この本は、岩波新書の赤本である。今年1月初めに初版が出たが、2月中ごろに私が手に入れようとしたら、すでに初版は売り切れて、ほぼ倍の値段が付いた古本で、ほとんど新品同然のものを買うしかなかった。それほど売れているということなのだろう。
筆者の堤未果氏はは、9.11で崩壊したWTCビルの隣で、野村證券の社員として働いていたが、事件後、ジャーナリストに転じた、新進気鋭の人物である。
内容は、「ルポ」と銘打っているように、実際に堤氏が、アメリカ国民や各種団体の職員や幹部にインタビューしたものを中心に展開する。
筆者は、最初からこの本で述べる、アメリカの抱える諸問題は、最初はレーガン大統領から始まり、その後、ブッシュ(父子とも)政権下で拡大した新自由主義に、原因があるというスタンスで話を進める。
最初は、食にも事欠く、ワーキング・プアの家庭の実情から始まる。
アメリカでは、「フードスタンプ」という、一種の配給制にも似た、貧困者への食糧支援プログラムがあるそうだが、それにも限界はあり、貧困階層の年収は、日本のワーキング・プアの定義の金額よりさらに年間100万円近く低く、文中のインタビューの一つには、「ここで電気代を払わずに、1週間ろうそくで暮らして、パンを1枚でも多く子供に与えた方が良いかと考える毎日・・」という、発言が載せられている。アメリカのワーキング・プアはもはや、日本のそれをさらに下回る、生存ラインぎりぎりの生活を余儀なくされているらしい。
続けて、医療。特に、日本のように国民皆保険制度がないアメリカでは、民間保険制度に大きく依存しており、そこは利益追求を至上とする保険会社の論理により、医療費は不当に高く、医師はノルマや事務に忙殺され、かつてアメリカを支えた中間層も、一度大きな病気をすれば、医療費負担に耐え切れず、貧困層へ真っ逆さまという現状が述べられていく。
勤務医のオーバーワークによる過労死、産科医の不足(死産の際の訴訟を恐れるため)、保険会社の論理による、医者の不当選別、医療費が払えずに破産する市民の姿が描かれる。
ここには、本当の「医療」は無く、「医療と言うビジネス」のみが存在し、利益を生まないシステムや病院は、保険会社から排除され、倒産していく状況を示している。
利益(金儲け)至上主義の新自由主義の弊害が最もダイレクトに表れている場面かもしれない。
日本には国民皆保険制度があり、厚生労働省と、薬品会社、医師会との癒着があるものの、ここまでひどくはないが、上記の諸問題は、現実に日本でも表れている現象である。
次いで、内容は教育へと向けられる。
ブッシュ政権の、教育現場への新自由主義導入、民営化や競争原理によって、生徒の成績が上がらない学校は、場合によっては廃校に追い込まれる現場の姿を示している。
また、学生の側も、高い教育費や、奨学金の返済、学生向けクレジットカードによる借金から、高校や大学を卒業しても、まず手元に残るのは借金の請求書のみと言う現状が描かれる。
そして、筆者は物事を本題へと進めていく。
借金が払えない高校卒業者、短大卒業者は、どうするか?そこには、アメリカ軍への甘い勧誘が待っている。ブッシュ政権が定めた「落ちこぼれゼロ法」という、名前とは裏腹な内容の法律の一部に、学校は、国家に生徒の個人情報を提供することを、半ば義務付けられている。拒否すれば干される。
その結果、個人情報を把握したアメリカ軍のリクルーター(「リクルート」とは本来、「徴兵」を指す言葉である)は、経済的に困窮した不法移民の子などで、将来も就職が難しそうな学生にピンポイントで、軍への志願を誘いかける。
そこには、奨学金の返済免除や、カードの借金の肩代わり、大学進学への資金の提供など、甘い言葉が並んでいる。そこで、目先の経済的困窮に追い詰められた学生は、戦争への支持、不支持にかかわらず、兵役につき、勧誘時の約束とは違って、即座にイラクに送られる(すべてはそうとは限らないと思うが)。そしてPTSD(精神的外傷後障害)を抱えたり、麻薬中毒になって帰ってくるのだという。
そしてまた、軍は当初の約束を履行しない現状も描かれている。
筆者は、結論として、新自由主義による、利益優先主義が、アメリカの中間層を破壊し、貧困に陥った人々を、軍務へと追いやるシステムが完成していることを批判している。
その他のことも述べられているが、大筋はこんなところだと思う。
後半の、経済的に追い詰められる学生たちと、彼らへの軍務への勧誘という事態は、戦争国家アメリカの一面を指しており、ただちに日本で起きるとは言えない。
しかし、前半の、教育や医療と言う、本来、金銭面の競争や業績評価を持ち込んではいけない、人間の基本的部分に、新自由主義が導入された結果については、日本でも同様のことが起きていると断言できる。
無批判にアメリカのサルまねをして、新自由主義への道を走った日本でも、中間層の崩壊と、ワーキング・プアの問題はすでに現実のものとして表れている。
この問題は、右だ左だという、右翼の言葉などとは無縁である。国家(政府)が、政治家たちの一部の者の利益のみを優先し、自国民すら搾取の対象としている現状が描かれているのである。
終盤部分が、戦争にからめて描かれているのは、今のアメリカの政権担当者ブッシュやチェイニーが、戦争によって儲かる(自分自身も)勢力の利益代表者であるからである。だから戦争を起こし、慢性的人員不足だという軍隊へのリクルートを進めるのだと、著者は述べている。
