さて、体調不良のため、調べ物にも熱が入らず、今日の記事も準備不足です。
テーマを何にするか迷ったのですが、今日は、東京大空襲から63年という報道を受けて、太平洋戦争の受け止め方に、人によって大きな違いがあることを述べ、それを踏まえてもなお、不戦の誓いを新たにしたいと思います。
まず、建前で言うと、戦争は悪であり、それ自体が犯罪的行為です。
しかし、わずか半世紀と少し前までは、日本を含め、欧米列強も、アジアを中心に、植民地の権益を奪い合うための、帝国主義国家同士の戦争をしていたのです。
植民地の人々については一切顧みることなく、列強は勝手に戦争をしました。
例えるに、2匹の犬が、1本の骨をめぐって喧嘩をしていた際に、先に骨をくわえていたのが連合国側、あとから来て骨を奪おうとしたのが枢軸国側と言うわけです。
ですから、この2匹の犬に、差はありません。どちらも植民地と言う「骨」を奪い合う、自国の利益だけを考えた、侵略国家だったのです。
ですから、私の個人的見解では、連合国が正義で、枢軸国が悪と言うのは間違った、勝った者が、あとづけで歴史を書いたものに過ぎないと思います。
こう書くと、右翼が言うように、連合国も同罪であり、東京裁判やニュルンベルグ裁判で、敗戦国を一方的に裁く資格はないというロジックと同じようになります。
しかし、右翼は、「だから日本は悪くない」と言いますが、私は「いや、双方が悪なのだ」と考える点が違います。アウシュビッツや南京大虐殺は、確かに枢軸国側の許し難い犯罪です。しかし、アメリカの日本やドイツの主要都市への無差別爆撃は、民間人への攻撃を禁じた国際法に違反する、一方的虐殺行為であり、東京大空襲もその一つです。最後には原爆投下と言う、人類に対する犯罪とも言えることをアメリカはしています。アメリカではこの事実をできるだけ自国民に知られないようにしています。
しかし、日本人の、あの戦争に対する評価も、戦争体験者の中ですら分かれます。
私にとって身近な例を引くと、私が今所属している市民団体の大元の組織で起きたことなのですが、本来は、戦争体験を語り継ごうという趣旨で設立された組織なのに、やがて内部で(特に、軍人だった人を中心に)、「あの戦争は祖国防衛戦争だった」「だから、神風特攻隊などの靖国の英霊を軽んずることは許さん」と言う、どこかで聞いたことのある主張になり、「自分は軍人だったので、戦争をもっともよく知っている。だから自分の意見に従わないものは許さん」となってしまいました。
その一方で、あの戦争を、「二度と繰り返してはならない愚行として、その悲劇を語り継ごう」と言う、会の本来の趣旨に沿った考えの人たちとの間で、対立が起きました。
その論争は実は今でも、その組織の中で続いていますが、あまりに不毛な論争に辟易して、団体の本来の趣旨に賛同する人たちだけがスピンアウトした別団体ができ、私はそこに所属しています。
同じ戦争を、同じ日本人として体験してきても、これほど真っ向から対立する意見の相違になってしまうのです。
戦争体験は無いけれど、歴史をきちんと教えられた私には、「祖国防衛戦争論」は、自慰行為にしか見えません。自分の犯した過ちや罪をごまかし、正当化して自己満足するための詭弁としか見えません。
しかし、自民党政府が率先して、教科書をいじくり、歴史改ざん主義のために、曽野綾子、上坂冬子、渡部昇一、最近では、正体不明のクライン・孝子とかいう連中を使って、産経や文春、新潮などの保守論壇で歴史を直視しない発言を繰り返し、そしてそのサルまねをするだけの、軽薄なネット右翼たちが、ネット上で妄言を吐き散らす状況になっています。
たとえば、大江健三郎氏の著作「沖縄ノート」に対して、曽野綾子が、「罪の巨塊」と言う単語を、「罪の巨魁」と誤読して批判した文章を元に、元軍人や、軍人の弟が大江健三郎を訴えた、名誉棄損等への損害賠償請求裁判があります。
まだ判決は出ていませんが、実は訴えた本人たちは、肝心の「沖縄ノート」を読んでいないことが明らかになり、曽野綾子が、誤読して批判した文章だけを根拠に、訴訟を起こしたことが明らかになっています。たぶん、曽野綾子の文章を読んだ何者かがそそのかしたのではないかと思っています。
このように、歴史改ざん主義者らは、不都合な事実は、無かったと強弁し、嘘も百万遍繰り返せば、真実になるとばかりに、保守論壇上で騒ぎ続けているのです。
どう見ても侵略戦争だったあの戦争を、戦争の終盤、日本本土が攻撃を受けるようになった時期だけを取り出し、「祖国防衛戦争だった」と言い続けるのです。
このように、歴史の本当の事実を直視せず、自分たちの感情に快い言説だけを取り込む人々が多く、戦争を知らない世代に、あたかも日本は正しかったのに、連合国側に不当に蹂躙されたという認識を植えつけようとし、一部は成功しているのです。
これは、利権のためにイラクに侵略したブッシュ大統領が、侵略の根拠とした大量破壊兵器が見つからなかったら、突然、この戦争は、イラクに自由と民主主義をもたらすために、独裁者を打倒する戦争だと、言葉をひるがえしたことに似ています。アメリカ人の一部にとっては、その方が耳に快く、自分たちは正義だと信じ込めるのです。
現実には、ブッシュ大統領は今や歴代大統領の中で最低の支持率であり、多くの人はその嘘を見抜いていますが、ブッシュの言い分を信じて支持している人がまだ30%もいるのです。
私たちは、今後軍備を拡大していこうという、軍事利権を漁るための政治家たちが、戦争を肯定しようとするたくらみのために、歴史を改ざんしようとしていることを知っています。
私たちは、これらの馬鹿げた動きよりも、倫理的に一段高い見地に立ち、「あらゆる戦争は、犯罪なのだ」ということを、後世に伝えていかねばなりません。
東京大空襲や、沖縄の地上戦、そして原爆投下は、確かに被災者にとっては悲惨な記憶でありますが、それゆえに、二度とそんなことが起きないようにと言う意志を込めて、歴史を直視し、すべての戦争を否定するべきなのです。
それこそが、現行憲法9条における、戦争放棄の精神なのです。
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