さて、予告より日程はずれましたが、「猫の教室」、秋のシーズンの開講です。
相変わらず、能天気きまぐれ、非常勤臨時代理講師補佐見習い(「手伝い」から出世しました。祝。)の「眠り猫」です。
さて、今日のお題は、コイズミカイカク以来、日本に格差社会をもたらし、強いものはより強く、弱いものはより弱くと言う政策で、ネットカフェ難民とか、ワーキングプア、自殺大国日本と言う社会現象を引き起こしたといわれる、「新自由主義」経済政策と、私が支持する「リベラル」的経済政策のどちらが経済面だけでなく社会現象的に見ても、今の日本に求められるのか?またそれ以外の思想(リバタリアニズムとか、マルクス主義経済とか)があるのかについてご意見を募集します。
この記事では、私の知識の範囲での、新自由主義やリベラル主義の概要を説明します。偏らないように双方の利点と欠点を平等に述べたいと思います。専門では無いので、誤りがありましたらご指摘ください。
「新自由主義」と言う言葉が聞かれるようになったのは、コイズミ政権で、竹中平蔵氏が推進した市場原理万能政策が推進された時からでしょうか?
しかし、新自由主義は、経済学的には、「新古典主義」と呼ばれ、近代経済学の古典である、ケインズ経済学(政府による経済への介入を是とする)の前に存在した、アダム・スミスの「夜警国家論」に淵源を持つ、古い経済政策を、現代版に焼きなおしものです。と言うわけで新しい思想ではなく、基本は逆に古い政策だと言えます。
新自由主義の特徴は、とにかく「自由」を基本にし、市場経済原理を至上のものとします。高度経済成長期の日本にあった、規制による官庁主導の経済政策をやめ、市場の競争原理で、勝つものを優遇していく考え方です。その意味では、日本の護送船団方式とアメリカに批判されていた事実上の保護主義をやめたわけです。
それは、根本的な意味において、自由主義の観点からは正しいかもしれませんが、必ず「敗者」を生み出すシステムであります。そして、アメリカの要求は、最強国家アメリカが勝ち続ける「スタンダード」として、新自由主義を要求し、コイズミはそれに忠実に応えたわけです。
これに対して「リベラル」な経済政策は、福祉などに重点を置いた、ケイジアン的経済思想ですが、それは元々、資本主義勃興期の自由主義経済の下で顕在化した、資本家と労働者の経済格差の是正を目指して成立したものです。
淵源をたどれば、近代市民思想の泰斗、ロックにまで突き当たりますが、自由と言うのは、2面性がある。自由権と言うものは、基本的権利として万人に認められるものであるが、その結果生じる、「万人の万人に対する闘争」と言うものの結果、不効率や敗者が生じ、必ずしも完全な自由が人間を幸福にしないという思想が「リベラル」思想の背景にあります。
細かい話になりますが、「新自由主義」は、「新保守主義」(ネオコンサバティブ=ネオコン)の政治家の政策とほぼ同義ですが、厳密に言えば違います。
本来の新自由主義ならば、その競争環境を守るために、確固たる自由と平等と平和が前提とされ、軍備拡大、戦争外交、増税は、本来の新自由主義の思想には無いものです。
ネオコンは、漠然とした概念で、政治学上は新自由主義の上位概念とされますが、まとまった思想ではなく、逆に政策面で、大企業擁護、軍事拡大、庶民増税を行う政治家がしばしば新自由主義を唱えてきたという歴史的経過から、関連付けられるに過ぎません。
今のアメリカも日本も、ネオコン政治家が主導する新自由主義万能論が支配的であり、経済界を代弁する日本経済新聞では、新自由主義こそが正しいという論調をとっています。
これに対して、「リベラリズム」とは、ケインズ型の政府の介入による経済政策で、「自由」の暴虐の下に敗者となった階層を救済したり、そもそもそのような事態がおきないように経済政策を誘導する考え方です。
ケインズ思想は、必ずしもリベラルと同義ではなく、国による一部主幹企業の国営化や、保護主義を含む、「修正資本主義」的な政策です。リベラルとはその考え方の下で、弱者、敗者へのセイフティネットを構築したり、福祉を重視することを基本にします。
