますので、機会があればご教示ください。
では。今後ともよろしく。
URL制限は解除したはずですが、どうなっているか、一度試してみてください。
ではでは。