2008年03月25日

私は別に人道主義を唱えているわけでは無いのだが。

 土曜日の午前中に書いた記事を、あしかけ4日間表示していました。
 いつも読みに来てくださっている方々には申し訳ありませんでした。ただ、できるだけ多くの人に読んでもらいたかったので。
 個別のコメント返しはしませんでしたが、コメントも多くいただき、それなりの意味はあったと思います。
 ただ、誤解があったようなので、補足を少し。

 私の意見を「人道主義」と評した人がいました。たしかにそう思われるような内容でしょう。しかし、私は単に人道主義の立場からチベット弾圧に抗議しているのではなく、前の記事では述べなかったことで、私は、反貧困、反グローバリズム、リベラル政策の実現などの詳細なプランも併せ持った上で、状況や相手に応じて主張を変えるようなダブルスタンダードはおかしいと述べたものです。

 逆に言えば、中国政府を支持していようと、アメリカの謀略があったかもしれないにしても、それでも人道主義を主張する強さが、なぜないのかと不思議に思います。結局はそれは、政府や大国の思うつぼでは無いでしょうか?日本において普通の抗議活動をしている人に銃撃を加えて殺人を肯定する意見すら、よそのブログで見かけました。この人は、完全に脳を中国共産党讃美のドグマに侵された上で、日本国内でも権力にそのような暴挙を許すと積極的に言っていたのです。
 そんな人に、共謀罪反対などを述べる資格はないと言えるでしょう。

 この数日間にいくつかの動きがありました。イラク戦争反対のピースパレード、チベットの弾圧に抗議する行動、沖縄での少女暴行に抗議する集会。さらに、まだ事実関係は不明ながら、横須賀でのタクシー運転手殺害事件で、米兵がアメリカ当局に確保されました。

 これらについて個別に記事を書くのは簡単です。しかし、私はもっと深く考えたい。

 たとえば、50年後には顕在化すると言われている、金属資源を含む、資源の不足・欠乏。その事態に瀕した時、日本は海底資源採掘技術で世界をリードするでしょうが、ほかにも米露中EUが、月や小惑星から資源獲得の能力を有するでしょう。
 その時、資源の独占により、世界支配をねらうのか、資源を適正な価格でどの国にも販売し、世界の宥和と平和を目指すのか。
 米露の現在の資源外交を見れば、彼らはそうはしないでしょう。では、日本はどうあるべきか?そこで、非戦、不殺の思想と、リベラリズムに基づく政治形態が平和への道を切り開くでしょう。

 私はたぶん死んでいる時期です。しかし、そのための道筋を今から作りたい。そう思って、この瑣末なブログを書き続けているのです。
 古いドグマに侵されるのではなく、自分で新しい思想を形成していく。そのような努力が求められる時期になりつつあると思います。
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2008年03月17日

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の崩壊

 以下は、一昨日の中日新聞の社説である。私はこの前半部分に着目した。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008031602095788.html

(なお、マックス・ウェーバーの同著作については、ウィキペディアをご参考願いたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E

 少し歴史的議論になってしまうが、ドイツの社会学の泰斗、マックス・ウェーバーは、中世ヨーロッパを支配したカソリックへの、「抗議者(プロテスタント)」から始まった、宗教改革者の1人、スイスの神学者カルヴァンの思想に着目し、特に、カルヴァンの唱えた「予定説」は、天国の門をくぐれるものはすでに定められているが、人間はそれを知ることはできない。ただひたすら、自分の天職(コーリング)に勤め、その達成において、自分はその一人であるという宗教的確信を得ることができると述べ、禁欲的勤労に励むことを奨励した。

 ウィキペディアの記事中にもあるとおり、ウェーバーは、産業革命以降の資本主義的経済発展が、おもにカルヴァン派の流れのプロテスタント諸国で起きていることに着目し、このカルヴァンの思想が、資本主義的な活動と勤勉さ、そして禁欲性により浪費されずに再投資が行われ、さらに経済が発展するという仮説を立てたわけである。
 ウェーバーは社会学者であり、経済学者ではない。だから、社会に起きている現象を捉えて、仮説を立てたのである。だから現象を分析しているだけで、必ずしも真理とは言えない。

 実際、キリスト教国でなくても発展している国はある。しかし、現在の唯一の超大国、アメリカもまた、カルヴァンの思想を基にするプロテスタントが多い国に分類される。

 しかし、上記中日新聞の社説にもあるように、ウェーバーの仮説では、禁欲的であるはずのプロテスタントが、今や、自らの私利私欲を漁るだけのエゴイストと化し、新自由主義と言う体制の下で、一部の者への富の集約と、他者からの収奪を進めているのが、今のアメリカであるといえよう。
 同じく、中日新聞の社説中にある、「ノブレス・オブリッジ」とは、「高貴なるものの責任」とでも訳され、本来は、王族、貴族は率先して軍の先頭に立つべき。転じて、持てる者が、社会的活動や寄付などにより、自分の恵まれた立場の利益の配分を行う精神のことで、本来はイギリスの言葉である。
 これもまた、今のアメリカを中心とした、新自由主義国家では失われて久しい精神かと思われる。

 日本は、元来キリスト教国ではないが、そのためか、昔から腐敗政治はお家芸と言え、アメリカ以前から、政権は腐敗していた。その点では、ギリシャ人哲学者が言った、「権力は腐敗する」のたとえは、日本にもとても良く当てはまっているというべきであろうか。

 マックス・ウェーバーが今に生きていたら、100年前の、この著作はあり得なかっただろう。カルヴァン派の系譜を受け継ぐアメリカやイギリスで始まった新自由主義は、世界を席巻し、私利私欲のために侵略戦争を起こして、数十万の人々を死に追いやった、「敬虔な」プロテスタント信者ブッシュ大統領を見て、ウェーバーは、100年前の著作の撤回を図るに違いない。
 一方で、経済発展はまだでも、民主的選挙で反米、反新自由主義を勝ち取った、南米大陸のカソリック信者たちのことを何と言うであろうか?