こう述べると、「リベラル」と言うのは、原始的な自由主義の暴走から弱者を守る理想的な考え方のように見えますが、この道をとる場合、「高福祉高負担」と言う結論が待っています。
北欧のように、税負担は極めて高いが、その一方で社会(政府)から受ける恩恵も非常に大きい社会です。
以上のように、「新自由主義」の基礎は、近代市民思想の「自由主義」の発露であって、一見、正当なように見えます。しかし、それでは、問題が生じたからこそ、1929年の世界大恐慌の後のアメリカのニューディール政策のように、国家が経済に介入して、全体的な不公平を是正しようと言う動きが、修正資本主義の元祖と言われますが、リベラリズムはそれよりもさらに弱者保護の姿勢が強いです。
アメリカでは、レーガン大統領が推し進めた、「レーガノミックス」と言う、ネオコン・新自由主義政策において、「リベラル」と言う言葉は、昔、「英国病」と言われた、政府の保護に依拠した労働意欲の低下した、「怠惰な人間」をさす言葉として、悪い意味で使われるようになり、アメリカでは依然その傾向にあります。
しかし、リベラリズムとは、根源的に政府依存を求めるものではなく、自由を基本に置いた上で、そこで発生する不具合を、調停者または救済者として国家が手を差し伸べる(セイフティネットの構築)。その分の費用は税によってまかない、高福祉高負担となる、っと言うものです。
以上、新自由主義(ネオリベラリズム)と、本質的リベラリズムについて述べてきました。
現在のアメリカや日本は、新自由主義を標榜しながら、軍需産業や大手金融機関を手厚く保護し、政治家と利権で結びついた、異常な政策を実施しています。今のアメリカは、かつての自由主義国家ではなく、完全に階層社会になり、貧富の差は救いようの無いほど拡大しました。
日本もまた、コイズミ改革とやらのもとで、生活実感が悪化する一方で、ごく一部の大企業とその経営者だけが潤っている状況です。
私は、ベンサムの「最大多数の最大幸福」の観念を借り、やはり新自由主義で行き過ぎた格差を是正するためには、それが固定化(いわば貴族階級の創出)する前に、リベラルの思想を導入し、格差是正を目指すべきだと思っています。
ただ、押えておかなければならないのは、新自由主義もリベラリズムも、行き過ぎれば害悪を生み出すということを見すえる必要があると思います。問題は、その時々に応じた、適切な経済政策を取ることにあり、特定の考え方が一方的に悪であるとはいえないことです。
ただ、現在のアメリカ、及び日本政府が取っている政策は、ネオリベ+軍拡、国民生活と人権を制限する政治は、本来の自由主義にも反する、異常な状態であると思います。
アメリカは「グローバル・スタンダード」と言う言葉の下に、アメリカのスタンダードを世界中に押し付けました。そして、それで利益を得る利権政治家(ブッシュ、チェイニー、コイズミ、安倍ら)は、それを推進しましたが、それが唯一で最高の解決策でないのは、明白です。
良く、アメリカン・スタンダードの押し付けで、日本の富がアメリカに流出したという意見がありますが、その一方で、日本の財界もまた、その波に乗って、アジア諸国などで、利益をむさぼっている現実があります。
南米のチャペス大統領に代表される、「南米の反乱」は、アメリカのグローバル・スタンダードへの強権的な反抗です。
日本がいつまでも、アメリカの真似をし続ける必要は無く、一方で、南米のように過激な反米主義を唱える必要もありません。
正しいリベラリズムを行い、意味の無い軍拡主義をやめれば良いのです。
最後のほう、自説の開陳になってしまいましたが、新自由主義(ネオリベ)とリベラリズムのどちらが、具体的にどう良いか。これが今日の【お題】です。
ご意見お待ちしています。

素朴な疑問ですみません。
なんか、そんな気がしたもので。。。
えっ?説教臭かったですかね?
