2008年04月22日

映画「靖国」、削除要求を拒否し公開へ

 突如話題になった、ドキュメンタリー映画「靖国」の上映問題。
 コイズミチルドレンの一人、安倍にスカウトされた、右翼弁護士稲田朋美の妄動から始まったこの騒ぎは、彼女の思惑とは裏腹に、当初5館でしか上映が予定されていなかったものが、言論・表現の自由への危機を感じた、各地の有為の映画館が続々と上映を決め、現状23の映画館が上映を決めている。当初、及び腰と言われた、配給会社のアルゴ・ピクチャーズも腹をすえ、上映に前向きとなった。

 これに対して、今度は自民党の参議院議員の有村治子が、何をどうやったのか、映画の主要登場人物である、靖国刀の刀工が、映画から自分の出演シーンを削除してほしいと言っていると言い始め、確かにTBSの報道では、刀工本人がそれに近いことを述べていた。
 また、靖国神社も、突如、10年にもわたって、境内での撮影を許してきたにもかかわらず、よくわからない理由で、靖国神社の境内の風景の削除を要求し始めた。

 しかし、配給元のアルゴ・ピクチャーズは、弁護士とも相談のうえ、映像の削除なしでの上映に踏み切ることとした。
 以前、私がここで述べたように、民法上の上映差し止め請求、およびその仮処分執行が認められない限り、上映を差し止めることは、出演者にも靖国神社にもできない。
 今後、5月3日の上映開始までに、それらの司法上の措置に、訴えるかどうかはまだわからないが、たとえ訴えたとしても、裁判所はこれを認めないであろう。

 刀工の場合は、監督が言っているように、ビデオを見せたり、その部分がすでにテレビにも出ていた。さらに監督に書を送り、記者会見の2週間前にはパンフレットの打ち合わせまでしていたという。
 それに対して、刀工が、それまで何の異議も申し立てず、有村が何かしてから、急に削除を求め始めたのも、おかしな話だ。
 「本人が言っているのだから」というのは、法律上通用しない。撮影に応じていた以上、もし、差し止めするなら、「意思の錯誤」があったことを、刀工側が立証しなければならない。はたしてできるのか?

 靖国神社の言い分は、もっとあいまいで根拠の薄弱なもので、一般に出入りが公開されている社会的に公の場所での10年にわたる撮影を放置しておきながら、完成してから、上映寸前に削除を求めるというのは、逆に言えば、10年間いったい何をしてきたのかということにもなる。監督側が、神社側の規則を守らなかったとか何とか言っていたが、それなら撮影中に言うべきであっただろう。

 両者の主張で、法的に取り上げられうるのは刀工の意見のみで、靖国神社の主張は、差し止め請求をしても法的に取り上げられずに棄却されるだろう。刀工の場合も、意思の錯誤を立証できなければ、仮処分などは認められない。
 あとは、上映はそのままで、損害賠償訴訟で争うしかないだろうが、靖国神社にこの映画で何の損害が発生したか?たぶん無理だろう。

 先日、たぶんアルゴ・ピクチャーズへの要請で行われたのであろう、右翼団体による試写会でも、「凡作」、「なかなかの作品」、など評価は分かれたが、特に「反日的」という意見は出なかったようである。 右翼団体にもいろいろあって、きちんとした思想的右翼と、自民党の非合法圧力組織となっているにすぎない暴力団と紙一重の右翼もいて、この上映会は、「見てみなければ判断できない」という、至極まっとうな理由で、前者のタイプの右翼団体が催したものらしい。その結果、反日的でないと言うのならば、右翼の街宣車が、上映館に圧力をかけることもないであろう。もし行う右翼がいたら、それは思想など持ってい無い、自民党=日本会議の手先にすぎない。

 ほぼ同時期に、東京の弁護士会が一般の参加も呼び掛けての試写会を行ったことは、あまり広く報道はされなかった。
 前回の私の記事に、右翼は試写会をした、と言って、右翼の方が開明的であるかのようなコメントを寄せてきた若者がいたが、別に左右無関係な試写会も行われていたのである。

 結局、軽挙妄動したのは稲田朋美と、有村治子であった(なお、名古屋においては日本会議の地方支部が、映画館に圧力をかけたことが、ネット上で曝されている。)。恥ずかしい限りである。

 結局、削除は行われずに映画は上映される。
 評価はそれからだし、また見るものによって感想もまちまちだろう。
 ある意味、稲田や有村が騒がなければ、ここまで注目もされなかったかもしれない作品であるが、この上映中止圧力の問題は、日本の言論界、表現者の間で、政治家による表現の自由への介入として大きな反発を生み、上映館が増えるなど、それまで、一方的に進められてきた言論統制への反発として、大きなうねりとなったことが、最も評価されるべき点であろう。

 なお、余計な事を付け加えるが、肖像権の問題など、難しい問題はある。しかし、ドキュメンタリー映画で、街中を映したとき、そこに少しでも顔が出ていた人間が、肖像権を主張し始めたら、ドキュメンタリーや報道番組は作れなくなる。そこのバランスが難しいが、今回の件では、刀工は撮影を認めていて、直前になって、意見を翻したので、その理由を自分で立証しなければならないし、公共の場である靖国神社が特定の映画に限って削除要求をするといった、偏った要求は、法律上は認められないであろう。

 私は趣味は映画では無いので、見に行くかどうかは未定だが、近くに上映館があり、一緒に行く仲間がいれば見に行きたいと思う。
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2008年03月30日

「沖縄ノート」をめぐる裁判結果要旨

 今回の記事は長くなります。
 まず、以下の判決要旨の全文を、きちんとお読みください。
 読みもしないのに、法律家でもない右派評論家の言い分をまる写ししてくるような馬鹿が世の中にはいるのですが、その前にまず読んでください。