 まさに、新自由主義国家では、「倫理」の崩壊が起きているのである。

 日本でいえば、経団連会長の御手洗のように、自分はキャノン創業者(複数)の中の一人の肉親であるというだけで、経営者になり、経団連会長になったものの、自社で「偽装請負」と言う違法行為が発覚すると、立場を利用して、その行為自体を合法化するように持っていこうと動くなど、まさに倫理のかけらもない人物と言わねばなるまい。

 数日前に述べた、「モラル・ハザード」は、個人レベルだけでなく、企業や政党なども、目先の私利私欲で動くようになっている、今の状況を端的に示しているのかもしれない。
 それらの根源にすべて新自由主義があるとまでは言わないが、ある程度の影響はあるはずである。たとえば、アメリカの企業では、4半期ごとの利益で経営者の評価が出るため、短期的利益のみを追求するという。また、日本では、もともと腐敗の温床であった政治の分野で、政治家に媚びるためなら、なんでもする、なんでも言うという人々が多くはないか?
 新銀行東京での石原都知事の無責任ぶりは、まさに恥じ知らずの倫理の欠如を物語る。

 やはり、新自由主義はやめよう。格差の拡大をもたらし、倫理感の無い一部の世襲権力の持ち主たちに、富が集中したりする制度はやめよう。(石原は、弟の世俗的人気による世襲と言える。)
 改めて、そう主張したい。

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2008年02月18日

コソボ自治州の独立について悩む

 旧ユーゴスラビアは、第二次世界大戦のパルチザンの英雄、チトー大統領が存命していた時は、何とか統一を保ち、冬季オリンピックが開催されたりもしていた。
 しかし、チトー大統領の死後、かつて、「世界の火薬庫」と呼ばれた、バルカン半島を含むこの国は、多数を占めるセルビア人の支配から逃れようとする、各地域、民族による独立の気運が高まり、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなど、セルビアを含む6つに分割され、各地が独立した。

 独立の過程で、「ユーゴ紛争」と呼ばれる内戦が勃発し、セルビア軍と独立派の戦いに、NATO(北大西洋条約機構)が介入(とはいえ、おもにアメリカ)し、大規模なセルビア空爆が行われた。
 余談だが、このときのアメリカの政権はクリントン政権で、アメリカ軍が投下した爆弾・ミサイルの総トン数は、ベトナム戦争のときの「北爆」を超えたと言われている。その理由として、今は忘れられかけている、電子機器の「2000年問題」を解決することが難しかったアメリカ軍が、古い弾薬を派手に使い尽くしたという噂もある。


 また、この内戦では、民族同士が互いに殺し合い、また宗教による差別(キリスト教とイスラム教)もひどく、相互殺戮の「民族浄化」と呼ばれる虐殺が各地で起きた。チトー治世下で、民族の融和が進んでいたにも関わらずである。
 日本では、遠いし、縁もあまりない国での話だったので、あまり情報は入ってこなかったが、内戦終了後、この民族浄化はすさまじい悲劇だったことや、当時のセルビアの指導者が、人道に関する罪で、国際法廷で訴追されるなどの結末を迎えている。


 この紛争後、マケドニアなども独立し、今回もコソボ自治州が昨日、議会で一方的な独立宣言を出した。アメリカとその腰ぎんちゃくの日本はコソボの独立を承認すると表明しているが、国連常任理事国であるロシアが強硬に反対しており、コソボは国連には加盟できない。
 また、コソボの人口の9割前後は、隣国のアルバニア系住民で、すでに独立反対の集会が計画されるなど、必ずしも「コソボ民族」というものがあっての、民族自決とは若干様相が違うようである。

 私は、この件について、独立が正しいともそうでないとも言うことができない。

 昔、世界史を習っていたころは、「民族自決」というものは「正義」であり、個々の民族が持つ権利だと頭から信じていた。
 しかし、実際の国際情勢を見ていると、たとえばアフリカのルワンダにおいて、民族どころか部族間の争いで、一方が一方を虐殺するという悲劇が起きた。今でもスーダンのダルフール紛争では部族間の争いだし、アフガニスタンでは、多数派のパシュトゥーン人系のタリバンとそれ以外の民族の紛争が行われてきた。最近のパキスタン国内の自爆テロなどの混乱でも、パキスタンでは少数派のパシュトゥーン人の動向が問題となっている。


 こうやってみてくると、「民族自決」は、紛争をもたらす原因となり、必ずしも「正義」とは言えなくなってきていることに、否応なしに気付かされた。
 かつてのアジア、アフリカを中心にした、「民族自決」に基づく独立運動は、欧米列強の植民地支配から、現地の諸民族が独立を勝ち取る戦いであったため、時代遅れになった帝国主義的植民地支配に対する、その戦いは正義と教えられてきた。その面は確かにあるだろう。
 しかし、一方で、すでに欧米列強からの独立を成し遂げた国の中で、さらに細分化した民族(あるいは部族)の独自性を強調しての「民族自決」の戦いは、いわば、レイシズム(他民族蔑視)、ゼノフォビア(他民族恐怖症)に基づく場合が多く、その結果、悲惨な「民族浄化」に陥りやすいこともまた事実である。


 このようなケースでの「民族浄化」は、正義などではなく、単にその地区で人口構成または軍事力的に有力な一派が、他の民族を虐殺するというもので、「民族自決」というカテゴリーでの、独立紛争とは全く様相を異にする。
 たとえば、旧ユーゴでのクロアチアで独立の気運が高まっていた時、集会に、19世紀のクロアチア大公国の大公の扮装をした者を、熱狂的に迎えるという場面があった。これは、一種の懐古主義、国粋主義であり、近代では、大日本帝国やナチスドイツの例を引き、遅れたものとされてきた思想の形態ではなかったか?


