昨日は、未消化ながら、新自由主義批判で展開した現在のコイズミ・カイカクの問題点を改めるための政策提言をしてみた。
ブログ記事自体にはコメントは多くはつかなかったが、私が加わっているmixiの上での議論で、いくつかの有益なご意見が寄せられた。それに啓発されて、今日は唐突だが、「道州制」について述べてみたい。
また、昨日の記事に関連するブログ・エントリーとして、「きまぐれな日々」の昨日の記事、「日本人はどのような社会経済システムを望んでいるのか」(http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-587.html)が、まことに参考になる。私の未消化な意見も、あながち的外れではないようだ。
「道州制」については、これまでどのような議論が行われてきたか、実はほとんど知らない。
ウィキペディアで調べてみると、百家争鳴、同床異夢の状態だし、国民の関心も低いという。
ここでは、ウィキペディアの最初に出てくる3類型のうち3番目の地方への財源と権限の移譲を進める案を基本に述べていきたい。
新自由主義的構造改革を行うとしたら、あるべき姿を大きく逸脱しているコイズミ・カイカクの最大の欠点の一つは、本当の意味での構造改革ではなく、自らの利権基盤を温存・拡大し、中央集権的に国家を支配し、富と利権の東京への集中を招いたことだと思う。
コイズミが「自民党をぶっ壊す」と叫んで破壊したのは、地方への公共投資を通した、自民党経世会路線の土建利権の構造だった。しかし、コイズミは、地方への公共投資に、中央のゼネコンを入り込ませ、地方にお金を落とさず、自分の利権の温床である大企業に金を落としたのだ。
自民党の道州制に関する意見も、コイズミ構造改革の建前の小さな政府に逆行して、権限や財源は中央が握り、地方の雑多なことだけを道州制に押し付けるものだという。全くふざけた話だ。
コイズミ・カイカクが仮想敵としたのは、自民党経世会であり、自分たちの重工業や金融という、都市型利権の構造は逆に強化したのだ。これでは、ただでさえ富の偏在が起こりやすい新自由主義の、悪い面が助長されるばかりで、地方も疲弊し、都市部でも労働者の賃金が増えず、不正規雇用が増大するという結果を招いている。
コイズミ・カイカクは、新自由主義の政策としても、欲と利権が絡んだ、ゆがんだものだったのである。郵政民営化も、かねてから「民業圧迫」と言って、郵政事業を非難していた、民間金融機関や、輸送・宅配便業界からの裏の要請を受けて行ったものであり、そこにはそれらの業界との癒着が先にあり、郵政民営化は、新自由主義の構造改革を建前として、必要性の有無の議論さえなしに、強引に行われたのである。
話がまた新自由主義(特にコイズミ・カイカク)批判になってしまった。道州制の話に戻ろう。
道州制についてはかなり前から意見は出されていた。地方の区割りは、今の「〇〇地方」という区割りを考えればほぼ間違いないだろう。新潟県のように、東北地方としてまとめるべきか、別に北陸地方を立てるべきかは、必要な議論だが、ここでは関係ない。
道州制の最大のメリットは、国が独占していた中央集権的な行政の大部分を、道州単位に権限と財源を振り分け、これまでの国家行政の迅速化、今までよりもきめ細やかな、各地方に対応した行政の実施。もはや150年近く前の、藩体制を県と言う自治体に移行しただけで、交通機関の発達などで、もはや広域行政に対応できなくなった都道府県単位の行政を改善するとともに、その都道府県ごとの知事、議員などの削減を図れるなどである。
もちろん、これは理想論であり、結局は道州制の組織に応じた利権構造を作ろうとする人々は多いに違いない。また、今の地方利権のボスである、知事、県議会議員などは、猛烈に反対しているわけだし、彼らを自分の選挙区の集票マシーンとして利用してきた保守政権の政治家たちも、道州制には消極的になるわけだ。
そのためか、道州制導入の議論は、ずっと昔からあるが、本格的に導入しようという動きにはついに至っていない。
今日の記事としては、ここまでとし、引き続きご意見を募集したい。私も道州制に詳しいわけではないし、都道府県の下の市町村のように、道州制の下に、結局は都道府県が残るのではないか、そうすると、屋上屋を重ねるだけの組織になりはしないかという懸念はある。
また、道州制のマイナス面として、これまで150年にわたって、都道府県単位で整備されてきた道路インフラのために、島の中央に険阻な山脈がある日本列島で、今までの〇〇地方と言う形での道州制はかえって非効率となる可能性もある。地域区分自体も既成概念にとらわれず、考え直さねばならないと思う。
沖縄についても、今は鹿児島県の一部である奄美群島も含めて、ひとつの州にして、しかもそこを経済特区として、東アジアの物流、人や知識、物の交換の中心として発展させ、そこでの税収は直接沖縄の財源となるようにすれば良い。かつて、琉球王国が海上貿易の中心として栄えた当時の言葉、「万国津梁」(世界をつなぐ橋となる)っということを、現在に復活させるのだ。さらに、米軍基地への「思いやり予算」とやらの配分権や交渉権もこの州に付与すれば、沖縄の米軍との交渉でも今よりは強い立場になれる(個人的に、私は沖縄の半独立を支持している。)。
土建利権も、コイズミ型都市利権もいったんぶっ壊して、そういう異物が混入しないように注意しながら、段階的に道州制への移行を考えてみてはどうだろうか?