「集団自決」訴訟判決(要旨)
沖縄ノート」の各記述は著書である被告大江健三郎(以下、大江)が沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」の問題を本土の日本人の問題としてとらえ返そうとしたものである。
各記述には、慶良間諸島の「集団自決」の原因について、日本人の軍隊の部隊の行動を妨げずに食糧を部隊に提供するために自決せよとの命令が発せられるとの記載や渡嘉敷島で住民に「集団自決」を強要させたと記憶される男である守備隊長との趣旨の記述などがあり、渡嘉敷島における「集団自決」を命じたのが、当時の守備隊長であることが前提となっている。
また「この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷島のむごたらしい現場」との記載があり、大江自身、本人尋問で「沖縄ノート」が原告梅澤裕(以下、梅澤)をも対象にしたことを自認している。
渡嘉敷島、座間味島で「集団自決」が行われた際に、故赤松嘉次(以下、赤松)が渡嘉敷島の、梅澤が座間味島の守備隊長もしくは軍隊の長であることを示す書籍は多数存在するなど、「沖縄ノート」の各記述内容が赤松、梅澤に関する記述であると特定し得ることは否定できない。
以上、特定性ないし同定可能性の有無について被告らの主張は、理由がないというべきである。
家永三郎(以下、家永)著の「太平洋戦争」の記述には「座間味島の梅澤隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑前で自決せよと命令した」などとの記述があり、梅澤が部隊の食糧を確保するために、本来、保護してしかるべきである老幼者に対して無慈悲に自決することを命じた冷酷な人物であるとの印象を与え、梅澤の社会的評価を低下させる記述であることは明らかである。
「沖縄ノート」の記述では、座間味島、渡嘉敷島を含む慶良間諸島での「集団自決」が日本軍の命令によるものであるとし、「集団自決」の責任者の存在を示唆している。ほかの記述と併せて読めば、座間味島および渡嘉敷島の守備隊長である梅澤、赤松が「集団自決」の責任者であることをうかがわせる。したがって、「沖縄ノート」の記述は「集団自決」という平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、梅澤および赤松の社会的評価を低下させるものと認められる。
名誉棄損が違法性がないと判断されるために、「太平洋戦争」、「沖縄ノート」の執筆、出版を含む表現行為の主な動機が公益を図る目的であるかを見る。
「太平洋戦争」は、歴史研究書であり、その記述は公共の利害に関するものであること、公益を図る目的を併せ持ってなされたものであることには当事者間の争いがない。
家永は多数の歴史的資料、文献等を調査した上で執筆したことが認められる。「太平洋戦争」の記述の主な目的は戦争体験者として、また、日本史の研究者として太平洋戦争を評価、研究することにあったと認められ、それが公益を図るものであることは明らかだ。
「沖縄ノート」は、大江が沖縄が本土のために犠牲にされ続けてきたことを指摘。日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直したものであること、各記述は、沖縄戦における「集団自決」の問題を本土日本人の問題としてとらえ返そうとしたものであることが認められる。
これらの事実および、梅澤、赤松が公務員に相当する地位にあったことを考えると、「沖縄ノート」の記述の主な目的は、日本人の在り方を考え、読者にも反省を促すことにあったものと認められ、公益を図るものであることは明らかだ。
以上によれば、「太平洋戦争」、「沖縄ノート」の各記述に関する表現行為の目的がもっぱら公益を図る目的であると認められる。
太平洋戦争時の沖縄の状況
1944年6月ごろから、三二軍が沖縄に駐屯を開始した。三二軍司令官の牛島満は、沖縄着任の際、沖縄における全軍に対し、「防諜ニ厳ニ注意スヘシ」と訓示を発した。
このように沖縄において防諜対策は、日本軍の基本的かつ重要な方針だった。三二軍司令部の基本方針を受け、各部隊では民間人に対する防諜対策が講じられた。
軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁じ、沖縄語を使用する者をスパイとみなし処分する旨の命令や、島しょにおける作戦では原住民がスパイ行為をするから気を許してはならない旨の訓令などが出された。
また、三二軍は同11月18日、県民を含めた総力戦体制への移行を急速に推進し、「軍官民共生共死の一体化」を具現するとの方針を発表した。
慶良間諸島には同9月、陸軍海上挺進戦隊が配備され、座間味島に梅澤が隊長を務める第一戦隊、阿嘉島・慶留間島に野田隊長(以下、野田)の第二戦隊、渡嘉敷島に赤松が隊長を務める第三戦隊が駐留した。
45年3月の米軍侵攻当時、慶良間諸島に駐屯していた守備隊はこれらの戦隊のみであった。「集団自決」発生当時、米軍の空襲や艦砲射撃のため、沖縄本島など周囲の島との連絡が遮断されており、食糧や武器の補給が困難な状況にあった。
海上挺進戦隊は、もともと特攻部隊としての役割を与えられていたことから、米軍に発見されないよう、特攻船艇の管理は厳重で、そのほかの武器一般の管理も同様であった。
渡嘉敷島は44年10月10日の空襲以降、それまで徴用され陣地構築作業をしていた男子77人があらためて召集され、兵隊とともに国民学校に宿営することになった。
座間味島は45年3月23日から25日まで空襲を受けた。住民は壕に避難するなどしていたが、同25日夜、伝令役が住民に忠魂碑前に集合するよう伝えて回った。その後、同26日、多数の住民が手榴弾を使用するなどして集団で死亡した。
同27日午前、米軍が渡嘉敷島に上陸した。赤松は、米軍の上陸前、巡査に「住民は西山陣地北方の盆地に集合するよう」指示し、巡査は防衛隊員とともに住民に集合を促した。住民は同28日、防衛隊員らから配布された手榴弾を用いるなどして、集団で死亡した。
慶留間島では、45年2月8日、野田が住民に対し「敵の上陸は必至。敵上陸の暁には全員玉砕あるのみ」と訓示し、同3月26日、米軍上陸の際、「集団自決」が発生した。
以上の「集団自決」が発生した場所すべてに日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では、「集団自決」は発生しなかった。
日本軍による住民加害
元大本営参謀で厚生省引揚援護局の厚生事務官馬淵新治(以下、馬淵)の調査によれば、日本軍の住民に対する加害行為は各地で行われていた。
例えば、馬淵は「将兵の一部が勝手に住民の壕に立ち入り、必要もないのに『軍の作戦遂行上の至上命令である。立ち退かないものは非国民、通敵者として厳罰に処する』等の言辞を敢えてして、住民を威嚇強制のうえ壕からの立ち退きを命じて己の身の安全を図ったもの」。
「ただでさえ貧弱極まりない住民個人の非常用食糧を『徴発』と称して略奪するもの、住民の壕に一身の保身から無断進入した兵士の一団が無心に泣き叫ぶ赤児に対して『此のまま放置すれば米軍に発見される』とその母親を強制して殺害させたもの」などがあったとしている。
また「敵上陸以後、いわゆる『スパイ』嫌疑で処刑された住民は十指に余る事例を聞いている」としている。
日本軍は、渡嘉敷島において防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が身寄りのない身重の婦人や子どもの安否を気遣い、数回部隊を離れたため、敵と通謀する恐れがあるとして、これを処刑した。
また、赤松は「集団自決」でけがをして米軍に保護され治療を受けた2人の少年が米軍の庇護のもとから戻ったところ、米軍に通じたとして殺害した。さらに米軍の捕虜となり、米軍の指示で投降勧告にきた伊江島の住民6人に、自決を勧告し、処刑したこともあった。
そのほか、沖縄では、スパイ容疑で軍に殺された者など、多数の軍による住民加害があった。
援護法の適用
梅澤命令説および赤松命令説は、沖縄で援護法の適用が意識される以前から存在していたことが認められる。援護法適用のために捏造されたものであるとの主張には疑問が生ずる。
また、隊長命令がなくても戦闘参加者に該当すると認定された自決の例もあったことが認められ、梅澤命令説および赤松命令説を捏造する必要があったのか直ちには肯定し難い。
宮村幸延が作成したとされる「証言」と題する親書の記載内容は、「昭和二十年三月二十六日の集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく、当時兵事主任兼助役の宮里盛秀の命令で行われた」との部分も含めて拝信しがたい。これに関連する原告梅澤の陳述書も拝信し難い。
「母の遺したもの」の記載を子細に検討すれば、「集団自決」に援護法を適用するために原告梅澤の自決命令が不可欠であったことや、「村の長老」から虚偽の供述を強要されたことなど援護法適用のために自決命令の捏造を直ちにうかがわせるものではない。
沖縄において、住民が「集団自決」について援護法が適用されるよう強く求めていたことは認められるものの、そのために梅澤命令説および赤松命令説が捏造されたとまで認めることはできない。