 私は今、コソボ自治州の独立に、いくつかの懸念を抱かざるを得ない。
 今回の独立宣言は、必ずしも人口の多数を占める民族(主にアルバニア人)の意志に合っているのか?単に支配的なセルビア人に対する反発からだけの行動ではないのか?という懸念と、これを契機に再び旧ユーゴで、紛争が勃発するのではないかという恐怖である。

 かつて、「民族自決」が正義とされた時代を過ぎ、今は、相互の相違を「多様性」として認めつつ、融和していき、民族間(国家間)の対立を無くしていく、汎世界主義(コスモポリタニズム)の方が理想とされるのではないかと思う。
 しかし、現実には、その社会において、支配的な勢力の民族が他の民族を抑圧したりしているため反発が生じ、「民族自決」を合言葉に、紛争が多発しているのが現実の世界だと思う。

 これに、近年台頭している、イスラム原理主義、キリスト教原理主義などが加わり、さらに対立の原因を作り出している。アメリカの大統領ですら、キリスト教原理主義的な言動でもって、アフガニスタン、イラク侵略を行ったのである。それはブッシュ一人の罪とは言い切れない。そのような風潮がアメリカには確かに存在するのだから。


 この問題に対して、私は回答を持たない。いずれ歴史と人類の進歩か堕落かが決着をつける問題なのかもしれない。
 ほぼ単一の民族で構成された日本においてすら、民族的には同一でも、歴史的、文化的に違いがあると言うだけで、沖縄の人を差別する傾向が、保守層を中心に根強くあるし、ウタリ(アイヌ民族)は、すでにその伝統が失われつつある。ほぼ同一に近い民族の中にあってすら、レイシズム的な民族差別が存在しているのを見ると、日本以外の、実際に異なる民族が同居する国家において、「民族自決」に基づく紛争が続発している現在を、どう捉えるべきなのか?
 私には、まだ答えが見いだせないでいる。答えがあるのかどうかすらわからない。


 ただ言えることは、日本は、アメリカに追従するのではなく、9条を持つ国家として、セルビアとコソボの仲介をするなどの労を取り、少なくとも流血の惨事を回避するよう努力するべきだと思う。パレスチナ問題しかりである。


PS.日本におけるネット右翼の、中国韓国、北朝鮮に対するレイシズム、ゼノフォビアぶりは、決して日本人の多数ではなく、一部の特殊な頭の持ち主のみの発言と考える。経済や外交の常識では考えられない奇矯なことを、繰り返し(進歩がない)垂れ流しているだけだからである。

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posted by 眠り猫 at 19:06| 東京 ????| Comment(3) | TrackBack(5) | 思想

2008年02月16日

I HAVE A DREAM.その2

 昨日の記事「I HAVE A DREAM.」(http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/84119005.html)に少し補足を。

 私の書いたことは、大風呂敷すぎるし、また絵空事かも知れません。

 大体、隣人との仲すらままなら無い人や、各種の犯罪は後を絶ちません。
 今回の米兵の犯罪も、性欲ももちろんあったでしょうが、日本人への差別意識、占領軍意識があったのは間違いないところでしょう。
 こんな状態で、国家の垣根を取り払い、平和な世界の実現など、それこそ、夢・まぼろしと言われても仕方がありません。
 人間の本質が、100年や200年で変わるはずもなく、犯罪の根絶もできない以上、戦争の根絶はもっと困難でしょう。


 しかし、だからこそ、現状に諦めないで、夢を抱きたいのです。夢を持ち、それに向かって努力することで、少しでも世界を良くしたい。そう思ってはいけませんか?
 アフリカでは、まだ民族どころか、部族紛争で虐殺や内戦をしています。キリスト教もイスラム教も原理主義が台頭し、他の宗教を攻撃するのが正義と信じている人も多いのです。


 でも、たとえば、トルコは、早い時期に宗教と政治を切り離すことに成功していました。
 また、EUの壮大な実験など、実現できるとは誰も思っていなかったことを、まだまだ問題はある中で実現しようとしています。そこにはやはり、「夢」があったのだと思います。


 人生だってそうです。夢をあきらめて、現状に甘んずる人が多ければ多いほど、企業経営者や政府には都合がいいのです。しかし、夢の実現に向けて努力することから、人生にやりがいが生まれるのではないでしょうか?
 やはり、私は夢を持ち続けたい。それもたくさんの夢を。

 さらに、夢を実現させるためには、夢は大きく、空高く。しかし、足もとは現実を見ながら着実に。これが私のモットーです。

 私は登山をします。登山の目標(夢)は、山頂に立つことです。私は日本百名山踏破を目指しています。でも、山頂だけを見て歩いていたら、道を踏み外すこともあります。眼の前の道は、山頂と別の方に向かって伸びていることもあります。
 だから、しっかり足元を見て、地図などの情報を十分に確認して、天候が悪い時は、引き返す勇気も持ちながら、いずれまた、その山にチャレンジするのです。


 牽強付会になりますが、今回の沖縄の事件に怒り、その再発を防ぐために、日米地位協定を見直すように運動することは、現実的なものです。夢よりも具体化の可能性はあります。そういう望みを持って活動する。方法は現実的に。そうありたいと思います。


