「新自由主義」と言う言葉は、比較的新しく言われるようになった言葉だし、特に新自由主義の信奉者は、自らの主張を「新自由主義」とは言わない傾向があるのが不思議だ。
そして、新自由主義は、しばしば新保守主義(ネオ・コンサバティブ=ネオコン)と重複して使用されがちである。
しかし、この両者は同じものではない。ネオコンと言うのは、広義では、政治に対する姿勢が、「ニューライト」と呼ばれる、右派思想に偏っていることを意味するが、経済政策ではない。それに対して、「新自由主義」は、むき出しの市場原理を理想とする、経済学者フリードマンらが主唱する、しかし実際はアダム・スミス以来の古い経済思想である。
この両者が、しばしば同一視されるのは、ネオコン政治家の多くが、新自由主義経済政策を採るという傾向があるに過ぎない。たとえば、アメリカのレーガン元大統領のレーガノミックス、イギリスのサッチャー元首相のサッチャリズム、そして日本の中曽根政権での、民営化万能論などである。
安倍前首相は、ネオコンであり新自由主義者であった(単にコイズミの政策を引き継いだだけで、彼は経済には、他のもの以上に無知だった)。コイズミは意外とネオコン的要素が少ない。靖国参拝強行などで、右翼のイメージが強いが、彼の在任中、自衛隊の正面装備は削減されており、また、途中で投げ出したとは言え、北朝鮮との国交正常化をはかるなど、右翼とは一線を画する政策を採っていた。
さて、日本における新自由主義の開始に中曽根政権を持ってきたのに、意外を感じる方もいるかもしれない。これは、「きまぐれな日々」のkojitaken氏が以前から述べていることなので、ご存知の方も多いだろう。
「新自由主義」と言う言葉こそ使用されなかったとは言え、日本での、新自由主義的政策を前面に押し立てた政治家は中曽根である。その経済政策の中心は、今の「構造改革」と同様、国営事業の民営化と、規制緩和であった。国鉄がJRになり、電電公社がNTTになり、タバコの専売公社がJTになった(皆横文字が好きだな)。ここには大きな詐術がある。本来税金で設備などが作られた国鉄を、民営化して株式会社にし、その株を政府が売却して、国民はそれを買うとき、本来自分のものにまた金を払ったのである。税金の二重取りに等しい。
しかし、それはここでは置こう。
中曽根の新自由主義政策のもう一つの目玉が、「規制緩和」であった。アメリカからの市場開放要求に応える形で、国内規制の多くを撤廃したものであった。
その中で、土地に関する規制緩和が行われた、たとえば、それまであった、山手線の内側における高層建築の高さ、容積率規制を撤廃した。
このような政策の結果、土地の流動化が進み、土地バブルを引き起こした。地上げ屋が横行し、土地を持っているものは、それを担保に金を借りて、株式などに投資した。これが、1980年代後半のバブル景気になっていくのである。人々は欲望に走った。借金してでも不動産投資をし、株を買った。買い手がいれば、それらの価格は上がる。そして土地価格は暴騰し、株価も、現在の倍以上の38,000円の平均株価をつけるところまで行った。
しかし、その後に来たのは、皆さんご存知の通りの、「バブルの崩壊」である。不良債権、不良資産を大量に抱え、個人は自己破産し、金融機関は、超法規的措置であり、脱法性が高い、公的資金と言う名の税金投入によって、不良債権を処理し、生き延びた。
平成2年のバブル崩壊後約15年余り、日本は不景気のどん底に落ち込んだ。
同時期に新自由主義政策を掲げていた、アメリカもイギリスも、バブル崩壊前に、レーガノミックスもサッチャリズムも修正を余儀なくされた。イギリスでは電力民営化は、原子力については再国営化されたし、教育改革も元に戻された。
元々日本ほど、経済に関する規制が少なかった両国では、日本に引きずられる形でのミニバブルはあったが、その崩壊の影響は、日本ほどではなかった。
今、日本は、小渕元首相に始まり、コイズミが完成させた、新自由主義の絶頂にいる。それが格差社会であり、大企業だけが繁栄を謳歌する経済情勢である。元々「むき出しの自由」が原則の新自由主義においては、その開始の時点で、強いものがより強くなり、少数の大企業が圧倒的に勝利を収め、他の多数の小企業や個人は敗北し、経済的弱者になる。それは新自由主義の当然の帰結である。
さらに、新自由主義の行き着く先は、再度のバブルの崩壊、または恐慌である。
経済の無限拡大、利潤の無限拡大は理論上ありえない。今日本経済では、個人所得の低下によって購買力が下がり、国内経済は既に破綻に近い。ただ中国と言う市場が発展を遂げているため、そこに投資する力のある大企業は繁栄を謳歌している。
しかし、中国市場もまたいずれバブルの崩壊を迎える。その時、中国市場に進出している大企業も大損害を出すことは自明のことである。その結果、日本もまた、不況に陥り、今度は恐慌(スタグフレーション)にまでなることはほぼ確実である。
新自由主義とは、本来、不況に対するカンフル剤のようなもので、それを永続させると、必ずバブルの崩壊に直面する。過去何度も繰り返されてきたことである。
経済人はそれはわかっているものの、目先の利益の追求に狂奔するあまり、引き時を間違えて、失敗する。
バブルに踊り、その後の悲惨な日本の状況を見れば、それは新自由主義がもたらすものであることは、ある程度以上の年齢の方なら、誰しも体感してきたのではなかろうか?
