しかし、2つ前の記事に、昨日中に葉隠さん、今朝はラビさんからコメントをいただき、思うところがあったので、今日2つ目の記事を書く。
お二人とも、今回の中国の地震災害の被災者に、「ざまぁみろ」、「もっと死ね」などという、低能丸だしのコメントやネット上の言説に対して、異文化、異民族を知ることがもっと必要ではないかという視点でコメントをくださった。
それはその通りだろうと私も思う。
私は、中国にも韓国にも行ったことはないが、大学時代に中国人留学生数名と交流を持つ機会があった。だいぶ昔の話なので、当時、日本に留学して日本の古典文学の研究をしているという彼らは、本国ではよほど優秀な人たちであったに違いない。
よく図書館で会い、そのロビーで話し込んだが、当時も今も変わらぬ杓子定規な中国政府当局の見解とは別に、自分の意見を言える人たちだった。
これ以外に、私は、英会話学校で、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人と交流している。また旅行では、インドネシアのイスラム圏と、ヒンドゥー教圏、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、およびほぼアメリカの影響下にある、ミクロネシア諸国(サイパン=北マリアナ連邦、グァム=アメリカの属州、ヤップ=ミクロネシア連邦、パラオ共和国)など、それぞれ1週間程度の短期間だが、旅をしたことがある。
この中で、非常に好感が持てる一方で、政治と戦争のことになると過激な反応を示すのはアメリカ人だけだった。アメリカ人がなぜ、軍事力によるパックス・アメリカーナを信奉しているかについては、また別の機会に譲るが、それ以外の諸国の人と話をしていて、ホストとゲストという立場の違いはあるにせよ、みな良い人たちであった。
私は外国に行っても、日本人だけで固まるのが好きでは無い。一部の例外を除いて、フリープランで行って、下手な英語で自分で見て歩いた。
まず、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなど、英連邦諸国でも、不愉快な思いはしなかった。食べ物の味や量については、良い面と悪い面があったが、これらの歴史の新しい国の人々も自国に誇りを持っていたが、それは、まさにそこの自然への愛着であり、国から押し付けられた愛国心などとは違う形で、自分の郷土への愛や誇りを見せてくれた。
西太平洋の島国諸国は、日本の侵略とその後のアメリカの信託統治の結果、今はほぼアメリカ文化に染まりつつあるが、それでも、地元の人たちは、自分たちのアイデンティティを失っていなかった。それは、俗にいう、「文明の恩恵に浴している」かいないかということでは無い。西洋文明の何を選ぶか選ばないかを、自分達の意志で決めているのだ。
島国諸国の人にとって、たぶん国家とは、公共サービスを提供する存在という以上の意味を持たないのではないかと思った。彼らは、今すぐに国家という概念が無くなっても生きていける。そんな感じだった。我利我利の国家主義者にとっては信じられないだろうが、彼らにとって、国家は、ここ100年ほどの話であり、それ以前は海の上の地図上の点線の国境など無くて自由に行き来していたのだ。
とにかく、外国の人と接するのは少し怖いような、しかし結果的には、良い意味でのカルチャーショックを与えられる。
私の趣味が、登山とスキーとダイビングであるため、行先は上記の諸国に偏ってしまったが、それでも大きな影響を受けたと言える。
また、今後、韓国、中国、ベトナムやマレーシア、インド、ヨーロッパ諸国など、行ってみたいけれどお金と時間がないだけ、という場所はたくさんある。
そして、そこで、良い面、悪い面、さまざまな経験をするだろうが、それは必ず自分の糧となるだろうと思う。
翻って、先日来批判した、ゼノフォビア(異民族恐怖)、レイシズム(異人種蔑視)の思考の持ち主は、そのほとんどが、自分が罵っている相手のことを知らないだろう。馬鹿だから。
ただ、ありうることとしては、最近増えている(それは新自由主義による経済政策と財界の所為だ)外国人労働者と、職を争い、負けてしまった場合や、一緒に働いていて、相手の文化習慣になじめなかった。そういう経験の人物は、相手を憎むことになることはあるだろう。
つい先ごろにも書いたが、旧西ドイツで、トルコ人、イタリア労働者を排斥するネオナチの活動に参加した若者の動機がまさにそうだったからだ。
つまり、今、中韓を意味もなくののしり、憎悪している人間の多くは、相手のことを全く知らないか、不幸な出会い方をしたのだろう。しかし、その逆の方が多いことを日本人は自覚すべきだろう。国内における在日コリアンへの差別、中国人蔑視、それは日本の近代史の影の面としてずっと存在した。今だにその意識から抜け出せない者たちも多い。
また、特に最近の「引きこもり」と呼ばれる人々(私はこの言葉を軽々しくは使っていない。私自身がうつ病による引きこもりを4年以上続けていたのだから)は、想像の中でだけ、他者を蔑視してあたかも自分が偉くなったかのような錯覚に陥っている。同様に、中国で反日デモがあると、それにおびえ、ひたすら攻撃意識だけを強める人々もいる。
しかし、それらの人々は、本当の意味で中国や朝鮮半島の国を理解しているのだろうか?