 あと、前の記事のコメント欄(http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/84119005.html#comment)に、suyapさんが寄せた、世界政府なんか反対だというご意見にここでお答えしておきます。
 私が志向しているのは、外交、通商、軍事に関して、国境線が低くなり、相互の影響と依存関係が深まり、戦争が無くなる日と、異なる民族の人々が共存共栄できる世界を望んでいます。
 一方で、EUの成立の過程で、一番大きな問題は、各国の独自性をどこまで保つかという、若干国粋主義的な反発が大きかったことです。それは当然と言えるでしょう。


 私の答えはこうです。
 外交、通商、軍事に関しては、国境線を無くしても、個々の民族や集団が持つ、文化的多様性は逆に尊重されるべきだと。文化的多様性は重要で、それを画一的な価値観に押し込めようとすれば、反発が大きく、逆に世界の統合など無理になるでしょう。
 たとえば言語です。EUでも言語の統一はしようとしていません。アメリカ人のように、世界中で英語が通じるのが当たり前と考えるほど愚かでは無いのです。現在は翻訳ソフトが進歩しています。遠からずネット上では、自分の言語を相手の言語に即時に変換するソフトができるでしょう。その次は、会話において、しゃべる言葉を相手の言語に、聞くときはその逆という装置が開発されるでしょう。
 こうすれば、言語の統一など不要になります。
 だから、私は、suyapさんの意見に基本的に賛成です。ただ、戦争のない社会を作るために、このような夢を持ちたいのです。他の方法があるなら、傾聴する用意があります。
 では。
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posted by 眠り猫 at 08:28| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(3) | 思想

2007年08月28日

【お題】経済政策論:新自由主義とリベラル。今の日本に必要なのはどっち?

(引き続き【宿題】は、「http://www.dff.jp/」から、毎日募金することです。

 さて、予告より日程はずれましたが、「猫の教室」、秋のシーズンの開講です。
 相変わらず、能天気きまぐれ、非常勤臨時代理講師補佐見習い(「手伝い」から出世しました。祝。)の「眠り猫」です。

 さて、今日のお題は、コイズミカイカク以来、日本に格差社会をもたらし、強いものはより強く、弱いものはより弱くと言う政策で、ネットカフェ難民とか、ワーキングプア、自殺大国日本と言う社会現象を引き起こしたといわれる、「新自由主義」経済政策と、私が支持する「リベラル」的経済政策のどちらが経済面だけでなく社会現象的に見ても、今の日本に求められるのか?またそれ以外の思想(リバタリアニズムとか、マルクス主義経済とか)があるのかについてご意見を募集します。

 この記事では、私の知識の範囲での、新自由主義やリベラル主義の概要を説明します。偏らないように双方の利点と欠点を平等に述べたいと思います。専門では無いので、誤りがありましたらご指摘ください。

 「新自由主義」と言う言葉が聞かれるようになったのは、コイズミ政権で、竹中平蔵氏が推進した市場原理万能政策が推進された時からでしょうか?
 しかし、新自由主義は、経済学的には、「新古典主義」と呼ばれ、近代経済学の古典である、ケインズ経済学(政府による経済への介入を是とする)の前に存在した、アダム・スミスの「夜警国家論」に淵源を持つ、古い経済政策を、現代版に焼きなおしものです。と言うわけで新しい思想ではなく、基本は逆に古い政策だと言えます。

 新自由主義の特徴は、とにかく「自由」を基本にし、市場経済原理を至上のものとします。高度経済成長期の日本にあった、規制による官庁主導の経済政策をやめ、市場の競争原理で、勝つものを優遇していく考え方です。その意味では、日本の護送船団方式とアメリカに批判されていた事実上の保護主義をやめたわけです。
 それは、根本的な意味において、自由主義の観点からは正しいかもしれませんが、必ず「敗者」を生み出すシステムであります。そして、アメリカの要求は、最強国家アメリカが勝ち続ける「スタンダード」として、新自由主義を要求し、コイズミはそれに忠実に応えたわけです。

 これに対して「リベラル」な経済政策は、福祉などに重点を置いた、ケイジアン的経済思想ですが、それは元々、資本主義勃興期の自由主義経済の下で顕在化した、資本家と労働者の経済格差の是正を目指して成立したものです。
 淵源をたどれば、近代市民思想の泰斗、ロックにまで突き当たりますが、自由と言うのは、2面性がある。自由権と言うものは、基本的権利として万人に認められるものであるが、その結果生じる、「万人の万人に対する闘争」と言うものの結果、不効率や敗者が生じ、必ずしも完全な自由が人間を幸福にしないという思想が「リベラル」思想の背景にあります。

 細かい話になりますが、「新自由主義」は、「新保守主義」(ネオコンサバティブ=ネオコン)の政治家の政策とほぼ同義ですが、厳密に言えば違います。
 本来の新自由主義ならば、その競争環境を守るために、確固たる自由と平等と平和が前提とされ、軍備拡大、戦争外交、増税は、本来の新自由主義の思想には無いものです。
 ネオコンは、漠然とした概念で、政治学上は新自由主義の上位概念とされますが、まとまった思想ではなく、逆に政策面で、大企業擁護、軍事拡大、庶民増税を行う政治家がしばしば新自由主義を唱えてきたという歴史的経過から、関連付けられるに過ぎません。

 今のアメリカも日本も、ネオコン政治家が主導する新自由主義万能論が支配的であり、経済界を代弁する日本経済新聞では、新自由主義こそが正しいという論調をとっています。

 これに対して、「リベラリズム」とは、ケインズ型の政府の介入による経済政策で、「自由」の暴虐の下に敗者となった階層を救済したり、そもそもそのような事態がおきないように経済政策を誘導する考え方です。
 ケインズ思想は、必ずしもリベラルと同義ではなく、国による一部主幹企業の国営化や、保護主義を含む、「修正資本主義」的な政策です。リベラルとはその考え方の下で、弱者、敗者へのセイフティネットを構築したり、福祉を重視することを基本にします。