私はしがないうつ病病みのサラリーマンです。
押し付けがましかったらすいません。
古典派経済学者マルサスが主張した「一方の極に富が集中し、一方の極に貧困・無知・飢餓が集中する」という経済法則を彷彿とさせられる、肌寒い経済状況を感じてなりません。さらにマルサスは「経済成長は1,2,3,4・・・と算術的にしか伸びないが、人口の増加は2,4,6,8・・・と幾何級数的である」したがって「貧困と飢餓は防ぎようがない」と考えました。これは世界的規模でグローバル経済をみると、先進国は富んでも、後進国では貧困・飢餓と死が蔓延しているという絶望的状況を予測したとしかいいようがありません。
アメリカや日本では、ロックの抵抗権思想(=気に入らない政府は国民の手によって転覆させてよいとする考え)のように、選挙、その他の方法によって、ネオリベ政権を倒す国民的意気込みが求められます。
僭越ながら、お題に対する私の思いも申し上げさせてください。
政治手法の選択は、究極その国家が何のために存在しているのかということになっていくと思います。私は国家の存在意義は、その国に住む人々が互いに生きていくための手助けを互いに行う−相互扶助を行うことだと考えており、その行いの中で人類共通の願いである「平和」と「平等」を実現することこそが国家の存在する理由だと思っています。
なので、経済の自由を偏重することで人々を勝者・敗者に色分けし「平等」の理念を軽んじ、弱肉強食という争いを前提にした世の中を招聘することで「平和」を遠ざけるような今の政府与党の志向する「新自由主義」「小さな政府」は許容したくないと思っています。
政治の手法については最終的なベストの回答はないと私も思います。人類の歴史もみようによっては試行錯誤の連続だったかもしれません。ただ、一部の富裕層を生み出すために貧困層を作り出して犠牲にするような世界は絶対に人類の理想ではないと私は信じています。今の日本、また日本をとりまく世界において「平和」も「平等」も望ましいような状況にあるとはとても言えないと思います。だから今の世界に必要なのは、他人を叩き落して勝ち上がる道ではなく、互いに手をとって助け合いながら進む道なのではないかと思います。誰もが勝者になる世界なんてあり得ないのですから。
・・長文&駄文で申し訳ありません。これからも期待しておりますのでお体にはお気をつけてがんばってください。
新自由主義は明らかに経済思想と考えられ、リベラリズムは政治思想の性格が強いでしょう。
リベラリズムに基づく経済思想は修正資本主義でいいのではありませんか。分り易いから。
もっとも新自由主義は、すぐにやめるべきです。これはフリードマンを教祖とする政治経済カルトです。グローバリズムと組み合わさって循環してしまうと、市場は焼き払われ、実体経済もガタガタにされます。
ネオリベはまだ歴史が浅いので、経済循環の把握と検証は近年ようやくなされ始めていますが、分り易い本として
「悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環」内橋克人、文藝春秋刊
を挙げておきます。
要旨は、
グローバル経済下では特定の(主として新興の)市場に、(いわゆる外資ファンドの)投機マネーの流入と流出が10年、20年といった長期的なスパンで行われる、
その経済規模が市場の実体に比して大きく、変動がドラスティックなため、経済のバブル化とその崩壊を引き起こす、
これが波状的に繰り返されることにより、対象市場の属する社会は景気循環を起こしながら蝕まれていく、というものです。
なお、アメリカの戦争必要型経済は、古くは南北戦争、パターンができたのは米西戦争、米墨戦争あたりと思いますが、今日の惨状の源は、ベトナム戦争でしょう。
そうですね。マルサスの言うとおりだとすると、人間を「野放しの自由」状態に置いておくと、社会的敗者が幾何級数的に増え、貧困が増大し続けるという事になるわけですね。
