最近の社会面のニュースで、感覚的に以前より多いと思われるのが、中堅幹部警察官の信じられないような犯罪への関与と、同様に私学が多いように感じますが、管理職の教職員による性犯罪です。
警察官については、「神世界」という、表面的にはヒーリングサロン、実は霊感商法に近い詐欺的行為に、警部という立場の人物が積極的に関与していたり、最近では、警部補が、職務上知り得た、ある女性のトラブルにつけこみ、トラブルの相手側に扮して脅し、さらにその仲裁を装って50万円を詐取するという事件も起きています。他にも数多くあるように思います。
教職員については、ある学校の教頭が、実は性的な投稿写真のマニアとして、その筋では有名で、自分の学校の子供たちの写真なども多数投稿し、「自分はこの筋の有名人だ」と自慢していたり、直近では、校長(学園長?)が、教え子の女性に、脅迫を含めた関係を強要するメールを、勤務時間内を含めて頻繁に行っていた事件がありました。
別に私は、警察官や教職は、「聖職である」として、他者よりも高い倫理観や、行動規範を求めるつもりはありません。しかし、普通の人間としても異常な行為を、幹部としての立場を利用して犯罪を行っている様子は、「モラルハザード」と言うべきかと思います。
昔は、教職員の犯罪でよく取り上げられたのが、暴力教師です。一般に体育関係の教師が指導方法上、不適切な暴力をふるうという事件が後を絶たない時期がありました。
しかし、今は、そのような事件はあまり聞きません。一方で、厳しい教育のためには、ある程度の体罰を容認する意見も聞かれるようになりました。
しかし、上記の幹部警察官と、管理職の教職員による犯罪は、前者は職務上知り得た情報や立場を利用しての、悪質な詐欺。後者では、一般の人でも少ないような、性犯罪。以前では考えられないような犯罪が起きています。
私はこの現象の原因を探ることも、推測することすらできません。やはり、単に一言、「モラル・ハザード」と評するしかないのが現実です。
しかし、上記の例のどの人物も、決して若くはない。その年齢でその地位に達するまで、それなりの評価を得る仕事をしてきたから、その地位にあるのだと推測します。それなのに、実はだいぶ前からそれらの犯罪を行っていたり、幹部になったから地位を利用して犯罪に及んだりと、最近になって突然始めたというよりは、本質的に、モラルが崩壊していたとしか思えないような事件ばかりです。
マスコミの取り上げ方、今までは内輪で処理していた問題も、綱紀粛正の波の中で、顕在化している、っという可能性も否定はできません。
もしぞうなら、昔からこの種の犯罪があったということで、事態はより深刻です。
これらの人の地位は、キャリアとかノンキャリアとか、さまざまな組織内部の葛藤があって、本人は地位に不本意で、それなら立場を使って、私利私欲に走ろうという心理になったのかもしれませんが、客観的にみると、やはり出世した方で、収入も悪くはなかったと思います。
それなのに、このような犯罪が頻発する。警察官を信用できない、教員を信用できない。そんな社会では、何を寄る辺として生きて行けばいいのでしょう?
このほかにも、鳩山法務大臣が、「あれは冤罪では無い」と言い張った、志布志事件における、警察の違法な取り調べなど、上記の事件とはまた別の、警察の古い体質が依然として残っているというような、悪質な事件もあとを絶ちません。
その一方で、警察官が、地元出身の議員などと、不偏不党を定めた公務員法に違反して、深い関係を持つなど、警察の信頼感を損ねるようなことが多いです。
警察官はその権力ゆえに、教職員は、まだ自分を守ることが難しい子供を預ける相手であるが故に、他の一般人から見れば、もっともモラル・ハザードを起こしてほしくない職業の人たちです。
今、表面化しているのが、氷山の一角だとしたら、もはや何を信頼していけばいいのでしょう。
私は独身中年で、子供を持っておらず、また警察の厄介になることもなしに生きてきました。その私でも不安を感じる最近の事件に、関係する人達は、どれだけの恐怖と不信を抱いているでしょう?
やはり、厳しい綱紀粛正が望まれるとしか言えませんが、個々の人物がどうしてそんな犯罪に走ったかの、個別の分析もぜひしてもらいたいと思います。
昔、田中角栄の汚職が問題になった時、国のトップが犯罪を行うことにより、国民の、犯罪への抑止効果が失われるという意見もありました。
最近の事件は、より身近であるが故に、もっと、犯罪の呼び水になるのではないかと危惧します。
また牽強付会ですが、産経の花岡客員編集委員の繰り広げている、暴行やイージス艦の衝突事件で、「被害者の方が悪い」という、偏った発言は、これらのモラル・ハザードを助長すると思います。犯罪の加害者の側が、「俺は悪くない」という感覚を持つことの呼び水になりかねない、法律を無視した発言の数々は、法律を軽視する、犯罪を引き起こす人間の増加を招く危険があります。
花岡氏の言い分は、ドラマや小説に出てくる、強姦犯人たちが、女性に向かって、「そんなヒラヒラした格好で、こんな場所を1人で歩いているのが悪いんだぜ」、というセリフと同じです。自分の責任を転嫁しようとしているだけで、実際にそんなことは、刑罰を課されるうえで、何の免罪にもなりません。「たわごと」です。
何のための法治国家か?法を守ることの意味は?
そこから問い直されるべきことと、思います。
(ランキングの応援、ありがとうございます。今日もよろしくお願いします。現状12位。これで十分ですが、気を許すと、2つ下の極右の歴史修正主義者が追い付いてきます。引き続きよろしくお願いします。)
★注意★ 原因は不明ですが、コメントを送信しようとするとエラーになるようです。私がやってもそうなります。ならない場合もあるのですが、以前から見受けられた現象で、プロバイダのサーバーに何か原因があるようです。先日メンテナンスが行われましたが、かえって不安定になったようで。プロバイダに連絡してみますが、どうなるかはわかりません。コメント送信しようとしてエラーになったら、そこでやめて、時間をおいてからお試しください。

初めまして、同意見です。しかし、ある意味では国民も世の中の常識、あるいは人の良心というものに頼り切って、自分を守るという危機管理意識に乏しくなっている現実も忘れてはならないように感じます。諸悪の根源は、平和ボケにあるような気もします。
初めまして。
「人の良心に頼り切って」の部分には共感するものがあります。
「平和ボケ」という言葉の意味をどう使われているかはわかりませんが、私は嫌いな言葉です。できれば世界中が平和ボケになってほしいとくらいに思っていますので。