 こう述べると、「リベラル」と言うのは、原始的な自由主義の暴走から弱者を守る理想的な考え方のように見えますが、この道をとる場合、「高福祉高負担」と言う結論が待っています。
 北欧のように、税負担は極めて高いが、その一方で社会(政府)から受ける恩恵も非常に大きい社会です。

 以上のように、「新自由主義」の基礎は、近代市民思想の「自由主義」の発露であって、一見、正当なように見えます。しかし、それでは、問題が生じたからこそ、1929年の世界大恐慌の後のアメリカのニューディール政策のように、国家が経済に介入して、全体的な不公平を是正しようと言う動きが、修正資本主義の元祖と言われますが、リベラリズムはそれよりもさらに弱者保護の姿勢が強いです。

 アメリカでは、レーガン大統領が推し進めた、「レーガノミックス」と言う、ネオコン・新自由主義政策において、「リベラル」と言う言葉は、昔、「英国病」と言われた、政府の保護に依拠した労働意欲の低下した、「怠惰な人間」をさす言葉として、悪い意味で使われるようになり、アメリカでは依然その傾向にあります。

 しかし、リベラリズムとは、根源的に政府依存を求めるものではなく、自由を基本に置いた上で、そこで発生する不具合を、調停者または救済者として国家が手を差し伸べる(セイフティネットの構築)。その分の費用は税によってまかない、高福祉高負担となる、っと言うものです。

 以上、新自由主義(ネオリベラリズム)と、本質的リベラリズムについて述べてきました。
 現在のアメリカや日本は、新自由主義を標榜しながら、軍需産業や大手金融機関を手厚く保護し、政治家と利権で結びついた、異常な政策を実施しています。今のアメリカは、かつての自由主義国家ではなく、完全に階層社会になり、貧富の差は救いようの無いほど拡大しました。
 日本もまた、コイズミ改革とやらのもとで、生活実感が悪化する一方で、ごく一部の大企業とその経営者だけが潤っている状況です。

 私は、ベンサムの「最大多数の最大幸福」の観念を借り、やはり新自由主義で行き過ぎた格差を是正するためには、それが固定化(いわば貴族階級の創出)する前に、リベラルの思想を導入し、格差是正を目指すべきだと思っています。

 ただ、押えておかなければならないのは、新自由主義もリベラリズムも、行き過ぎれば害悪を生み出すということを見すえる必要があると思います。問題は、その時々に応じた、適切な経済政策を取ることにあり、特定の考え方が一方的に悪であるとはいえないことです。

 ただ、現在のアメリカ、及び日本政府が取っている政策は、ネオリベ+軍拡、国民生活と人権を制限する政治は、本来の自由主義にも反する、異常な状態であると思います。
 アメリカは「グローバル・スタンダード」と言う言葉の下に、アメリカのスタンダードを世界中に押し付けました。そして、それで利益を得る利権政治家(ブッシュ、チェイニー、コイズミ、安倍ら)は、それを推進しましたが、それが唯一で最高の解決策でないのは、明白です。

 良く、アメリカン・スタンダードの押し付けで、日本の富がアメリカに流出したという意見がありますが、その一方で、日本の財界もまた、その波に乗って、アジア諸国などで、利益をむさぼっている現実があります。
 南米のチャペス大統領に代表される、「南米の反乱」は、アメリカのグローバル・スタンダードへの強権的な反抗です。
 日本がいつまでも、アメリカの真似をし続ける必要は無く、一方で、南米のように過激な反米主義を唱える必要もありません。
 正しいリベラリズムを行い、意味の無い軍拡主義をやめれば良いのです。

 最後のほう、自説の開陳になってしまいましたが、新自由主義(ネオリベ)とリベラリズムのどちらが、具体的にどう良いか。これが今日の【お題】です。
 ご意見お待ちしています。
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2007年06月26日

新自由主義と、ネオコンの台頭を否定しよう!

(将来の日本がどうなるかの天王山は、7月29日、是非投票に!!)

 今回は、具体的な話から離れて、現在のコイズミ路線を継承する安倍政権が目指す、政治の方向について、その基本思想から述べたいと思います。しかし、そこには、複雑な問題が隠されているのです。

 コイズミ改革において、竹中平蔵によって、導入された、経済思想・政策が、俗に、「ネオリベラリズム」(新自由主義)と言われる、市場競争を原則とした経済政策でした。
 新自由主義は、経済思想の一つで、戦後世界の多くが採用してきた、経済に、ある程度国家が関与する、マクロ経済に基づくケインズ思想に対して生まれた、政府の関与をやめ、自由競争に任せるという政策でした。
 新自由主義の基本は、「小さな政府」にあり、経済への国家関与の否定(政府系機関の民営化)と、自由競争の導入による、弱肉強食で、勝ったものにより経済を牽引しようと言うものでした。そして小さな政府の必然として、福祉への支出は削減されることになりました。これが、コイズミ改革の正体でした。しかもこれは、アメリカから始まった思想であり、アメリカの要求でコイズミガ導入したものです。結果は、より新自由主義になれた(「グローバルスタンダード」と言われたもの。実はアメリカのスタンダード)アメリカ資本が、日本の会社を次々に買収する結果になりました、かつての4大証券会社と言われた会社のうち、2社は、メリル・リンチと、日興コーディアルと言う、外資系に買収されたのが典型例です。
 つまり、コイズミ改革と言うのは、郵政の資金を含め、日本の富を、アメリカに売り渡す政策だったのです。その際に取られたのが、「弱肉強食」の原則の新自由主義で、この政策で、世界最強のアメリカに、市場を開放したのでした。