梅澤命令説
「集団自決」の体験者の供述から、原告梅澤による自決命令の伝達経路等は判然とせず、梅澤の言辞を直接聞いた体験者を全証拠から認められない。取材源が明示されていない「鉄の暴風」「秘録 沖縄戦史」「沖縄戦史」等から、直ちに「太平洋戦争」にあるような「老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよ」との梅澤の命令それ自体までは認定することには躊躇を禁じ得ない。
しかしながら、梅澤が座間味島における「集団自決」に関与したものと推認できることに加え、少なくとも2005年度の教科書検定までは、高校の教科書に日本軍によって「集団自決」に追い込まれた住民がいたと記載されていた。布村審議官は、座間味島および渡嘉敷島の「集団自決」について、日本軍の隊長が住民に自決命令を出したとするのが通説であったと発言していた。
学説の状況、諸文献の存在、その信用性に関する認定、判断、家永および大江の取材状況等を踏まえると、梅澤が座間味島の住人に対し「太平洋戦争」の内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても、合理的資料もしくは根拠があると評価できる。
各書籍の発行時において、家永や被告らが事実を真実であると信じるについての相当の理由があるものと認めるのが相当である。
渡嘉敷島の「集団自決」
体験者らの体験談は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性、信用性を有することができる。
渡嘉敷島における「集団自決」は、1945年3月27日に渡嘉敷島に上陸した翌日の28日に赤松大尉に西山陣地北方の盆地への集合命令の後に発生している。赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為を考えると、赤松大尉が上陸した米軍に渡嘉敷島の住民が捕虜となり、日本軍の情報が漏えいすることを恐れて自決命令を発したことがあり得ることは、容易に想像できる。
赤松大尉は防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が、身重の夫人や子供の安否を気遣い、数回部隊を離れたため、敵と通謀する恐れがあるとして処刑している。
米軍の上陸後、手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆地へ集合している住民のもとへ赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば、自決命令を発したことが一因ではないかと考えざるを得ない。
第三戦隊に属していた皆本義博証人が手榴弾の交付について「恐らく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います」と証言していることは、先に判示している通り。手榴弾が「集団自決」に使用されている以上、赤松大尉が「集団自決」に関与していることは、強く推認される。
沖縄県で「集団自決」が発生したすべての場所に日本軍が駐屯し、駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では、「集団自決」は発生しなかったことを考えると、「集団自決」は日本軍が深くかかわったものと認めるのが相当である。
沖縄では、第三二軍が駐屯し、その司令部を最高機関として各部隊が配置され、渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったと認められる。渡嘉敷島における「集団自決」に赤松大尉が関与したことは十分に推認できる。
渡嘉敷島の「集団自決」の体験者の体験談等から赤松大尉による自決命令の伝達経路は判然とせず、命令を直接聞いた体験者を全証拠から認められない。取材源などは明示されていない。「鉄の暴風」「秘録 沖縄戦史」「沖縄戦史」等から「沖縄ノート」にある記述のような赤松大尉の命令の内容それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。
しかしながら、合理的資料もしくは根拠があると評価できるから、「沖縄ノート」の発行時に、被告らが事実を真実と信じるについて相当の理由があったと認めるのが相当である。
被告らによる梅澤および赤松大尉に対する名誉棄損は成立せず、したがって、その余の点について判断するまでもなく、これを前提とする損害賠償、出版の差し止めに理由はない。
文献の評価
「鉄の暴風」には、初版における梅澤の不審死の記載、渡嘉敷島への米軍の上陸日時に関し、誤記が認められるものの、戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として、資料価値を有するものと認める。
「母の遺したもの」には木崎軍曹が住民に「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をしなさいよ」と手榴弾一個が渡されたとのエピソードも記載され、日本軍関係者が米軍の捕虜になるような場合には自決を促していたことを示す記載としての意味を有する。梅澤命令説を肯定する間接事実となり得る。
「ある神話の背景」に、赤松大尉による自決命令があったという住民の供述は得られなかったとしながら、取材をした住民がどのような供述をしたかについては詳細に記述していない。家永教科書検定第三次訴訟第一審の証言で、「ある神話の背景」の執筆に当たっては、富山兵事主任に取材をしなかったと証言しているが、それが事実であれば、取材対象に偏りがなかったか疑問が生じる。
「ある神話の背景」は、命令の伝達経路が明らかになっていないなど、赤松命令説を否定する見解の有力な根拠となり得るものの、客観的な根拠を示して覆すものとも、渡嘉敷島の「集団自決」に関して軍の関与を否定するものともいえない。
米軍の「慶良間列島作戦報告書」で、原告が主張するように訳したとしても、日本軍の兵士たちが慶留間の島民に対して米軍が上陸した際には自決するよう促していたことに変わりはなく、その訳の差異が本訴請求の当否を左右するものとは理解されない。
赤松大尉は、大城徳安や米軍の庇護から戻った2少年、伊江島の住民男女6人を正規の手続きを踏むこなく、処刑したことに関与した。住民への加害行為を行っているのであって、こうした人物を立派な人だった、悪く言う者はいないなどと評価することが正当であるかには疑問がある。
知念朝睦証人は、陳述書に「私は、正式には小隊長という立場でしたが、事実上の副官として常に赤松隊長の傍にいた」と記載しているが、西山陣地への集結指示については、聞いていない、知らない旨証言。「住民が西山陣地近くに集まっていたことも知りませんでした」と記載している。
いずれにしても赤松大尉の自決命令を「聞いていない」「知らない」という知念証人の証言から自決命令の存在を否定することは困難である。
皆本証言
赤松大尉のそばに常にいたわけではないことが認められ、赤松大尉の言動を把握できる立場になかった。赤松大尉の言動についての証言の評価に当たっては、この点を重視する必要がある。
皆本義博証人の証言は、手榴弾を交付した目的を明示する陳述書の内容と食い違い、手榴弾に関する陳述書の記載およびその証言には疑問を禁じ得ない。
梅澤証言
梅澤は本人尋問で、手榴弾を防衛隊員に配ったことも、手榴弾を住民に渡すことも許可していなかったと供述する。
一方で木崎軍曹が手榴弾を交付したことについて、木崎軍曹が住民の身の上を心配して行ったのではないかと供述する。
慶良間諸島は沖縄本島などと連絡が遮断されていたから、食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認められ、装備品の殺傷能力を検討すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められる。
軍の装備が不十分で、補給路が断たれていたことについては、梅澤自身も、村民に渡せる武器、弾薬はなかったと供述している。
そうした状況で、戦隊長である梅澤の了解なしに木崎軍曹が(住民の)身の上を心配して手榴弾を交付したというのは、不自然である。
貧しい装備の戦隊長である梅澤が、そうした部下である兵士の行動を知らなかったというのは極めて不自然であるというべきである。
梅澤作成の陳述書と本人尋問の結果は、信用性に疑問がある。
赤松手記
赤松手記は、自己への批判を踏まえ、自己弁護の傾向が強く、手記、取材ごとにニュアンスに差異が認められるなど不合理な面を否定できない。全面的に信用することは困難である。
体験者証言
本件訴訟を契機に、宮平春子、上洲幸子、宮里育江の体験談が新聞報道されたり、本訴に陳述書として提出されたりしている。沖縄戦の体験者らの体験談は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性を有するものといえる。
また多数の体験者らの供述が、1945年3月25日の夜に忠魂碑前に集合して玉砕することになったという点で合致しているから、その信用性を相互に補完し合うものといえる。