ご意見を期待したい。
ひとつ前の記事についてのご意見も引き続き募集しています。




道州制については、僕も然程詳しいわけではないのですが、これからの国のあり方を考える上で、何らかの新しい視点をもたらしてくれるのではないかと考えています。ですから、実現するかどうかは別として、議論することに意味があるように思います。
初めまして、コメントありがとうございます。道州制について、ウィキペディアを引いていただければ、非常に詳しい記事が書かれています。
私は、地方分権と財源移譲に限って話をしましたが、現状でも、低調ながら議論は継続しており、地方利権のボスである、地方の首長や議会が私利私欲のために反対したり、自分の県に州の中心を持ってこようとして互いにいがみ合っている状況で、一向に前に進まないのですが、こう言うことでこそ、「構造改革」(コイズミ・カイカクとは違う)を行い、利権屋どもの言うことを無視してでも、分権のあり方を検討していくべきと考えます。
その検討、議論の過程で、何が必要で何が問題なのか?
汚職で逮捕された、前福島県知事は、反対派の急先鋒でしたが、まさにそこに、反対する地方政治家の汚さが浮き彫りになると思います。
と言うように、おっしゃる通り、議論することに意味があるのです。
やたらに勇ましかったりするのもネックです。
あとは「汚職拡散」。中央官庁も既得権益を渡したくない理由に
「あいつらに任せるとロクなことがない」という声はあるでしょう。
だからこそ、地方が「自律」するのは必須なんですが、
過去に書いた『入札改《悪》』は、こんな展開を見せました。
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000802290005
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000803060002
道州制の導入には、その是非そのものをはじめ、まだまだ議論が必要となるでしょう。
ただ、「汚職拡散」については、今の自民党利権腐敗政治は、地方から中央まで、それぞれの場所で悪事を働きながら、基本的には大きな一つのシステムとして出来上がっているものだと思ってます。
ですから、中央官僚が、地方を軽視するのは傲慢であり、かつ自らの集権的利権を確保する言い訳にすぎません。
要するに、全部が腐っているのです。
道州制にしても利権構造が新たな形で形成される可能性はほぼ100%ですが、とにかく、今の明治以来続く利権体質を、一度すべてちゃらにして(国政はそれでも回ります)、その後、成長しつつある市民の監視の目のもとに、道州制下における公共事業の在り方などを試行していくことがあれば良いと思います。
新自由主義者(実は利権が優先して、本物の新自由主義では無い奴ら)の主張は、あくまでも予算配分権、財源は手元に残しておこうという、小さな政府、地方分権を指向するはずの、本来の新自由主義に真っ向から逆行するものです。
道州制日本国を構成する各地方共和国に通貨発行権が無ければ、道州制は何の役にも立ちません。各地方共和国は図体ばかりでかくて小回りの利かないものになるでしょう。
これでは住民のためになりません。
通貨無しの道州制は絶対に上手くいきませんので、どうか反対してください。
御苦労さまです。
ただ、おっしゃるような道州制は、各道州を、独立した国と扱うものですよね。そうなると、地方分権という、私の例とはまた違ってきます。
反対しているわけでは無いですが、議論のベースをどこに持っていくかで、この議論は全く異なります。
私は、反新自由主義の地方分権のあり方の一つとして、例示しただけなので、すいませんが、賛成も反対もできない状況です。
ただ、安倍内閣でコイズミカイカクを受けて議論されていたような、中央が相変わらず予算や権限を握り、道州制は単に、広域行政の担い手として、細かいことを押しつけられるだけという考えには、明確に反対します。