 しかし、話はそれで終わりません。
 新自由主義の思想の本来からすれば、小さな政府と言うことで、減税が行われ、また軍備は縮小に向かうのがセオリーです。
 しかし、アメリカでは、新自由主義(格差社会の最たるものはアメリカ)と共に、「ネオコン」(新保守主義)がのさばっています。
 ネオコンと言うのは、経済思想ではなく、政治の姿勢です。思想ではありません。
 元は、レーガノミックスとか、サッチャリズムと言われた1980年代の政治政策で、新自由主義と似た面を持っています、それは、小さな政府を目指して、国営企業の民営化を進め、福祉を縮小するの点が、新自由主義と類似の政策です。しかし、特にアメリカでは、小さな政府ではなく、大企業へのてこ入れと、軍需産業の大幅拡充と言う、新自由主義の基本とは異なる政策がなされました。これがレーガノミックスです。
 そして、今のブッシュ政権は、「グローバルスタンダード」の名の下に、新自由主義政策的に、弱肉強食(勝つのは常にアメリカ)の経済政策を日本に押しつける一方、ネオコン的な軍事拡張政策で、戦争国家アメリカを築きました。アメリカの経済は、その資金の半分が、軍需産業がらみで、政府から落とされる資金であり、新自由主義の「小さな政府」とはかけ離れたものです。アメリカ経済は、数年に一度戦争をしないと回っていかない国家になってしまいました。

 つまり、アメリカは、新自由主義の弱肉強食の理論と、ネオコンの軍事偏重主義の政策を同時に行っているのです。結果は、福祉は切り捨てられる一方で、場合によっては増税になることもあり、弱い国民にとっては過酷な政策となっています。事実、ブッシュ政権下で格差は過去最大のものになりました。

 そして、日本では、コイズミが、新自由主義を進めました。しかし、コイズミは、ネオコンではありませんでした。防衛費のマイナスシーリングなど、非ネオコン的な政策を行っていました。コイズミが行ったのは、日本をアメリカに従属させ、日本経済や公的資金をアメリカに引き渡すことでした。
 そして、経済政策には全く無知な安倍は、経済政策は、コイズミを引き継ぎましたが、たとえばサッチャリズムで行われた、教育の民営化とは逆に、教育への国家管理を進めたり、アメリカ的ネオコン政治にならい、軍事拡張路線をとろうとしています。
 最近の自衛隊による市民監視を、防衛相が是認し、しかも対象は全国民との発言など、まるで北朝鮮の「先軍政治」と同様の、軍事偏重の国家を安倍政権は目指しています。憲法9条、12条、18条の改悪案も、全て軍事偏重のネオコン国家を目指すものです。
 事実、新自由主義では減税になるはずなのに、コイズミが決めたこととはいえ、定率減税の廃止による、事実上の住民税増税、そして、安倍は公約を破り、参院選後の消費税上げをもくろんでいます。

 つまり、今の日本政府は、アメリカのブッシュ政権の猿真似をして、弱いものはとことん弱く、一部の富裕層や大企業だけが有利になり、しかも福祉は削減し、増税によって得た資金は、軍事をはじめ、自分達の利権誘導に使うと言う、反国民的な政治を行おうとしているのです。

 何故か軍事が好きな右派、右翼は、安倍政治を支持しているようですが、実は、安倍政治とは、産軍複合体を(今でもあるが)拡張し、自分達の利権を漁るため、そして国民を管理し支配するための強権的政治を行おうとしているのです。その口実に北朝鮮や中国脅威論を煽っているだけなのです。
 軍隊が肥大化すると、自己目的的に増殖し、軍体独自の権益を増大させ、やがて軍事国家を目指すと言うのは、戦前の日本もそうで、また各国の歴史が証明しています。

 今の、新自由主義とネオコン政治の結びついた、奇妙な、弱者切捨て、軍事偏重の政策は、やがて国を滅ぼす元になるものです。
 実際、ネオコンのサッチャリズムでの、教育、エネルギーの民営化は失敗し、その後、再国営化がなされています。レーガノミックスの元で、福祉、教育を削り、軍事費を大幅に拡張したレーガン政権では、冷戦の末期、軍備拡張競争のため、経済が疲弊し、福祉の切捨てと合いまり、国民が未来への展望をもてない時期がありました。
 つまり、新自由主義とネオコンのミックスと言う、一種の政策的キメラは、失敗してきたのが事実なのです。失敗するのに、何故それを繰り返すかと言うと、時の政権の為政者の私利私欲だけが目的です。
 今の安倍は、祖父の岸が望んだ、軍事偏重主義により、自分の身内の私腹を肥やそうとしているのです。
それは、年金救済にかかる費用は950億円としながら、三菱重工によるジェット旅客機の開発に300億円の国費を投じることを、国会での議論も無く、いきなり決めてしまう姿勢からも明らかです(安倍の出身大学成蹊大学は三菱グループの学校)。

 今、この必ず失敗する、新自由主義とネオコンのミックス政治を早く辞めさせなければ行けません。そのためにも憲法を変えさせてはいけません。
 増税をするなら、それに応じて適度に福祉を充実させるのが、本来です(これは、オーソドックスなリベラリズムの思想)。社会保険庁民営化は、そのリベラリズムを軽視して、公的年金資金をアメリカ資本に開放しようと言う、新自由主義政策によるものです。そうなれば、消えた年金問題の責任を国が果たすことが出来なくなります。年金問題にも、アメリカ従属の思想が入り込んでいるのです。
 やはり、ここは、この参議院選挙で、コイズミ、安倍と続く、新自由主義政策にノーを言わねばなりません。