一読した上での感想だが、主旨に間違いはないと思う。
しかし、この本の場合、著者は最初から、結論ありきで話を進めている。だから、市民のインタビューと、一次情報としての統計データーだけでが構築されている。
その点は、「ジャーナリズム」と言うにはやや弱いものがあると思う。異なった例を挙げられれば、たやすく論破されてしまう論の進め方であるのがやや残念である。アメリカの現状についての情報は衝撃的だが。
だが、現実に日本で起きている現象にも、多くが符合するものであり、やはり、行きすぎた新自由主義(新自由主義は経済政策であり、冷戦時の、自由主義対共産主義という、ステレオタイプな政治的イデオロギー論とは無関係。中国の現在の経済政策も、新自由主義である)は、カンフル剤としての機能は持っていても、それを続ければ必ず破綻すると言うのは、経済学の通説である。また、「小さな政府」を標榜し、社会保障を削減しながら、なぜか、大きな政府の体現である軍事費の増加を続けているのも、アメリカと日本に共通する。
今回、同じ新自由主義批判の本として、新自由主義によりアメリカに収奪された、中南米における反米の動きを追った、「反米大陸」(集英社新書)を同時に読んだことにより、「ルポ 貧困大国アメリカ」だけでは見えない部分からも、新自由主義の暴虐とその行きつく先を考えることができた。
少し前に出た、「戦争屋ブッシュ」なども併せ読むと、現在のアメリカの病理と、そこに無目的に追従する、日本の政権の先に待ち受ける、悲惨な結末が予測できる。
おりしも、アメリカは行きすぎた新自由主義で、金融などのサービス産業のみが拡大し、製造業などの実体経済が空洞化し、安い労働力を求めて、生産現場が海外に移転した結果、中間層が崩壊し、貧困層へ没落し、貧困層はさらに極貧に追い込まれていく様子が如実に示されている。日本でも同じである。
そして、利益至上でリスクの高い貧困層に高利で貸し付けを行った、「サブプライム・ローン」の焦げ付きで、アメリカのメインである金融業界も大ダメージを受けている。このままではアメリカのバブルは崩壊するだろう。
新自由主義は自国の国民すら犠牲にして、一部の富裕層にのみ富が集中するシステムである。そしてそれが、国家の使命を忘れ、目先の自己の利益しか考えない、世襲政治業者によって進められている点が、国民にとって、不幸なのである。
日本国民は、新自由主義に拒否の姿勢を取り、リベラル的社民主義政策への転換を今こそ進めるべく、政権選択を行うべき時なのである。
追記:
文中の「イデオロギー」という言葉の定義として、コメントで、新自由主義もイデオロギーという指摘をいただきましたので、該当箇所を、私の意図に沿った形で書き加えました。
私の内心には、すでに、冷戦時のイデオロギー対立は過去のものになったのに、依然としてそれから抜け出せない、時代遅れの右翼、保守主義者たちへの揶揄も込めて使用しているので、その点を明確にしました。
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言葉尻をとらえるようですが、新自由主義はやはり「イデオロギー」でしょう。経済学の理論に「新自由主義」はないと思います。新古典派経済学や、そこから派生した学派の経済理論に立脚した思想が「新自由主義」なのではありませんか?
こういうことを言い出すと、イデオロギーとは何ぞやという定義の問題から始まってしまいますけど、少なくとも私は「新自由主義」をイデオロギーとしてとらえています。
コメントありがとうございます。
私はここでは、資本主義対共産主義の、冷戦下のイデオロギー対立を念頭に置き、その意味でのイデオロギーでは無いという意味で使っています。たとえば、共産圏の中国でも新自由主義は幅を利かせています。
右派、左派の分類の中で、未だに過去のイデオロギー対立に拘泥する右翼批判の意味も込めたものです。
そう言えば、右翼で、新自由主義擁護を言っている人はいないようですね。たぶん理解できないんでしょう。
ちなみに私は行動原理と考えています。て言うか「心中主義」として、やってはいけないことの総体と思うけど。
このての言葉は、こう定義するとこの事象を考えるのに適する、というように、何通りかの幅を持たせて解釈する、という程度にいい加減でいいんじゃないかと。
しかし、言葉をこうやって仕切るのは危ないかも。
>私はここでは、資本主義対共産主義の、冷戦下のイデオロギー対立を念頭に置き、その意味でのイデオロギーでは無いという意味で使っています。
ここまで後付けで説明を要する言葉の使い方って、一読して理解してもらえるとは思えません。しかもブログのエントリーって紙媒体に比べて読み易いとは言えないから。
話が逸れますが、ある文化的な活動に対して侮蔑表現と受け取られることの多い方言的な言い方を、カッコいいと勘違いして使い続けている一群の政治ブログがありまして、あまりにしょうもないんで一寸コメントせねばならんかなと、ウザい思いでいます。
ちなみに
筆者の堤未果氏は
川田龍平さんと結婚されるようですね。
そのようですね。今日のエントリーで軽く触れる予定でした。