私は日本史でしか知らないが、稲作から金属の使用、漢字や、それによってもたらされた古典や仏教。それらはほぼすべてが朝鮮半島経由で中国からもたらされたものだ(稲作については諸説ある)。
私はよく言う。今、私が愛する日本の文化とは、日本の国土を母として、中国文明を父として生まれたものだと。
日本は、過去、朝鮮半島を強制的に併合し、中国の満州と呼ばれる地方を属国化し、中国全土で侵略戦争を行った。私の伯父はそこで戦死している。父も母も敗戦時は満洲にいた。
現在存命の方もいる時代に、日本が大陸に対して侵略を行ったのは紛れもない事実である。そのことが、中韓の反日感情の根源にあることを知るべきだ。
もちろん、中韓ともに、内政がうまく行っていない時に、ことさらに反日的な教育を行って、国民の不満をそらそうとした事実もある。
結果、中韓にも、日本に対する憎悪を持つ人々が存在するのも事実だ。
しかし、売り言葉に買い言葉で、中韓のネット掲示板に反日的なことが書いてあったからと言って(大体、誰が読んだのか?)、地震で皆殺しになれば良いのに、などと書くやつは日本人の恥としか言えない。
まぁ、どこの国にも知性のかけらもない奴はいる。馬鹿も多い。
しかし、それらが互いに罵っているだけでは物事は前に進まない。
繰り返すが、日本においてもっとも罪深いのは、侵略の歴史を改竄しようという、産経、新潮論壇に登場する歴史改竄主義者だ。彼らの言説をサルまねして、中韓への憎悪をたぎらせている無知性な輩。
その大本は、結局は政府自民党になるのだが、国内でいくら歴史を捻じ曲げようとしても、世界はそんなことは歯牙にもかけない。
アメリカで、南京大虐殺は30万人では無く4万人だと講演して、大学生から、4万人でも大虐殺ではないですか?と突っ込まれて立ち往生した歴史改竄主義者もいる。
ひっくるめて言えば、改竄主義者もそれを支持している無知性な輩も、すべて「精神面での引きこもり」であり、病的であるともいえる。そこからは何も新しいものは生まれず、単に軍需産業の金にまみれた政財界人の利益になるような世論誘導の使い走りに使われるだけである。
私自身、病気による引きこもりを経験し、はっきり言って、あのときの私は、何をしていたのかと思う。無意味な憎悪に身を焼き、人を呪い、自分を呪い、むなしい日々だった。
それから解放された今、私が言えるのは、日本人も、島国根性と呼ばれる、精神的引きこもりの状態から抜け出し、世界に目を向けるべき時が来ていると思う。まずはアジアだ。
そのためには、先日亡くなった、小田実氏の、「何でも見てやろう」という姿勢は、今の日本人の若者にこそ勧めたい。
上記に列挙した、私のお遊び旅行とは違う。
小田実氏があの本を書いた時には、今よりも円はずっと弱く、学生ももっと貧乏だった。それでも外国に飛び出し、そこでカルチャーショックを受けて、何かに目覚めて帰国したり、向こうに永住したりした人々がたくさんいる。
日本、特に引きこもり思想の中の「幻想としての日本」の殻を打ち破り、他国の人と交流をすることは、大いに意義あることと思う。
四川省地震で日本から派遣された災害救援隊の活動により、中国国内の対日感情が劇的に変化しているという。アメリカの救援隊は100時間を経て生存者を救援した。このような活動の積み重ねが、やがて相互信頼の種となる。その種が芽吹き、育つ頃には、引きこもりの幻想国家主義は、邪魔ものとして捨てられているだろう。



「相手を知らないから憎むのだ」と貴方は書かれたが、
貴方からみて知性の欠片もないという馬鹿や産経、新潮、自民に対しては平気で憎しみに溢れた記事を書くのは、そのような人や団体等を知らないって事ですか?
結局、貴方が嫌いな事物に対して罵ってるだけに聞こえます。
私は産経新聞は毎日読んでいます。週刊新潮は、たまに買います。
私の記事は一般的な民衆レベルの交流のことですが、産経や新潮社とそれを操作している連中は、確信犯的な悪です。どの国にも悪人はいます。
悪人とまで仲良くなろうとは思いません。それが普通です。
沖縄で女子中学生がアメリカ軍に暴行を受けた時に、中学生が悪いと言い張ったのは産経であり、起訴したら実名を公表するぞという暗黙の脅しをかけたのは週刊新潮です。日本人として、男として、これらの行為を許せますか?
確かに一部マスコミは腐れです、私も同感です。
ただ、ブログ主殿の書き様があまりにも「ヘイト」を感じましたのでコメント致しました。
ブログ主殿が言う「手前の頭で考えろ、流されるな」
これも全く同感します。
私の好きな言葉を以下に述べます。
「人は人、自分は自分、されど仲良し」
失礼ながら、ブログ主殿は余りにも「○○憎し!」に捕らわれてはおりませんか?
…うーん、なんか宗教っぽいな…
話がズレてる気もしますが、どうか表現には気を遣っていただきたく。
男としてより、人として弱いもの苛めは嫌いですよ。
ただ、弱い立場にならない様にもしています。
勿論、どうしようもない方には公的な救いがあって然るべき、とも考えます。
私は国の政治体制なんぞに忠誠心はありません。自分の育ったクニに帰属する者です。
それを否定する勢力には負けたくないですね…
いやぁ、失礼…完璧に話がずれました。
ちと、出なおして参ります。