こうした体験談の多くに共通するものとして、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され、そのための手段として手榴弾を渡されたことを認めることができる。
(以上判決要旨)

 硬い文章を長くお読みいただき、ありがとうございました。
 読めばすべてお分かりのように、この判決では、かなずしも大江氏や岩波書店の言い分をすべて認めているわけではありません。しかし、その上に立って尚、そう推察されるだけの十分な証拠があり、また大江氏らの著述に公益性があるという判断をしたわけです。
 さらに、民事裁判ではほぼ当然のことながら、自らを弁護する本人の主張は入れられない。加害者の証言よりは被害者の証言。その原則通りの判決でした。原告らは意図的に避けてきましたが、では、誰が手りゅう弾を配り、忠魂碑の前に集め、そこで集団自決が起きたのでしょう?「自発的行動」と原告らは言いたいようですが、大江氏はそのような、非人道的な軍国主義と、その犠牲となった沖縄の民のこと全体を描いたわけです。そこにおいて、梅澤か赤松かということは枝葉末節に過ぎません。当時の軍国体制下での、軍全体の非道を批判しているだけです。
 さらに、この裁判での原告を有利に導かんと画策されたと思われる曽野綾子の「ある神話の背景」については、その虚偽性がかえって、原告らの立場を悪くするものとされています。

 この裁判は、かなり踏み込んだものと言えますが、論旨は明確で、他の資料、証言を丹念に評価した上で、原告らが主張する、「名誉棄損等」は無かったと判示しているものです。
 この判決要旨に、私が多くを付け加えることは不必要ですし、その能力もありません。

 ただ、まず、ひとつの判決を直視すること。
 そこから始まります。

 裏ブログで馬鹿なことを書いてきた鬼畜のように、自分の言葉で物が言えず、最初から偏ったしかも評論家の意見を出してきて判決批判をする馬鹿は、まずこれを読み、理解するべきです。
 彼らはしないでしょうが、そうでない人は、大江氏の著作も読み、他の沖縄戦の資料も読み、そして軍国主義というものが、いかに非道で、今後日本にあってはならないものであるかを、学ぶべきです。

 その姿勢が無く、耳に快い言葉だけを受け入れて、厳しい言葉を否定しようとする、「歴史改ざん主義者」の行動の先には、安倍に代表されるような、軍国国家の再来を願う狂人らがいることを直視しましょう。

 安倍も、稲田朋美らその他の右翼政治家も、それらのちょうちん持ちをする曽野綾子らの保守派文壇の連中も、誰ひとり、自らが戦場に立つ気概はない上で、他人をそそのかし、軍備増強で軍事利権をあさり、そのおこぼれを得ようという、まさに非国民なのです。

 物事を表面でしか見ないで、本質を理解しましょう。

posted by 眠り猫 at 16:47| 東京 ????| Comment(5) | TrackBack(5) | 歴史観

2008年02月17日

とんでもない虚言をまき散らす、産経論壇上の曽野綾子

 すでに多くの場で批判、というより嘲笑の対象となっている曽野綾子についてだが。
 以下の記事は、曽野綾子(一応小説家だった。今は自民党の三百代言が主たる職業。上坂冬子とともに、自分では現地に行ったことも、歴史学者でもないのに、南京虐殺や沖縄戦自決強要事件は無かったと主張する歴史改ざん主義者の急先鋒。)が、産経新聞系列の雑誌「正論」に、今年1月9日に掲載した文章の一部だ。
 全文→http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/114334


(以下引用)
 「食べるもの、寝る所、水道、清潔なトイレ、安全正確な輸送機関、職業があること、困った時相談する場所、ただで本が読める図書館、健康保険、重症であれば意識がなくても手持ちの金が一円もなくてもとにかく医療機関に運んでくれる救急車、電車やバスの高齢者パス。
 何よりも日常生活の中に爆発音がしない。それだけでも天国と感じている。これが足し算型の人生の実感だ。これだけよくできた社会に生まれた幸運を感謝しないのは不思議だと思う。
 しかし人間は、教育し鍛えられなければ、このように思えない。子供は幼い時から悲しみと辛さに耐えるしつけが必要だ。平等は願わしいものだが、現実として社会はまず平等であり得ない。しかし不平等な才能があちこちで開花している。それなのに完全な平等しか評価しない人間の欲求は、深く心を蝕(むしば)む。
 叱(しか)る先生は父兄に文句を言われるから「生徒さま方をお預かりする営業的塾の教師」のようなことなかれ主義になった。何か事件があると、マスコミは校長や教師を非難するが、子供の成長に誰よりも大きな責任を有するのは、他ならぬ親と本人なのである。生活を別にしている教師など、子供の生活のほんの一部を見ているに過ぎない。」

(引用終わり)

 全部で3つの節からなる文章の、第2節を全文引用した。
 この部分の前段は、今の日本人はぜいたくでわがまますぎるという趣旨の言葉だろう。彼女にとって、平均的な生活とは、銃弾が飛び交い、家もなく、食もままならず、医療にも恵まれない社会が平常で、それ以上を要求するのは、わがままだと言いたいらしい。


