少し記事が遅くなったが、大学で法律を学んだものとして、法務大臣たる鳩山邦夫の発言のいかがわしさについて論評したい。
この発言は、全国の検察庁の幹部を集めた「会同」の席で、法務大臣としての訓話の中で、鹿児島県において発生した、選挙違反の嫌疑をかけられた、ある集落の人々が、警察の違法ともいえる捜査の上で起訴されたが、裁判の結果、無罪とされた事件(志布志事件)について、「あれは冤罪ではない」と発言したものだ。
多数の方がブログなどで、広辞苑を引き、「冤罪」の意味について調べた上で、鳩山法相の発言は、的外れであると批判している。その通りであろう。
たとえ辞書を引かなくとも、一般人の認識では、犯罪を犯していないのに、逮捕・起訴されるということは、「ぬれぎぬを着せられた」と言い、裁判の結果が無罪であれば、それは「冤罪だった」と言われるであろうことは間違いない。
鳩山法相は、すぐに発言を謝罪はしたものの、個人的な「冤罪」という言葉の定義を主張して、さも自分が間違っていないかのように強弁した。
鳩山法相は、最近でも、「法相が絡まなくても自動的に死刑執行が進むような方法はないか」とか、「友人の友人がアルカイダ」、などの問題発言をし、そのつど謝罪、釈明をしている。懲りない人物と言うべきであろう。
私は、この「冤罪否定」発言を聞いた時、森喜郎元首相の、「日本は天皇を中心にした神の国」発言を思い起こした。
どういう関係があるかと言うと、法相の場合は、冤罪事件が起きると批判される、検察庁の幹部を前にしていた。森元首相の場合は、自民党支持者=保守主義者のパーティーでの発言だった。
つまり、両者とも、「その場の聴衆のウケを狙って発言している」という点が共通する。まるでお笑い芸人のようではないか。
その他の閣僚の失言の多くにも、似たような共通点がある。
これからわかることは、自民党の閣僚級の政治家であっても、「その場のウケ狙い」の軽い発言を、発言の意味を考えずに繰り返しているということである。
似たようなことは、昨年、ヨーロッパ歴訪をした、安倍前首相が、NATO(北大西洋条約機構)の幹部の前で、国内的になんの議論もコンセンサスも無かったのに、日本は、アフガニスタンへの出兵をためらわず、という趣旨の発言をしたのも同じパターンである。
ポピュリズム批判を展開している、「きまぐれな日々」のkojitaken氏なら、さしずめ「ミニ・ポピュリズム」と言うかもしれない。
このように、自民党政治家の発言は「軽い」、「無責任」、「根拠薄弱」、「その場のウケ狙い」なのである。いかがわしいこと限りない。
同様のことは、大阪府知事になった、橋下弁護士にも言える。選挙中は、庶民にウケが良い、公務員の給与のカットを公約にしながら、府庁に入った途端、公約を撤回した。これもまた、その場に応じて発言を変える、ポピュリズムの一種であろう。
このように、自民党政治家の発言の「いかがわしさ」は、産経論壇が主張する、沖縄で少女が暴行を受けたことへの怒りの言葉を、「いかがわしい」と言ってのける、無責任で、保守論壇を好んで読む人にはウケる発言しかしないのと共通する。クライン孝子が、やはり「正論」で、少女にセカンド・レイプとなる発言をしているのも同様である。
もはや、日本を、このようないかがわしい、口先野郎たちの手にゆだねてはおけない。
せめて、民主党幹事長の、鳩山兄のように、そのまま自民党にいれば、閣僚はおろか、首相の声もあがる人物が、それを捨てて野党に参加したような「潔さ」があればと思う。愚弟賢兄というべきか(民主党幹部としての鳩山氏の言動には、異論も持っているが。)。
民主党が良いとは言わないが、少なくとも、首相クラス以下、口先だけの、芸人根性の政治家の集まり=自民党に、政治を任せてはいられない。
次の衆議院選挙での選挙民の賢明な判断を願う。
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