ロックを含め、ルソーやホッブズが唱えた社会契約説は、前提など、違いはあるものの、国家と言うものを、国民のための政治を行う装置と仮定し、国民のためにならない政治を行う国家に対しては、ロックの言う「抵抗権」を認めました。
現在は武力による革命は困難ですので、選挙と言う、公式に認められた手段で政府を変えることが可能なはずです。
ややもすると自分の意見の一方的な押し付けのブログが多く、少しでも疑問を述べると、気分を害し、相手をののしって終わるというパターンが非常に多いと思っています。
私は「新自由主義」と「リベラル」という対立軸はあるものの要はそのバランスだと思っています。今の日本は多くの国民にとって、「新自由主義」の弊害の方が利点よりも顕著になっていると思われますので、「リベラル」の方へ舵をきる時期だと考えています。
ただ正直言うと、現在はグローバル化が進んでいますので、昔のように単純に国内の事だけを考えて利益の配分をうまくやっていけるのかは、少し疑問も持っています。まだまだ私自身勉強不足なので、もう少し考えが固まってからコメントします。
初めまして。ご丁寧にありがとうございます。
実は、今後の記事に書こうと思っていたことを先取りされてしまいました。
そうです。「野放しの自由」と言うものは、「平等」とは相容れない存在なのです。
しかし、自由権も平等も大事な基本的人権です。
それをどう調整するかですが、私はフランスの三色旗(トリコロール)のことを思い浮かべました。青、白、赤の3色はそれぞれ、自由、平等、博愛を意味します。平等をはさんで自由と対置されたのは「博愛」。私はこれこそリベラリズムの基本精神ではないかと思うのです。
そのためには、新自由主義政策だけでは偏った政策という事になり、セイフティネットの構築などを図る精神も同時に無ければ、「平等」は達成できないということです。
またおいでください。
いらっしゃい。
そうですね。修正資本主義には間違いないのですが、該当する言葉が、社民主義しか無いので、リベラルと言う言葉を使いました。
フリードマンはリバタリアンだと思っていました。それでも「負の所得税」のように、貧困対策を述べています。今の新自由主義者はそういうことを全く考慮しようとしない。
「ネオリベラリズム循環」と言う考えは初めて聞くお話です。内橋克人氏は尊敬する経済学者なので、その言葉は信頼にたると思います。
言うなれば、中曽根政権による規制緩和で始まった新自由主義がバブル経済をもたらしたものの、それが破綻後20年をかけても以前の水準に戻るのがやっと。ここでアメリカか中国のバブルがはじけると、日本の経済も再び不況の中へ。っと言うことが繰り返されていくわけですね。
新自由主義は、不況に対するカンフル剤の機能はあっても、その状態を長期に続けることは、誤っているという論ですね。勉強になります。
アメリカの戦争経済は、軍事費と言う、実は大いなる財政出動で、経済を無理やり回し続けているもので、新自由主義とすら本来は相容れないものです。
戦争と言うものにより、需要(戦争)と供給(軍備拡大)と言う状況を常に作り出し、そこへの国の財政出動(軍事費)によって、関連する財界を潤すという、狂気の経済マシンです。
安倍は日本をそうしたいというのですから、狂気の政治屋です。ではでは、またお越しください。
お褒めいただき恐縮です。別に私が上に立って講師と言うわけではなく、皆で一緒に考えようというのが、「猫の教室」の趣旨ですので、私もまた学ばせていただいているのです。
私も新自由主義とリベラル的政策とは、バランスの問題だと思っています。
レーガノミックスで言う、リベラル批判は、その思惑はどうあれ、プロテスタンティズムの基礎をなす、「勤勉」と言う心情に訴えかけて、政府に依拠することを非難したものです。
しかし、それが正しいとは誰も言っていません。