 だから、後段で、教育やしつけの話になる。教育現場のことも知らないその内容は別として、要するに、ワーキングプアが数百万人、ネットカフェ難民が20万人と言われる、今の厳しい時代も、「甘えないで我慢しろ。幼い時から悲しみと辛さに耐えるしつけられていないからいけない」という論旨だと受け止められる。

 曽野綾子の言い分なら、先の米軍海兵隊員による少女暴行事件も、やはり、「世の中は危険に満ちているので、それは、自分で身を守らない小娘のしつけがなってない」、ということになるのだろう。事件直後の産経新聞の花岡論説委員の意見とほぼ合致する。花岡氏が真似たのではないかと思う。


 曽野綾子は、昔から政府自民党の御用達として、さまざまな保守論壇で、自民党擁護、自民党批判への言いがかりを続けてきた女性で、その功績で、夫の三浦朱門は文化庁長官にならせてもらったり、自分自身は、右翼のドン・笹川良一の死後、日本船舶振興会の理事長に就任した。どちらも、その地位でこれといった業績を上げたわけでは無い。大体、日本船舶振興会は、競艇というバクチの胴元である。そんな人間が、何をしつけや教育論をほざくか。


 沖縄における、集団自決強要問題に関して、元軍人梅沢裕氏(元座間味島の第1戦隊長・元少佐)と赤松秀一氏(元渡嘉敷島の第3 戦隊長で元大尉であった赤松嘉次の弟) が、ノーベル賞作家(曽野綾子とは格が違う)の大江健三郎氏の著作「沖縄ノート」の内容を、名誉棄損などで訴えた裁判のきっかけを作ったのは、曽野綾子の「誤字、誤読」(「巨塊」を「巨魁」に読み間違えた)に始まる、大江氏批判が直接のきっかけになっている。
(参考:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118/p1

 そもそも大江氏の文章を読み違えるという、故意ならば悪質、たまたまなら、作家としての能力を疑われる発言をしたもので、そろそろ年齢が脳に影響を及ぼしているのではないかと思うほどだ。
 この訴訟は、先日、大江健三郎氏自身の証人尋問が行われ、反対尋問などから、原告は曽野綾子の虚言を信じ込んで訴訟に及んだことがほぼ立証されたと言え、大江氏勝訴は間違いのないところである。曽野綾子はそれ以降、姿を見せないそうだ(文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』から情報をいただきました。)。

 彼女自身が、上記の彼女の文章のように、銃弾が飛び交い、家もなく、食もままならず、医療にも恵まれない生活を耐え忍んで生きてきて、その上で才能を開花させて、作家なり、政府御用達文筆家まで出世したと言うなら、まだ少しは説得力があるかもしれない。
 しかし、1931年(昭和6年)生まれで、幼稚園からエスカレーターで聖心女学院出身の彼女がそのような生活にあったとは、考えられない。むしろ当時の平均的な日本人から比べればはるかに恵まれた生活をしてきたはずである。それなのに、虚言吐き散らして、自民党にへつらうことしきりである。


 要するに、今の時代に彼女がこんなことを言うのは、「コイズミ構造カイカクの犠牲になって、職を失ったり、貧しくなったり、生きるのに苦痛を感じるようになっている人々は、しつけがなってなかったので、我慢が足りないのだ。」ということらしい。
 政府におもねるにしても、あまりにも共感を得られない発言と言うしかない。正直彼女は隠れ左翼で、このような発言をして、民衆の怒りを爆発させようという「左翼の工作員」の可能性すら考えられる(笑)。


 今の日本の右派、保守論壇のレベルとはこのようなものなのだ。イデオロギー闘争が過去のものとなった(そう思っていないのは無知とネット右翼だけ)現在、彼らは、自民党の自己中心的で、国民のことを考えない、利権まみれの政治を擁護するためには、この程度の愚昧かつ共感の得られない論を述べることしかできなくなっているのである。
 これは、保守言論の限界というだけでなく、さすがの恥知らずで鉄面皮の彼らでも、自民党政治を褒めることができなくなったという証拠である。それほど今の自民党政治はひどいのである。


 私たちは、保守論壇や陣笠右翼(正統な民族派右翼とは違う。正当な民族派右翼なら、同胞の少女を他国軍の兵士に傷つけられて、怒りこそすれ、少女を非難したりしない。)などの虚言など無視して、正当な生存権に基づく、生活改善の政治を求めていこう。そのために、自民党を下野させ、完膚なきまでにその利権構造を破壊しよう。
 次の衆議院選挙で、少なくとも自民党と公明党には投票しないという「常識」が今こそ求められる。
(ランキング応援よろしくお願いします。)

posted by 眠り猫 at 12:48| 東京 ????| Comment(5) | TrackBack(8) | 歴史観

2008年01月11日

済州島の、「4.3事件」をご存知ですか?

 今日は、日本の政治云々からは離れます。
 ただ、日本人が沖縄を考える上で、ちょっとした参考になるのではないかと思い、勉強途中ながら、簡単な記事を書きます。

 韓国の南西海上にある、済州島(チェジュ)のことをご存知の方は少なく無いと思います。
 火山島としての自然が、世界遺産になっています。

 この済州島は、中世までは、独自の国家をなしていて、当時の朝鮮半島の支配的勢力だった、高麗に朝貢していましたが、日本にも使節を送るなど、独自の存在でした。
 しかし、高麗が併合し、その後高麗が元に滅ぼされ、済州島も元に支配され、独自の国家は消滅します。
 その後、済州島は、韓国を支配する国家から、流刑地として扱われてきました。

 現代になって、太平洋戦争が終結し、日本に併合されていた朝鮮半島が、南はアメリカ、北はソビエトに占領され、それぞれの政権が作られました。
 この頃、今の韓国にも、「朝鮮労働者党」と言う社会主義を主張する勢力がいました。

 朝鮮戦争が勃発するに当たって、済州島にいた、同党の勢力は、独自の半島統一政策を打ち出して、当時の韓国、李政権と対立します。一部武装蜂起も行われました。
 しかし、当初対話による交渉が進んでいた時に、反共右派勢力が、暴力で済州島の勢力を襲撃するに及んで、事態は流血の惨事に向かいます。
 この事件を、韓国では、「4.3事件」と呼びます。
 もちろん、済州島の勢力も、武装して対抗しますが、その鎮圧と称して、当時の韓国政府が、右派武装勢力と手を組んで、村の焼き討ちなどの虐殺を行います。その時の犠牲者は、島の人口の1割近い、1万数千名の人命が失われます(最終的には8万人とも言われます)。

