しかし、実際にこの訴訟の中身を理解している人は、マスコミの偏向報道も含めて、ご存じないことも多かろう。
とりあえず、今回の大江氏、岩波書店側勝訴を報じる、東京新聞の記事を紹介しておく。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008032890140340.html
この記事でも詳細は明らかではないが、基本は、沖縄の離島(座間味島)の守備隊長、並びに別の守備隊長(渡嘉敷島)の弟が、それらの隊長による、集団自決の強要は無かったとして、名誉棄損等と、岩波書店への出版差し止めの訴訟に及んだことである。
この訴訟の背景には、曽野綾子による、「ある神話の背景」と言う、欺瞞に満ちた、現地の方から寄せられたコメントによると、曽野綾子の「現地調査」は虚偽であるという事実から照らしても、単に軍国体制を支持し、沖縄での悲惨な集団自決の事実を覆い隠そうという「歴史改竄主義者」の」虚妄が明らかになった訴訟判断と言える。
この件に関しては、私も、過去の記事で、くりかえし曽野綾子の欺瞞を指摘してきたが、今日の判決でそれはほぼ確定的となった。
何よりも、原告側が、大江健三郎の「沖縄ノート」を読んですらいないという事実が明らかになっており、曽野綾子の偽りの取材と、誤字誤読を基にして、事実関係を検証すらせず、訴訟に及んだ、小泉チルドレンの一人稲田朋美の主導による、勘違い裁判がこの訴訟の本質である。
判決では、沖縄での集団自決への軍関与を認めるとともに、大江氏の著作で、原告らの名誉を棄損する事実は全くないことを示した。
この判決は正当だが、さほど新しいことでは無い。さほどに、稲田朋美に主導され、曽野綾子の虚言にだまされた原告が、誤った訴訟を起こしたとしか言えない、茶番劇である。
いわゆる、「歴史改竄主義者」の筆頭である、曽野綾子が、事実関係を含めて、虚偽を垂れ流していたことへの強烈な判断であり、今後、この政府に媚を振るあまり、正義の視点を失った人物の虚言が、いかに馬鹿げたものかが、立証された。
保守は言うだろう。まだ一審だと。しかし、一審は「事実審」と呼ばれ、そこで認定された事実を覆する新事実がない限り、「法律審」である二審以降で、原告側が勝利する可能性は皆無である。
今回の件は、ひたすら、曽野綾子の「ある神話の背景」(ここでいう「神話」とは、集団自決の強要)と言う著作に基づき、沖縄戦で、軍による集団自決の強要は無かったというロジックを基にしている。
しかし、私の裏ブログに寄せられたコメントで紹介された証言。
http://tree.atbbs.jp/pipopipo/index.php?n=281
以下のコメント欄を見ていただければ、曽野綾子の虚言はより明らかになるであろう。
このように、「あったことをなかったと言い募る」ことにより、虚言を弄してでも、事実を捻じ曲げようという体制側から金をもらって虚言を弄する評論家の言うことに、今回の訴訟は、冷水を浴びせかけたのである。
歴史改竄主義者は、ことほどかように、虚偽を弄し、戦前・戦中の軍国主義体制を擁護し、ひいては今後の日本をそのような体制に導こうという、自民党政府の意向にそって、金や世俗的名声を餌に、積極的に虚偽を述べているのである。
今回の判決で、大江氏がその著作で、個別の個人の名誉を傷つけていないことは当然として、歴史改竄主義者がもくろむ、事実を無かったことにするという目的が、自分たち自身の虚妄によって、暴露され、信頼性を失ったことは、まさに自業自得と言うべきであろうか。
少なくとも、曽野綾子は、今後この件について論ずる資格は無い。「文藝評論家山崎行太郎のブログ」でも痛切に批判されている通り、この判決で、曽野綾子は単なるうそつきとして歴史に名をとどめるのみである。金のために魂を売ったとしても、今後さらに虚言を費やすことは許されない。
権力に金で魂を売ることの結果が、この判決である。
今後、曽野綾子が何を言っても、この判決は付きまとう。不当判決と言うならば、さらなる証拠を示せるものなら示してみよ。
金で魂を売ることの恥ずかしさが、今回の判決に集約されている。
だまされて訴訟に及んだ高齢の原告もある意味可哀想である。稲田朋美などの陣笠右翼にそそのかされ、高齢にもかかわらず、虚偽の裁判を提起し、裁判所に断罪されたのである。
今後、稲田朋美らに利用されたまま、死ぬまで、恥をさらし続けることになるのである。私は原告本人らへの同情を禁じ得ない。
歴史改竄主義者は、その主張の前に、自分たちの論拠となっている評論家らの意見がまっとうのものか、検証してから発言するべきである。
今回の判決で、まさに、歴史改竄主義者と言う「罪の巨魁」である、曽野綾子の欺瞞が断罪された。
今後、ものをいう時に、この事実を頭に刻みつけてからものを言うべきであろう。

コメントで、大江健三郎が現地取材をしていないのはおかしいという、馬鹿なコメントがありました。
別に大江健三郎は現地取材を主にした本を書いているわけでは無いのを、この人物はわからないらしい。それはこの訴訟の根幹でもある。
逆に、現地取材をしたという曽野綾子の虚偽が既にあきらかな以上、現地取材はここでは問題では無い。大江氏はそう言う文脈でものを述べてはいない。やはり「沖縄ノート」を読みもしないのに、保守にすり寄る愚か者の妄言として削除した。
曽野綾子が、現地取材と称して、実は虚偽を述べたことこそが、その身が体現する歴史改竄主義者の虚妄が明らかになるというもの。
そもそも大江氏はそのような意図で書いた著作では無いということを知らない、馬鹿げた発言である。
歴史修正主義者とはかように、原典を当たらず、扇動に乗せられて、知ったような口を利く、馬鹿ばかりなのが、これで確信となった。
まあ、事実が何だったかは学者が調べるしかない。
裁判所は提訴された内容が合理か否かを判断するとこですから、これを以て「そら見ろ!」とか「何いってるんだ!」と言い合うのは無意味かと考えます。
と裁判長は言っていますが。