 では、ご唱和を 「安倍内閣打倒こそが、護憲への早道」
posted by 眠り猫 at 00:41| 東京 ??| Comment(6) | TrackBack(14) | 思想

2006年11月17日

安倍晋三の不可解なエートス

 数日前、私は、月刊「現代」における、複数の著名人による、安倍晋三評を読んだ結果として、自分なりの安倍晋三観を記事にした(「空虚であるがゆえに危険な安部晋三」 http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/26915975.html」 )。
 この記事は、他にも「AbEndフォーラム」にもほぼ同文を掲載し、数百のアクセスを受けている(同文なので双方読む必要は無いです。http://atbb.jp/abend/viewtopic.php?t=67 )。
 
 この記事の中で、私は、安倍晋三を、「祖父の岸信介に倣うことだけを血統的エートスとした存在」と表現した。
 「エートス」とは、他の「パトス」(情熱)、「ロゴス」(論理)と一緒に良く使われる用語で、「内面の情念」、「思い込み・執念」とでも訳すべきものである。
 
 今回の教育基本法の強行採決に、官邸サイド(安倍の意向)の強い要請があったという報道を目にした。
 公明党からも、自民党参議院からも、日曜日の沖縄県知事選挙の前に、強行採決はまずいのではないか?と言う意見が出ていたにもかかわらず、安倍の理由を示さない主張で強行をしたのである。
 私は、この姿に、やはり自分の記事で書いたことは正しかったという確信を得た。安倍晋三とは、まず、「これをこうしたらどうなるか?」、「国民にどのような影響を与えるか?」、「どのような反響があるか?」などといった、諸事情よりも、自己の内面にある、岸信介が体現した復古主義への回帰と言う、血統的「エートス(情念)」にのみ突き動かされて行動しているのである。
 彼には、議論は通用しない。議論をしても、人の意見に耳を貸すつもりは全く無い。「ロゴス(論理)」が欠如し、また、「日本をこうしたい」と言う「パトス(情熱)」にも乏しく、単に、祖父のあとを追い続けるだけの空虚な存在なのである。
 しかし、ここに危険性がある。要は、話が通じないのである。
 
 小泉内閣時代、今の安倍のようなタカ派の思想を支持して、自民党に衆議院で多数を取らせた国民はいない。あれは、良きにつけ、悪しきにつけ「郵政民営化選挙」であった(そうされてしまった)。
 しかし、そこで得た、衆議院での絶対多数を背景に、安倍は、自らは論理的根拠すら持ち合わせていないまま、祖父への追従と言う、内容としては、戦前の暗い時代への復古主義への回帰を、無思考に自らの義務として実行しようとしているのである。
  喜八さんの「喜八ブログ」では、「安倍政権の「敗着」」(注:囲碁の用語で、敗因となってしまう決定的な悪手のこと)と言う表現で、教育基本法強行採決のことを安倍の自ら政権の墓穴を掘る行為と評している。
 まさにその通りで、発足1ヵ月半で、支持率が6または10%も下落するという状況の中、国民の中には、安倍のタカ派色、強権的姿勢などに対する反発が高まっている。
 しかし、このような状況も安倍には目に入らない、または関心が無いのである。彼には「ロゴス」が無いから。
 祖父に対する盲目的な「血統的エートス」のみに突き動かされている安倍は、「ブレーキの無いダンプカー」のような危険な存在なのである。
 
 もちろん、このように、世論に鈍感で、まさに「敗着」を続ける安倍政権は、私たちにとっては、攻撃しやすい政権である。しかし、現実には、マスコミに対する強圧的介入により、ここ1ヶ月の、読売新聞、サンケイ新聞、週刊文春、週刊新潮、月刊文藝春秋などの元から保守的なメディアも、その報道内容が、以前よりさらに極端で、しかも内容としては全く価値の無い、政府のちょうちん持ち記事の垂れ流しになっている。朝日新聞とて例外ではない。
 安倍の「血統的エートス」に基づく行為は、マスコミによる世論操作にまで及んでいるのである。安倍の暴挙を敵失として喜んでばかりはいられないのである。過去、これほどまでの世論操作が為されたことは無かった。もし、国民がそれに流されてしまった場合、とんでもないことになる。 安倍の持つ、危険性。それは国民を巻き込んで、自民党、いや日本全体をも滅ぼす可能性のある、無目的な破滅的懐古主義なのである。
 
 私たちは、今こそ、この事実を認識し、一般に流布し、安倍とともに日本が心中する結果にならないように、民主主義による歯止めを行うべく力を尽くさなければならない。
 
 安倍政権は、単なるこれまでの利権漁り目的の政治屋集団の自民党政権ではない。「理屈の通じない、危険な軍国主義回帰政権」なのである。「この時代にまさか」と言う右派の人も多いが、事実はこの通りなのである。
 単に個々の政策問題を批判するだけでなく、この安倍政権の危険性を強く訴えて行き、日本国憲法を守り抜くために、私たちは、性根をすえて、戦い抜かねばならない。さもなくば日本を待つのは、冗談抜きで滅亡への道である。過去そこまでの危機を日本にもたらした戦後政権は無かった。しかし、今はその危険性が高いのである。
 注視し、行動し、勝利しなければならない。
 
 私もまた、微力ながら、立花隆氏の言葉を借り、「安倍復古主義的改憲政権への宣戦布告」をここに行う。
posted by 眠り猫 at 15:03| 東京 ????| Comment(9) | TrackBack(10) | 思想