 ほぼ同時に、済州島に近い本土の部隊に、この事件の鎮圧命令が出ますが、これに反発した一部の部隊が反乱を起こし、韓国軍と戦います。結局鎮圧されますが、民間人を含めて数千名の死者を出したといわれています。

 その後、朝鮮戦争が本格化し、さらに38度線で、戦線が膠着し、事実上、今の北朝鮮と韓国と言う、半島の分断の歴史が始まります。

 しかし、その陰で行われた、済州島の事件は、長く軍事独裁政権が続いた韓国では、歴史的調査が行われず、その経緯は、ずっと伏せられてきました。
 しかし、韓国の民主化に伴い、歴史の見直しが行われ、4.3事件についても、同国人が、一方的に弾圧を行ったこととして、2006年に、ノ・ムヒョン大統領が、済州島を訪問し、謝罪を行うということがありました。

 歴史の中には、正史とは別に、どうしてもこのような事件が、日の目を見ないで放置されるということが起きます。

 このことを日本に照らして見ると、沖縄と言うのは、独自の文化を持つ琉球王国であったものを、江戸時代に薩摩藩が武力で支配し、形式としての琉球王朝を残し、そこを通じて清国と貿易を行う手段として使いました。また、琉球には、黒糖や琉球上布などを税として納めさせ、薩摩藩のみならず、幕府も利益を得ていました。

 私の個人的見解にすぎませんが、日本人の多くにとって、戦争中、沖縄と言うのは、前述の韓国にとっての済州島と同じではなかったのか?
 同じ国家内でありながら、歴史的に支配、被支配の関係にあった地域に対して、差別的に扱ってきたのではなかったのか?
 漫画家の水木しげる氏が、述解していますが、従軍慰安婦の多くは朝鮮人であったが、沖縄の人も多かったと。
 歴史的に見て、1940年当時、琉球王国が、「琉球処分」として、大日本帝国に併合されてから、60年程度しか過ぎていません。
 あの時点で、本土出身の日本人に、沖縄の人に対する差別意識があったのではないか?
っと言う疑問があるのです。
 だから、沖縄戦では、捕虜になった住民を襲撃して殺害したり、スパイ容疑で審理もなしに処刑したりと言った、日本軍による暴力があったのではないかと思うのです。

 ここでは語りつくせませんが、戦後も、沖縄出身者への差別はありました。最近はやっとなくなったようですが、それでも、先般の教科書問題では、沖縄の人を差別するような発言が多く聞かれました。

 私が言いたいのは、済州島の件も沖縄の件も、一応同じ国でありながら、歴史的に、支配と従属の関係にあった場合、同国人に対してであっても、虐殺や、不当な暴力が加えられていたのではないかと言うことです。
 これを読み解くのは、歴史的事実だけでは難しく、当時のそれぞれの人の内心がどうであったかと言う、今ではうかがい知ることの出来ないことが根底にあります。

 しかし、ほぼ同じ時代の、韓国と済州島、日本と沖縄、っと言う、似た歴史的背景の場所で、本土側の都合による、現地人の犠牲と言う、同じようなことがあったということは、社会学的に分析すれば、やはり、異文化差別の問題に突き当たるのでは無いかと考えています。

 違うのは、ノ・ムヒョン大統領は、現地に行き謝罪しました。日本政府は、沖縄戦での集団自決などに、軍の関与は無かったと強弁しようとしました。
 日本のほうが、歴史を直視する姿勢に欠けているといわれても仕方がありますまい。

 また、現在、日本の米軍基地のほとんどが沖縄に存在することについて、本土の人間があまりにも無関心なのは、やはり、日本人でありながら、沖縄の人に対しては、「他所の人」っと言う差別意識が、あるのではないかと思う次第です。

 沖縄集団自決問題に対する、本土の人と、沖縄の人の温度差。そこには、依然異文化差別の意識があるように思えてならないのです。それは、なくしていくべき感情だとも思うのです。

 似てはいるけれど無関係な事実を、強引に関係付けているよう話ですが、社会学的に見ると、やはり、これは同じ類型に当てはまると。そして、日本のほうが韓国よりも、歴史を直視することから逃げていると。そう感じざるを得ません。

 散漫になりましたが、沖縄へ基地を押し付け続けている本土の人の意識の深層に何があるか?考えてみた次第です。
posted by 眠り猫 at 03:03| 東京 ????| Comment(11) | TrackBack(4) | 歴史観

2007年08月15日

「敗戦の日」に、不戦の誓いを新たに。

 今日、8月15日は、かつて日本が、太平洋戦争に敗れて、ポツダム宣言を無条件に受諾するという形で降伏した、敗戦の日です。
 一般には「終戦記念日」と呼ばれ、戦没者追悼の祈りが捧げられる日です。

 しかし、私はこの日を、あえて「敗戦の日」と呼びます。
 戦没者(軍人だけでなく、民間人、及び日本軍に殺された、他国の国民も含む)に対して、悲惨な戦争の反省をし、その死に対する追悼の念を現わすことには私も賛成です。
 そして、それは当然、「不戦の誓い」を意味するものであるべきでしょう。

 文頭に、「太平洋戦争に敗れて」と書きましたが、正確に言うと違います。太平洋戦争は、1941年に、日本がハワイ真珠湾に宣戦布告前の奇襲攻撃をかけて始まった、主にアメリカとの戦争です(植民地支配をしていたイギリスオランダ軍や、オーストラリア軍とも戦いました。)。
 しかし、8月15日に日本が無条件に受諾したポツダム宣言には、明治以降、日本が大陸に侵略して獲得した満州における権益、また朝鮮併合、満州国建国、日清戦争以来の中国との戦争などの、大陸侵略の戦争にも終止符が打たれ、日本はそれまでに奪い取った領土や権益を、元の国に返還し、本来の日本の領土とされる日本列島以外の国外領土を全て失った日でもありました。ここには、旧ソビエトも中国も含めた、連合国との戦いに敗れての敗戦でもありました。

 この明治以降の日本の大陸侵略、そして主に資源獲得を狙った太平洋戦争のいずれも、日本の側から仕掛けた、侵略戦争であることは、国際社会での常識です。
 それ以前に植民地支配を行っていたイギリスやオランダについては、日本の帝国主義的植民地獲得戦争を批判する権利は無いと思いますが、日本が侵略戦争を始めたのは事実です。

 そして、侵略戦争をみずから始めながら、最終的にはその戦いに敗れ、元の領土に押し戻されたというのが、あの戦争でした。
 ここで注視したいのが、あの戦争の責任は日本にあり、自ら起こした戦争に敗れたものであって、決して「祖国防衛戦争」と言う美名にすり替えられるものではないということです。日本が、何もしていないのに、侵略された戦争では決して無いのです。