私も今はリベラルに向かうべきだと考えています。
グローバル化についてですが、私はそれを全否定しません。これが進むと国境と言うものが意味を成さなくなり、「国家」と言うものの意味が変容していくと思うのです。そこでうまく調整できれば、戦争の無い地球を作れるかもしれません。理想ですが。
経済面での新自由主義に基づくグローバル化だけの世界展開では、世界規模の貧富の格差を生み出すだけです。国境を越えたセイフティネットや、環境保護などに、よりコミットメントしていくべきでしょう。
では。
そうですね、労働組合がスポイルされてしまったのと、国民の多くが未だに組合=アカと言うゆがんだ目で見ているせいもあるでしょうか。
公労協批判のマスコミの扇動もありますし。
まぁ、私の会社も御用組合で、メーデーくらいしかデモはしません(私は個人参加の団体で別に活動していますが。)。
今は、1960、70年当時のスチューデントパワーの爆発も無いでしょうし、運動論はこれまでのものでは難しいでしょう。
それを考えるほど私は運動論に詳しくありません。
一方で「ブログ言論」がささやかながら力をつけ始めたようなので、私は今の方法を続けます。
日本には、左派(とは見られない人が良い)のカリスマがいないですね・・・。
>新自由主義は、不況に対するカンフル剤の機能はあっても、その状態を長期に続けることは、誤っているという論ですね。
>現在はグローバル化が進んでいますので、昔のように単純に国内の事だけを考えて利益の配分をうまくやっていけるのかは、少し疑問も持っています。
まさにその通りです。ここで本来のワンサイクルは、経済が変動から安定に移るまでの期間と考えられます。
ところが今日のグローバルなマネー経済下では、その期間決定が、当該国の政府や中央銀行によってなされず、国外からの資金に左右されてしまいうという現実があります。
日本の場合、80年代バブルの崩壊から立ち直り切らないうち、ITバブルとその崩壊が起き、更に、これは内政の問題ですが、アリ地獄的なデフレに突入しました。このマネー経済の流れは、一国の実体経済とあまりに乖離しており、しかも先進国での二十数年内の変動としては大きすぎるものとなっています。
「ネオリベラリズム循環」というのは、新潟大の佐野教授が80年代後半のアルゼンチンの事例から導き出した概念とのことですが、心中主義は中南米には相当のダメージを与えているようです。
この原点はチリのアジェンデ政権転覆とその後のフリードマンによる経済政策の導入です(チリの事例については、グレッグ・バラスト著 角川文庫 「金で買えるアメリカ民氏主義」に詳述されています。ちなみにクーデターの日は911)。
また、97年、タイのバーツ危機、現在起きているアメリカのサブプライム問題も、市場原理・競争原理の暴走で起きたという意味で、心中主義の弊害と言えるでしょう。
重ねてのコメントありがとうございます。
フリードマンの本が日本でもてはやされたのは、バブル期よりも前のことだったと記憶しています。
その頃、アメリカはレーガン政権下で、新自由主義を導入していたのですね。日本ではまだ新自由主義と言う言葉は一般的ではなかったですが、ネオコン政権として中曽根内閣が進めた民営化政策、規制緩和などは、やがてバブルを招いたわけですね。カンフル剤が効きすぎたのです。
ご指摘の説にそっているかどうかわかりませんが、そのバブルの崩壊に対するカンフル剤として、再度新自由主義を持ってくると、これは「むき出しの自由」の暴虐に耐えられない人を増産する結果となっているわけですね。
現在、既に経済界でも混乱が起きています。喜んでいるのは、日本が強い、自動車、機械、精密機械、素材産業だけで、他の産業はバブル崩壊後の苦しみからまだ脱却できないまま、競争環境におかれて、苦しんでいます。
自分の利権のあるところにしか富を配分しない、コイズミカイカクの正体が現れ始めているわけです。