2006年10月23日

闇夜に進んで光明を見出すために。

 某宗教ラジオ番組の出だしではありませんが・・・・。
 昨日の衆議院補欠選挙で、予想通りとはいえ、自民党が勝利したことは、反安倍復古主義政権への批判を強めている私達にとっては、口惜しいものでした。
 
 小泉時代に進んだ、「なんとも言えない息苦しい社会」と言う物が、安倍政権のもとで、より具体化しようとしている今、時代は闇夜に向けて一直線のようにも思えます。
 しかし、このような時代でも。また今回の選挙結果の中にも、光明を見出すことはできると思うのです。
 
 たとえば、北朝鮮の核実験も、補欠選挙で自民党有利に働いたとはいえ、もし、安倍政権が体制を固めて、解釈改憲による集団的自衛権行使の議論を始めている時期だったら、核実験を口実に、なし崩し的に自衛隊の強化、公海上への配備、さらにアメリカと結託しての軍事行動へ突入する危険すらあったのですが、安部政権が、この議論を行う前に核実験が行われ、国連での制裁手続きが進行しはじめた今、「解釈による集団的自衛権の行使」の危険性は、遠ざかったと考えることができます。
 ですから、私は、「安倍=金正日結託説」のような陳腐で根拠の無い「煽り」を否定します。
 もし、11月のアメリカ中間選挙で、共和党が大敗北した場合、アメリカでは、レイム・ダッグ状態に陥るブッシュ政権は発言力も行動力も失い、場合によっては北朝鮮との単独協議に踏み切る可能性もありえます。
 そうなると、安倍政権にとって、北朝鮮問題を口実としての、右スパイラル、集団的自衛権の行使には、論拠を失い空中分解に向かうでしょう。
 
 このように、現象を、短絡的に捉えずに、中長期戦略的に捉えれば、必ずしも、現状は闇夜への一直線ではないと思うのです。状況にどう対応していくかでもありますが。
 
 補選の結果でも、小泉チルドレンを量産したときのような、無党派層の雪崩現象は起きませんでした。今後、安倍政権が、小泉のようなパフォーマンス政治を行う余地は少なく、政権成立直後の支持率の高い時期で、しかも勝てて当然のはずの選挙区で、大阪では共産党議員の得票も合わせれば、自民党の当選者を上回るという民意が、ここで示されています。
 
 ですから、私達の今後の活動いかんで、無党派層や、公明党、共産党支持者の中の、意識の高い人々への働きかけで、闇夜に巨大なかがり火を焚き、その先に日の出やってくるのを待つことができると私は考えています。
 少なくとも、そう希望を持って、活動を拡大していきたいと思っています。
posted by 眠り猫 at 14:32| 東京 ??| Comment(2) | TrackBack(6) | 思想

2006年09月21日

SEXYタレント、インリンさんの平和メッセージ。

 実は私、芸能界には全く疎いのです。
 インリンさんと言っても、顔も思い浮かびません。
 
 ですが、トラックバックいただいた、KARKさんのブログに、インリンさん自身の平和メッセージへのリンクがあったので、拝借してきました。是非、ご一読ください。↓感動物です。
 
 http://www.mostsexy.net/wp.html
 
 ちなみに、西田ひかるさんが、安倍応援メッセージを送ったと言う報道がありました。彼女はアメリカ産まれのアメリカ育ち。デビュー直前までアメリカにいたので、意識はアメリカ人でしょう。だから、日本国憲法なんか読んだことも無いのに違いありません。
 芸能界にもいろいろありです。
posted by 眠り猫 at 12:37| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 思想

2006年09月16日

ローマ教皇の「ジハード(聖戦)」思想批判の波紋

 カソリック教会の頂点に立つ、ローマ教皇ベネディクト16世が行った、イスラム教の「ジハード」(聖戦)思想批判に、イスラム教徒、イスラム教国からの反発が強まっており、バチカンは火消しに躍起になっています。
 発言そのものを詳細には知らないので、なんとも言えませんが、確かに、宗教的信条と戦争を結びつけると言う考え方は、現代社会では、きわめて困ったものであります。アメリカのブッシュ大統領(プロテスタントですが)も、テロとの戦い当初は、宗教的言辞により、戦争を扇動するような発言を繰り返していましたし。
 
 ですが、文化的背景を見ると、「ジハード」と言うのは、イスラム教の中で、重要な義務とされているものです。建前では、侵略する戦争はジハードとは言いません。あくまでも、イスラムの教えに反するものに対して行うのがジハードだったはずです。
 確かに、今、イスラム教諸国での反米テロが、ジハードと呼ばれ、自爆テロなどを引き起こしているのは、事実であり、それが正しいともいえません。
 
 ただ、教皇が軽率だったと思うのは、「反暴力」を述べるためとは言え、キリスト教の最大の勢力のトップである、自らの立場を顧慮することなく、イスラム教で宗教上の義務とされている行為を批判したことです。
 これは、ただでさえ、ブッシュの宗教的言辞による、「文明の対立」が起きている状況に、火に油を注ぐような行為です。意図は別にあったとは言っても、こうなることは容易に予測できたはずで、教皇の発言は、イスラム教徒でなくても批判せざるを得ません。
 
 人は、その立場や、発言の伝わり方など、相手のことも考えて発言しなければなりません。それは、あらゆる人について言えることです。その意味で、今回の教皇の発言は、きわめて軽率。そして取り返しのつかないものであると言わざるを得ません。
 これで、世界はまたさらに危うくなってしまうでしょう。憂うべきことです。
 宗教的な立場から教皇は、発言の撤回も、責任を取っての辞職もしないし、できないでしょう。イスラムの反発を沈静化することは不可能と言えるでしょう。
 悲しいことです。
posted by 眠り猫 at 15:00| 東京 ????| Comment(2) | TrackBack(2) | 思想
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