 ここに、戦後ずっと日本人の意識を支配してきた「被害者意識」からの訣別を図るべきだと思うのです。
 確かに、敗戦間際の、アメリカ軍による都市無差別爆撃や2発の原爆による犠牲者は、「戦争の被害者」であることは間違いありません。その惨禍は伝えられていくべきであり、またアメリカの国際法無視の民間人無差別殺戮は批判されるべきです。
 しかし、そもそもをたどれば、真珠湾奇襲に単を発し、戦争を始めたのは日本のほうです。
 大陸侵略も同様で、朝鮮も中国も、日本に戦争を仕掛けてきたわけではありません。日本が大陸に侵略して行ったのです。

 この意味で、日本は、被害者意識の上に、加害責任の意識を自覚する必要があるでしょう。
 そして、あの戦争で亡くなった、日本人で330万人と言われる戦没者を含め、他国の戦争犠牲者の死に、責任を負うべきなのは日本であることを、日本人は認識し、反省し、軍事による外交問題の解決と言う道を再びとらないことを、誓うべきなのです。

 このような考えを、「自虐史観」と言う誤った批判をする人がいます。歴史を直視せず、感情的自己満足を求めるに過ぎない、この批判者の論理は、国際社会では通用しない論理です。そのような意見の方々は、国内で、反戦、非戦派の人を攻撃するのではなく、あの戦争を正当化し、祖国防衛戦争と言い、アメリカや旧ソ連を侵略者と呼ぶことを、国際社会に向けて問うてみてはいかがかと思います。まず、総スカンを食らうのは間違いないでしょう。

 自らの過ちにより、自国民を含めて膨大な戦没者を出したあの戦争を真摯に反省し、不戦の誓いを新たにすることは、決して間違っていません。
 あの戦争を正当化するということは、今後も同様の行為を行うことを目指していると考えられ、同じ結末が来るのならば、今度は日本全体が核の焦土と化すでしょう。

 戦争はもとより愚かな行為です。現代社会では侵略戦争は肯定されていません。
 日本が自国のみの利益のために、再び銃をとり、国外に向けての戦争行為を行うことは、絶対に避けるべきです。
 
 現在の自民党、安倍政権は、「集団的自衛権の行使容認」と言う突破口を作り、憲法を無視して、再び日本が国外で侵略戦争(アメリカの「テロとの戦い」と言う、虚妄の口実を根拠とした侵略戦争への加担)を行うことを可能にしようとしています。
 これは、まさにアメリカに日本を売り渡す売国行為であると共に、その戦争で犠牲になる、自国民、及び他国の国民への加害責任を認識しない、愚昧な行為であると断言します。
 アメリカのブッシュ政権の戦争外交も、安倍政権の軍事偏重も、軍事産業に利権を見出し、戦争に備える・戦争を行うことにより、自らの個人的利権をあさろうとしているものに過ぎないのは明白です。

 このような戦争行為への道を開いてはなりません。

 今日、この敗戦の日に、日本人が戦没者への慰霊の祈りを捧げるとき、日本人はあらためて先の戦争を反省し、不戦の誓い新たにすることこそが、21世紀における日本の繁栄をもたらす道だと、私は考えます。
posted by 眠り猫 at 04:08| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(36) | 歴史観

2007年08月06日

今日は広島原爆忌。

 今日は、広島原爆忌です。
 犠牲者への哀悼の意と、核兵器廃絶への祈りを新たにしたいと思います。
 会社では黙祷をしないので、朝、般若心経でも唱えて行きます。合掌。

 9日の長崎原爆忌も忘れてはいけません。
 双方で、戦後も合わせて、35万人以上の方が亡くなりました。これは、太平洋戦争での日本人の犠牲者の、1割に達する数です。核兵器の恐ろしさと非人道性を、今後も声を上げて行きたいと思います。

 安倍が、原爆症の認定基準の見直しを宣言しましたが、これも参院選効果でしょう。人気取りのためとは言え、単なるアフォーマンスに比べれば良いことです。


 

posted by 眠り猫 at 05:07| 東京 ????| Comment(4) | TrackBack(7) | 歴史観

2007年03月29日

二転三転する従軍慰安婦問題、政府見解

 最近の安倍政権の、まとまりの無さ、収集狼狽振りについては、目を覆わんものがある。
 原因は、多分、理由も無く自分達の味方だと信じて疑わなかった、アメリカ議会において、太平洋戦争中からそれ以前の、従軍慰安婦の問題について、非難と謝罪を要求する決議案が通りそうな状況になったことに、どう対処していいか、わから無くなった、自民党の面々の狼狽であろうか?
 まず、安倍自身が、混乱している。従軍慰安婦に「強制は無かった」、「強制にも狭い強制と、広い強制が」、などとトンチンカンなことを繰り返した挙句、NHKの「総理に聞く」で、全面謝罪をしてみたかと思うと、また、「官邸サイドには強制を示す証拠は無い」などと言い出す。その間、自民党の中の混乱は続き、政府見解(河野談話)の是非やら、「党の見解」やら、「再調査するとかしないとか」、また安倍が「総理として謝罪する」と言ったのと同じ日に下村官房副長官が、「軍としての関与は無かった」とまた根拠の無い発言。
 
 私の記憶で、今思い出せるだけでも、上記のような混乱振りである。
 まず第一に、従軍慰安婦が存在したことは、誰しも認め、直接証言もある事実である。また、私が読んだ本では、明らかに軍の中の行事として行われていたことも明らかである。元兵士の証言もある。
 自慰史観に立つ、安倍政権でも、否定は出来ない。それを、何とか言葉を言いつくろって、ごまかそうとし、自己矛盾や、アメリカ様の顔色などに右往左往しながら、発言を二転三転させている。
 醜いというよりも、おろかと言うほかは無い。事実は事実と認めてしまえば、そしてきちんと謝罪すればよいのである。
 正直、嘘をつくことを含めて、子供よりもたちが悪い。
 また、政権内で意見の統一が図れないという、醜態もさらしている。
 もはや、安倍に政権運営は無理なのだと思う。閣僚どころか、副官房長官からまで虚仮にされている首相は見るに耐えない。早々に退いてもらいたい。
posted by 眠り猫 at 04:19| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(4) | 歴史観

2006年12月08日

太平洋戦争開戦の日に思う

 病状はよろしからざねども、今日と言う日、12月8日、大日本帝国がハワイの真珠湾に奇襲攻撃をかけた日に、何か書かねばならぬと思います。
 
 真珠湾攻撃。宣戦布告とのずれとも合わせ、国際法違反の奇襲攻撃とも言われます。
 この日から4年弱の間に、日本は初期を除き敗北を重ねて、ついには国土は焦土と化し、原爆2発を投下されて、無条件降伏するということになったわけです(条件付降伏だったという、石原の妄言は意味が無いです。条件を突きつけられて、ただそのまま受諾したのですから、無条件降伏なのです。)。
 