新自由主義はもう止めなけtればいけない時にきている。企業業績が悪化しても構わない。利益の再配分を確実に行い、家計を豊かにし、内需拡大に地道に取り組んでこそ、日本の経済は健全化する。農政もまたしかりである。
一部多国籍企業や金融機関と癒着し、利権を漁る、コイズミ以降の都市型族議員の私利私欲のために、日本経済を再び恐慌の底に落としてはならないのである。



中曽根民活の話出るたびに、建設省[現・国交省]にムカつくんで、古いネタですけど、何度でも、転用させてください。。
http://tobeajornalist.blog71.fc2.com/blog-entry-12.html#comment
五十嵐・小川両氏の岩波新書『都市計画 −利権の構図を超えて』
注目点は、p105−9とp141。
前者(特にp109)は、中曽根政権時の容積率緩和を扱っています。
中曽根首相が『国有地を民間に払い下げて』政治献金をせこく稼ごうとしたのに対して
[それでも1−10ha掛ける数百箇所だからまあ良い金にはなるけど]、
建設省の役人らは全国の容積率を大幅アップするという手法
(高い建物が建てられるようになり、その土地の資産価値が上がり、地上げが横行)で、
巨万の土地バブルを可能にした。時の首相より、昔ながらの官僚機構の方が、
やることもはるかに大きく、儲けも桁違いということ。当然多くが天下ったでしょうね。
後者は、90年代に(もちろん今もそうだと思いますが)『談合摘発』を主導したのが
アメリカの(戦略的)情報網だったことを指摘しています。『関係者から情報を集めて、
日本政府に突きつけた』そうです。今の官製談合問題の裏にもアメリカ有、て気がしています。
以前、「新自由主義」を「新古典派経済学」と同じ意味であるかのように用いてコメント欄で怒られたことがあるのですが、後者が経済学の理論、前者はそれを経済政策として採用する政治思想ってことになってますね。「市場原理主義」とも言いますが、「新自由主義」とは、テロリスト集団を連想させる「市場原理主義」よりもう一段軽蔑の意味を強めた用語らしいです。当然、この言葉は批判的にしか用いられません。
某所でも書きましたが、新自由主義者らが1991年以降の10年間を「失われた10年」と称して、バブル崩壊後の政策を誤った責任を、主に宮沢喜一、細川護熙、村山富市、橋本龍太郎の4人に押し付けています(選挙戦で安倍晋三もこれを叫んでいました)が、これはとんでもない欺瞞です。バブル及びその崩壊の最大の責任が、これを引き起こした中曽根康弘にあることは、常識として世に広く膾炙(かいしゃ)しなければならないと私は考えています。
先鞭をつけたのが、ロン・ヤスで米国べったりの
中曽根氏。(しっかり国鉄民営化も!)
それを極端に進めたのが、小泉氏。
そして、日本のネオコンの多くは、大嫌いな
社会、共産主義っぽい組合をいかに叩いて
潰すかを考えて、「改革」を行なっている
ようにも見えるです。
メルアドは架空のものです。すみません。
中曽根規制緩和については、私よりはるかにお詳しいでしょうね。
バブル発生の原因は中曽根にある。私はそれをバブル崩壊の時に気づきました。バブル崩壊は、どうやっても防げません。新自由主義を続ける限り、いつかは崩壊します。
今の日本の景気拡大とやらも、低金利で無理やりもたせているだけで、何かきっかけがあれば崩壊するでしょう。
「失われた10年」を誰かの責任にするのは、理論上間違っています。バブルは崩壊するのが必然で、その後の恐慌は経済理論上当然です。
それをその時期に政権にいたというだけで批判し、新自由主義推進の根拠にするのは、物事のすり替えです。
起こしてはならないバブルを起こした中曽根に全責任はあるのです。
コメントありがとうございます。
中曽根の時は、「民活導入」が合言葉、コイズミでは「構造改革」です。
今のままでは日本経済は再度スタグフレーションに向かうでしょう。そして外資が入り込み、日本の企業はアメリカのものになるのです。