 60年の平和な、復興から繁栄の時代を経て、腐った自民党政権の下で、繁栄を失いつつある日本において、再び軍靴の響きが聞こえてきます。
 安倍政権は、軍事独裁を目指しているわけではないでしょう。ですが、安倍晋三自身は、祖父の代から、日本の軍需産業から利権を得ている族議員です。日本を戦争のできる国にして、アメリカに媚びる一方で自らの私利私欲も満たそうというのが、安倍の唯一変わらぬ政策の基本です。
 
 以前から繰り返し述べていますが、教育基本法の改悪も、共謀罪も、防衛省昇格も、日本版NSCも何もかも、「日本が海外で戦争が出来る国づくり」のための布石です。最後の仕上げが憲法9条改悪です。
 
 さらに歴史が証明しているのは、軍や警察が肥大化した国家は、必ずそれらの武装組織が発言権を増し、最初は支配しているつもりだった政治家の思惑を超えて、自己肥大して行くものです。そしてやがては何らかの破綻をきたすというのが、古今東西を問わず、軍事偏重の歴史です。
 そういうことを理解できずに(歴史を学んでいないから)、目先の利権漁りのために、「戦争の出来る国づくり」を目指す安部政権は、危険極まりないものです。
 
 ここで、あらためて、選挙における野党共闘、死に票にならない投票を呼びかけるものです。
 民主党に前原一派がいるのは事実です。また、まだ歴史が浅く、構成しているのも、元自民党、民社党と言った、今の自民党と大差ない政党出身の議員が多いのも事実です。
 ですが、安倍政権の危険性に比べれば、まだ危険度は少ないです。先日も憲法9条尊重の方針を打ち出しました。改悪を声高に叫ぶ安倍政権よりはましでしょう。
 今、ここで反自公政権の勢力が割れていては、勝てるものも勝てません。
 「安倍政権の危険性」を認識して、次回の参議院、その次の衆議院選挙での投票行動をしっかり考えましょう。
 
posted by 眠り猫 at 16:30| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(6) | 歴史観

2006年11月06日

「安倍晋三の無知と傲慢」、月刊現代11月号から

 講談社の週刊、ならびに月刊現代は、かつて、読売新聞に買収されてしまうまでは、中央公論が担っていた役割を最近果たしていると思います。健全な思想からの理性的な権力批判。(辺見庸氏のインタビューのように、感情的に激烈なものもありましたが)。
 
 月刊現代10月号での、今、日本でもっとも硬派な論客、立花隆氏の「安倍晋三に告げる 改憲政権への宣戦布告」は、噂に過ぎませんが、一部特殊団体の組織的買占めで、店頭から姿を消したそうですが、私は、八方手を尽くして、古本の扱い(値段は6割増し)で、入手しました。この寄稿は短いので、今、立花氏に、全文をネットで公開する許可をお願いしているところです。お返事が無いのですが、再度お願いするつもりです。
 
 で、引き続き。
 同じ雑誌の11月号で、昭和史研究の第一人者、保阪正康氏が、「緊急寄稿」として、「安倍晋三の無知と傲慢」と言う文章を載せています。
 基本的に歴史認識に関する、安倍のご都合主義で肝心なところはあいまいにする点を非難しています。以下に、簡単な要約を掲載します。
 まず、「美しい国」を取り上げ、過去、同様の書物を読んで保阪氏が感じたのが、「自画自賛をしている本は、まず歴史的に残らない空虚なものである」、「抽象的で空虚で、当たり前のことを、形容詞を多用して、垂れ流している、中学生でも書ける文章」と、内容以前の問題で、切り捨てています。
 
 しかし、それ以降は、主に、自民党総裁選での、谷垣、麻生両氏との討論の中で示した、歴史観が、他の2人が、それなりに整合性のあるものを述べたのに対し(保阪氏は谷垣氏の見解に高い評価を)、安倍が、「後世の歴史家の評価を待つべき」とか、他の候補の発言から、司会者に話をもってこられると言葉を濁して、あいまいなままにしてきた点を追究しています。
 本文には出てこなかった言葉ですが、「後世の歴史家の評価を待つ」と言っても、既に昭和6年の大陸侵略から、70年以上の歳月がたち、敗戦からも61年が経った今、既に「まともな」歴史家は、過去の日本の大陸への戦争行為を「侵略」であると断定しています。もはや論ずる余地も無いほどに、完璧に。それを、ごまかしているのは、上坂冬子やらの、政府の人間がゴーストライトした、歴史ではない、歪曲された多数のデマ書物(ネット右翼の論拠)と、安倍晋三たちだけが、侵略ではない、侵略だというのは自虐史観だと騒いでいるのです。
 「歴史家の判断を待つべき」と言いながら、既に歴史家の判断が降りているものに反することを、声高に騒いでいるのは安倍晋三です。
 
 また、保阪氏は、安倍晋三のこのような姿勢を、自分に都合の悪いこと、気に入らないことは、無かったことにしてしまうことを、「忘却史観」と表現して、批判しています。中韓はもとより、アメリカからも靖国の遊就館の展示内容に非難が寄せられているのに対して、全く顧慮せずに、自分の「好きな」論理だけを弄ぶ姿は、一国の首相として、「あってはならない」。こういう人を首相にしては行けなかった、と保阪氏は断じます。
 
 「美しい国」の軽薄さ、内容の無さへの批判。総裁選での、他の候補よりはるかに未熟かつ逃げの歴史観。その一方で、勝手に推し進める自前の「忘却史観」に基づいた、異常な(個人的嗜好で好き嫌いで選んでいるだけ)歴史観などを、総じて、保阪氏は、「安倍晋三の、無知と傲慢」と表現し、首相の資格が欠如していると論じています。
 
 この寄稿を読んでみると、私たち、平和・護憲ブロガーが感じていることを、より明確な言葉で。また歴史学者として、適切な資料や報道からの引用を用いて、わかりやすく述べています。まだ書店にあるかも知れないので、是非お探しください。図書館にはあるでしょう。私が10月号を入手したように、ネット書店の中古を狙えば、手に入るかもです。
 幸い、謎の団体による買占めはされなかったようです。
 しかし、立花隆氏をそんなに恐れているのですね、権力側は。でも、保坂正康氏の論文も、十分かつ的確な安倍批判になっています。
 以上、簡単にご紹介まで。

 

(追記:6日朝に確認しましたが、ネット書店のAMAZONに、古本が複数在庫ありの状態です。他にもあるでしょう。)
 

posted by 眠り猫 at 02:54| 東京 ??| Comment(6) | TrackBack(9) | 歴史観
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